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信仰が進む

皆様、毎週拙い記事にお付き合いくださりホントにありがとうございます。今週は「信仰が進む」と最近感じた事を書きますね。よろしくお願い致します。

①「生命の(いのち)進化 令和編」

秋治・shinさんの名著「生命(いのち)の進化 令和編」を読んで、読んで、読んで。これまではどちらかと言うと難解で敬遠しがちだった「元の理」の話が凄く身近なものとして、またリアルなものとして捉えることができるようになったんですよ。

傷むのがイヤなので本はいつも装丁や表紙を外して読んでます

まず、この本に出会ったタイミングが良かったんです。

とある布教所の講社祭では、最後に必ず「元の理」を参拝の方々みなさんで声に出して拝読していました。いつもは拝読しても、「んーやっぱり難しいねぇ、元の理は、、」という、なんとも煮え切らない表情になったり、何をどう質問して良いかわからない、といったニュアンスの反応だったが、ある時「これホントのお話しですか?」ときた。
「ホントのお話です!」とモチロン私は返答しました。。。が、具体的な説明に窮したタイミングだったんですね。

もう一つ、この本の出版前に、音声SNS「clubhouse」で「元の理」の話題になり、秋治さんという方が「元の理」の解説本を書いていて、もうすぐ出版されるそうだ。ついては、本のタイトルをどのようにするか、装丁はどのようにするか。よし、みんなで考えよう♪て、わちゃわちゃ喋ってて、ついには著者である秋治さんともclubhouse内でお話しできて、著者ご自身と本の内容に興味が湧いてきたタイミング。

この2つのタイミングがほぼ同時期であって、その時期に「生命の進化」がリリースされたんですよ。
読み進みるごとに「元の理」のお話しに色彩が現れ、具体的な形となってLEGOブロックのように積み重なり、そして、目の前に“実話”として現れてきた感覚になったんです。

自分で言うのは烏滸がましいかも知れませんが、「信仰が一歩くらいは進んだなぁ」という、なんとも言えない嬉しさが込み上げてきましたよ。

現在のところ、教典とこの本を元に“元の理”のお話しをなんとか自分なりに言語化して、皆さんにお伝えしようとトライしますが、自分自身の信仰実践の未熟さゆえから、なかなか話しの筋が帰結せず、空転する有様。少しずつブラッシュアップに努力している最中です。
で、つい最近、「こんな要素を取り入れるとイイよ!」とアドバイスをくださった、敬愛するBe+さんに感謝感謝です。おかげさまで、その日のお話しはスベリませんでしたよー

②とあるご夫婦のおたすけ

60歳代のご婦人さんが重篤な病気になりました。体調の異変に気づき検査入院。すると、思いもよらない症状だったそうです。ご主人さんは、医師からの突然の知らせに慌てふたむき、所属教会へと走りました。お願いづとめを勤めました。そして、会長さんから、「奥さんにしっかりとおさづけを取り次いでくださいね。私たちも祈り続けるからね。」と励まされました。会長さんは、コロナ禍のこともあり、すぐにご婦人さんの病床に駆けつけたい気持ちを抑えて、おたすけをご主人さんに託しました。
これは1年半ほど前の話しです。

その後、このご婦人さんは、長い治療生活を経て自宅に戻り、少しずつ日常生活を取り戻しつつありました。

私は先日、このご夫婦が所属する教会の秋季大祭に参拝しました。
すると、祭典中に、ご婦人さんが娘さんを伴って参拝にいらっしゃいました。ご主人さんのほうは、祭典前の献饌から教会で勤められています。
おつとめの後半、娘さんは鳴り物を勤めてましたよ。

祭典後、おつとめ着を着替えていると、たまたま、ご主人さんと2人っきりになった時間がありました。
「奥さんが参拝にいらしてましたね!」
するとご主人さんはニコニコしながら、
「最近、妻の容態がすごく安定してて、食欲もあって、調子がいいんです」と。そして、
「信仰してて、はじめてありがたいと思ったわ!」と、なおもニコニコしながら仰います。

私は、このご主人さんとはずっと以前からお付き合いしてましたが、所属教会の祭典日にだけお会いし、直会になると大好きなお酒をグイグイとやり、いつもほろ酔いで「じゃぁまた来月ぅー」と、徒歩10分ほどのご自宅へ帰るのを見送るのがパターンという程度のお付き合い。
なので、信仰の話しはそんなに深くは話したことがなかったんです。
「信仰してて、はじめてありがたいと思ってわ!」との言葉に、私は一瞬「え?!」となりました、失礼ながら。
ご主人さん曰く、
「よく月次祭でおたすけの話とか、おさづけの話とかを聞くけど、まさか俺がそんな状況になるとはね。だけど、話を聞いててよかった。妻に毎晩おさづけしてるよ。俺がよふぼくでよかった。」て。

奥さんとお子さん2人は、まだよふぼくではありません。
今回の節で、昨年、みなさん初席を運ばれました。長男は関西の大学院に在籍中で、母親の無事をかんろだいに願い、そして一席ずつ席を重ね、9月に満席となりました。
もうすぐ、よふぼくとなる予定です。
ご主人さんは仰いました。
「今までじいさんばあさんが言うから、教会の月次祭には来てたけど、来てただけ。今回の妻の身上で、毎晩おさづけしてるし、それが嬉しいし、なんか自分の信仰が進んだ気がする」
と。

③成人

タイトルにある「信仰が進む」とは、「成人」のことですよね。
成人には、信仰実践が伴うんだと思っています。信仰を身に感じて、行動する、ということです。
①では、今まで敬遠しがちだった「元の理」を深めるために「生命の進化」を購入し、読み込むという行動。
②では、おつとめとおさづけ取次という行動。
それらの行動を通して、親神様のお働きを味わう。そしてもっと求めたい、もっとたすかって頂きたい、という心を涵養すること。
それが成人の歩みなんだなぁとしみじみと感じます。

最近感じた「信仰が進む」を2つ書きましたが、もちろんこれまでにも、様々な場面や状況や節目に、少しは信仰が進んだかなぁと思える事柄の積み重ねの上に、今現在の私の信仰心があることは確かな事実です。
だから立ち止まったり、行動をやめたりしたら、信仰は停滞してしまうかも知れませんね。これからもしっかりと実践しないとな!と強く感じますよ。

「成人とは親の思いに近づく歩み」と真柱様よりご教示頂きます。
何歳になっても、一人一人の成人には伸び代しかありませんね!私自身もそう思っています。
成人に向かって歩み続けますよ!

あ、そうそう、X(Twitter)でオトモダチになっている方々の投稿。たまーに教理や教義の解釈についてさまざまな角度から思案する内容に出くわすことがあります。自分に合わないものはスルー、これも正しい反応かもしれませんが、何でこういった解釈が生まれるのか?どんな思案の仕方なのか?と、今までの自分の思案を一度ヨコに置いといて、投稿者の考え方に寄っていき、再度解釈を試してみる。
すると時には「この思案の仕方も良いな」と、新たな理解に巡り合うことがあります。
これも「信仰が進む」につながるかな。

ということで、今週の記事を終えたいと思います。お付き合いくださり大変ありがとうございました😊

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