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来訪

 昔、宋の法師我が国に巡りしに、やうやう日の暮れければ、富士なる山の麓に宿らむと思ひしに、木々のまばらなる所、明かり仄暗く揺らぎける社あり。
 寄りて見ければ、戸は破れ、茅葺きしたる屋根も今はその影なしと覚ゆ。
 法師、破れたる戸の僅かに残りたる端を叩きて、
「ここなる社に、今一晩の宿りを許し給へ」
と請ひしに、社の主とおぼしし人、
「さもあらん」
とて許せり。
 かの主、名を福慈と申す。
 福慈、
「古、新嘗しける日の夜に、ある人訪ね給ひて宿を請ひけり。諱忌ゆえに宿らせざりければ、その人、神祖の尊と思して我が祖なるらん。しかるを、かの人恨み泣きて、『汝が住める山は、命のあらん限り、冬も夏も雪降り、霜おきて、寒さしきりなれ。これによりて人登ることなし。飯物奉ることあらざらん』など。ひとときのあやまちによりて今に至るまでかやうに寂しき社なり。今また訪れ給へば、かならず宿らせ給はん」とて、喚き叫ぶこと限りなし。法師も共に嘆き、
「己が不孝を悔やみ給ふこと、報われるべし。今、一晩の宿のありがたさに、恩を返さん」
とて、富士の頂に登り、持ちたる鈴掻き鳴らし、己が修めたる経を納むれば、法師たちまちその姿を変へ、仏現れ給ふ。
 福慈大いに喜び、嘆きも止みぬ。
 これを以て、富士の山は人々の登るも易くなりにけり。
 されば人々、かの山を祀りて新たなる社を築き、敬うことなのめなければ、今に至るまで栄えたり。

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