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安倍元首相銃撃事件に思う

今年4月のある日、和歌山県のとある漁港で岸田首相が襲われた。
犯人はその場で取り押さえられ、事なきを得た。
この報道を見聞きして、私を含め多くの方々は、2022年の安倍元首相の銃撃事件を思い起こしたと思う。
今回は安倍さんの銃撃事件とその後のことについて書いてみたい。
ご批判もあるとは思うがご一読いただければ幸甚だ。

私は安倍さんの銃撃事件について、政治的な発言はしない方がいいかなと思い、これまで活字にしてこなかったし、自教会の月報にも書いていない。それは、教会にはいろんな方々がいらっしゃるし、政治に関する意見も十人十色だからあまり触れない方がいいかな、という私の判断からだ。

しかし、銃撃事件ののちのメディアでの扱われ方が“宗教2世問題”へと変貌してしまい、見過ごしてはいけない事件となった。
1年が経過した今、やっぱり自分の思いは発信したいと思う。

参議院選挙の応援演説で、近鉄大和西大寺駅前の路傍に立った安倍元首相。背後から容疑者は襲った。安倍さんは凶弾に倒れた。
「なんて酷い事件だ」
事件の場所は、馴染みの深い場所。尚更、身近な事件のような感覚でこの酷い報道を注視した。

容疑者の青年は、「俺の人生は、親の宗教のせいで無茶苦茶になった」といった。そして、その教団と関係があると思い込んでいた安倍さんを襲撃した。その瞬間から、メディアの色合いが変わった。

連日のように報道される宗教2世問題。
もう、耳を覆いたくなるような報道。

私、思いました。
もし、容疑者の青年の親が、自分が信じて行なっている信仰実践を通して
「幸せだ、嬉しい、ありがたい、」という信仰の喜びを味わい、家族にもその喜びが伝わっていたら、、、
ひょっとすると、容疑者の青年は、親の信仰活動に対して違った思いを抱いていたんじゃないか。つまり、親のあの信仰のおかげで、俺の人生、まあ、悪くはない、なんとなくは幸せかもしれない、と。
1年前のあの惨劇は起きなかったんじゃないか、、、、

私、思いました。誤解を恐れずに言う。
「だから、容疑者の青年、かわいそうだ、、」て。
親から信仰の喜びが伝わっていなかった。

私たちの信仰は1世か2世しかない。
親から引き継いでいるか、もしくは導いてくれた人から引き継いでいるから。2世が人を導いたら2世が誕生し、自分は1世となる。3世と3代目とは、似て非なるものだ。
なんなら、「私たちは、おやさまの2世なんだ!」くらいの確固たる信仰信念がある。この思いを強めたい。

安倍さんの事件から、こう学んだ。
自分の信仰の背中は間違っていないか。
自分の信仰の背中は喜びが溢れているか。
自分の信仰の背中は真っ直ぐに映っているか。
私たちは、確かな信仰姿勢を、間違いないように家族や関わる人たちや世界に伝え広めていかなくてはならない、と。

安倍さんに衷心から哀悼の念を捧げながら、1年の節目を意義あらしめたい。

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