見出し画像

音声SNS

2020年、コロナ禍。
引きこもり生活を強いられる悶々とした世の中に、アメリカから画期的なアプリがローンチされた。
招待制音声SNS「clubhouse」だ。
私は2月8日にアカウント登録できた。するとどうだろう、共通の話題でのトークルームが乱立し、それぞれのルームで思い思いに喋りまくり、コロナ禍による閉塞感を吹き飛ばすかのような盛り上がりを見せた。

アカウント登録したその日の夜、私は楽しそうなルームを見つけた。タイトルは「こんな時間に野球好きいますか?」という呼びかけ的で斬新なネーミング。

さっそくオーディエンスとして参加。
野球指導者、プロ野球ファン、スポーツ新聞関係者、高校野球関係者、元プロ、甲子園経験者、野球マスコット好き、高校野球裏方、もう野球に関するありとあらゆる分野の方々がいらっしゃった。

そのうちスピーカーとして皆さんとぺちゃくちゃ喋って、どんどん仲良くなり、ついにリアルで対面。
この歳になって、新しくお友達ができるって、ワクワクするね。

そんなある時、天理教ルームを毎日開室してるアカウントを見つけた。タイトルは「お昼休みに信仰について語りませんか」。これまた芳ばしい斬新なタイトルだ。モデレーター(ホスト)は、“こーせー”さん。
あれ?この方、知ってる!

SDGsが流行り出した頃、教会×SDGsで何か取り組めないかなぁと手探りで考えてた時、ググった検索に、こーせーさんの記事が出てきた。

ふむふむ、なるほど、ほほぉ〜、と頷ける部分もいっぱいあった。
興味深いなぁ、お近づきになりたいなぁと思ってた矢先の“clubhouse天理教ルーム”。
さっそく入室。
こーせーさん、なるひとさん、くらはしさん、ミチオさん等が主要メンバーで、ほぼ毎日楽しくトーク。
もちろんリアルで対面してお友達になった。

このころ、Twitter(現𝕏)でも、音声での相互通信機能が実装された。
その名は「スペース」。
そして、ミチオさんから、かめかよさんが本の朗読やフリートークをしているスペースを教えてもらった。かめかよさんは、clubhouse天理教ルームにもたまに来てた方。
そんなこともあり、数年間放置していたTwitterに久々にログインした。

当時私は仮面アカウントだったので、好き放題にtweetしてたが、タイムラインが面白くない。こーせーさんが「Twitterは荒波ですよ」と言っていたし、炎上した友人もいたりしたので、ちゃんとしようと思い、実名顔出しアカウントにして、天理教関係のアカウント中心にフォローし、tweetも真面目な信仰的内容に切り替えた。同時に、毎日夜8時に「こんばんわ」tweetを1年間挑戦して、その後は「おはようございます 晴天心」tweetに切り替えて3年目。
タイムラインもクリーンになった。

こーせーさんが教会本部を退職し修養科を志願したタイミングでclubhouse天理教ルームは解散。しばらく静かなSNSだったが、ある時からBe兄さんが夜な夜なTwitterでスペースを始めた。

参加する皆さんは、兄さんのライフワークともいうべきnote記事の読者でもある。もちろん私もそのうちの1人。
さまざまな側面から教理を思案することがベースにある皆さんが寄り集まるスペースだから、わちゃわちゃくっちゃべってるだけのスペースとは一線を画す品質が、兄さんのスペースには漂っている。
思案のレベルが高いから、みんな食いつき気味に参加している様子。そこを、共同ホストののんさんが柔らかさと明るさを添えている、といった、絶妙なバランスもある。

そして“スペース朗読”は特にオススメ。「先人の足跡シリーズ」は特に好きなテーマだった。おやさまから直接に御教えを仕込まれた先人先生の、純粋で朴訥で愚直な信仰姿勢に触れることができ、何度も自らの信仰を振り返る機会となったことはありがたかった。
そして今は永尾教昭著「世界へのまなざし」を朗読なさっている。是非とも著書を手に取ってお読みいただきたいが、スペースにて耳から読書をし、そして兄さんの考察を聞いてほしいなと強く思います。
これら二つのシリーズは録音されているので、まだ聴いたことがない方は、是非ともお聴きいただきたいなと思う。
オマケに“スペース学芸会”もありますよ。題材は「教祖物語」。珠玉の作品ですよ♪

さて、実はBe兄さんのスペースにはこんな大義がある。昼間の疲れなどもあることは容易に察することはできるが、これほどまでに毎夜毎夜スペースを続けるのは、ただただ寂しい夜はイヤだぁ〜的なミーハーな動機からではない。
その大義は、以下のお言葉に依拠する。
立教186年秋季大祭の真柱様のお言葉だ。

一人でも多くの人をこの道に引き寄せさせていただく努力と共に、その人たちが道具衆の自覚を持ってお道を実行するようになるまで、辛抱強く心をかけていくこと。また、既によふぼくになってはいるが、今いったん休憩している人も、やはり一人でも多くよふぼくの自覚を持って動いてくれるように働きかけを続けていく、その努力も疎かにならないようにして、そうして、この年祭活動が盛り上がっていくようになれば、と思っております。

立教186年秋季大祭における真柱様のお言葉

これはお言葉の括りの部分。
Be兄さんは、自身のスペースの場を活用して、“よふぼくを勇ませる”ことをテーマとして続けているのだ。
このテーマのことも、以下のようにスペースで語っておられた。

2024年1月6.7日、私はおせち団参にておぢばがえりした。そして、7日の朝に兄さんと落ち合って、共にお下がりのお雑煮をいただいた。
帰路、私たちは偶然にも真柱様のご巡視に遭遇した。タタタッと御一行に歩み寄り、兄さんと共に真柱様に新年のご挨拶をした。
この時の状況を兄さんは、後日スペースで語っておられた。加えて、『もし次回、またこのような機会に恵まれた時にはしっかりと「真柱様のお言葉に沿って、眠っているよふぼくを勇ませる活動に励んでおります。」とお伝えしたい!』と申されていた。

私は、「そっか!兄さんのスペースは大切な場なんだぁっ!年祭活動の場なんだ!」と気づいた。

BeさんとSNSで繋がり、リアルにお会いし、信仰の火が再び心に灯って、おぢば(や所属教会)に心を繋ぐことができた。
信仰者としての自覚、よふぼくとしての自覚に気づけた。
そして何よりも、同じ信仰を持つ仲間がこんなにもいてくれることが嬉しい。
このように、この道の信仰に再起動した方々の話を聞くと、私まで勇みをいただくことができた。

さて、先日、やはりスペースで知り合った方とリアルにお会いした。これまでの所属教会が事情により上級教会に吸収合併されたが、その上級教会はかなりの遠方。なので平素は自身の住まう地域にある他系統の教会へと参拝に通っておられる純朴な信仰の持ち主である男性だった。
このように平素、自ら教会に繋がって信仰生活を続けてくださる信者さんがいらっしゃる所属の会長さんは、嬉しいだろうね。いや、なにも会長さんのために信仰してるんじゃないですけどね。

真柱様のお言葉の意味するところは、よふぼくの自覚を高め、親神様・おやさまにしっかりと繋がることを期待しておられるんだと、私は理解している。
Twitter(現𝕏)で相互フォローしている教友は何百人もいるが、その方の直属や所属の教会を知っている、という方はごく少数だ。
信仰談義に教会の存在は無用だということに気づいた。そう、詣り所としての教会は方便であって、とどのつまりは、自らを親神様・おやさまに繋ぐこと、それが私たちの信仰だ。
その潤滑剤、活性剤としてTwitter(現𝕏)とそのスペースは存在している。

私は兄さんのnote記事からずいぶん多くの影響を受けた。そして、毎日Twitter(現𝕏)のタイムライン上で交流させていただいている。
これからも末長くお付き合い願いたいなぁと切望している。
そして、どんどん自分自身の信仰の価値観をブラッシュアップしたいなと熱望している。

ところで、Be+兄さんの記事のファーストコンタクトは以下の記事でした。

私自身も阪神淡路大震災で辛い思いを経験し、信仰的に葛藤し、東日本大震災で再び親神様の思し召しが全く掴みきれずに時間だけが流れた。
そして、上☝️の記事と次👇に貼り付けた記事を読み、秋治Shinさんの著書「生命の進化 令和版」を読み込んで、「元の理」理解が進んだ。2024年元日に発災した能登半島地震に際して、信仰的には動揺せずに済んだ。

これまでわずか数年間の音声SNSによって、信仰がずいぶんと進んだなぁという実感がある。それは、さまざまな方の、教理理解の一端に触れることができたからだ。
もちろん、仮面アカウントも含めて、繋がった方々を100%丸ごと信頼しているかと問われれば、「否」だが、文字にしろ音声にしろ、真摯な姿勢で発信なさっている事柄には真面目に対応し、イイなと感じた部分は吸収していきたいなと思っています。

今、新たにこのnoteの毎週投稿に挑戦している。そして、新たに繋がった方々がいらっしゃる。私自身、新たな思案のブラッシュアップを得られていることがとても嬉しいです。

どうぞこれからも末長く宜しくお付き合いくださいますよう伏してお願い申し上げます🙇‍♂️

じゃまた来週👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?