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本の紹介「土のない世界:私たちの足下の大地の過去、現在、そして不確実な未来」A World Without Soil: The Past, Present, and Precarious Future of the Earth Beneath Our Feet

Jo Handelsman著 Yale Univ. Press (2021)
Nature誌の書評(https://doi.org/10.1038/d41586-022-00158-8)を北大のH先生がSNSで紹介されていたので、思わずにアマゾンからポチった。面白く、勉強になったので、内容を紹介したい。

著者のHandelsmanは、ウィスコンシン大学マディソン校の微生物学の教授で、微生物生態学の分野ではメタゲノム研究のパイオニアとして知られている。土壌DNAから、抗生物質産生遺伝子や抗生物質耐性遺伝子などを単離に成功している。彼女は、2014年から3年間オバマ政権のOffice of Science and Technology PolicyのAssociate Director for Scienceとして米国の科学技術政策立案に助言を行ってきた。

本書のプロローグには、オバマ大統領宛ての土壌劣化・浸食の深刻さを訴え、土壌保全政策を強化するべきとのメモ(提言)が掲載されている。しかし、この提言は大統領に提出されることはなかった。彼女が、この問題の深刻さに気づき政策へ反映させるための提言を作成しようとしたが、すでにオバマ大統領の任期末期となり、優先的な政策(イニシアチブ)として反映させることは時間的に無理になっていたのである。そこで、彼女は、この冒頭の提言を含む内容を、一般向けの本として書き下ろしたものである。プロローグ以降、以下の10章から成る。各章について、概要と私の印象に残った部分を紹介する。内容についての私個人のコメントは*で示した。


第1章 夜明け--目に見えない危機  Dawning--An Invisible Crisis

「どうして気付かなかったのだろうか?」ホワイトハウスのオフィイスを歩き回りながら、彼女は考えた、合衆国の土壌が消失していくという深刻さに。と本書は書き始められる。

自然科学関係の解説書の場合、自らのフィールド調査の経験から彼らの著書を書き始めることが多い。たとえば、モンゴメリーは「土の文明史」をフィリピンのピナツボ火山の調査で火山灰に足をとられる場面から始めているし、フォ-ティは「生命40億年全史」をスピッツベルゲン島の化石調査から書き始めている。本書では、オバマ大統領のサイエンスアドバイザーとしてホワイトハウスへ呼ばれ、アイゼンハワー行政府ビル(Eisenhower Executive Office Building)での仕事を始めるところから書き始められる。この仕事が、著者が本書を執筆するきっかけとなったからである。  

著者は、合衆国および世界の土壌の危機的状況を解決に資する政策立案を準備するが、オバマ政権も任期末期となり、それを果たすことができなかった。この本は、そうした経緯から土壌を守るために一般市民向けの本として著されたと述べられている。

第2章 地球のダークマター Earth's Dark Matter

地球の誕生、生命の誕生から土壌の生成。土壌はどのような物質なのかについて、地球史的な視点も入れて説明されている。この章は、Few are as challenging to study. Soil is the dark matter of our planet. と結ばれている。土壌ほど研究対象としてチャレンジングなものはない、ということ。土壌学者にとってはうれしい一文であった。

第3章 大地は働いている Earth Works

土の香りの成分であるゲオスミンから始まり、神話や宗教における土が語られ、土を場とする炭素や窒素などの物質循環が語られ、土壌中で働く微生物の機能が説明される。この章の終盤では、抗生物質と抗生物質が広く利用され環境中へ、放出されたことによって、微生物が新たに抗生物質耐性を獲得したことが、著者の母が薬剤耐性緑膿菌による細菌性肺炎によって亡くなった事を通して述べられている。こうした問題を乗り越えるためには、土の中から新規な抗生物質を見つけ出していくことが必要だと、著者は考えている。ところが、現在、製薬会社や研究者は新たな抗生物質探索には力はいれていない(*労多くして儲けにつながらない)。そこで、筆者は世界各国の大学生のネットワークを構築し、学生が住んでいる場所の土から抗生物質を産生する微生物を探索しデータベースを構築するプロジェクトTiny Earthを立ち上げた。毎年、各国の1万人以上の学生が参加しているという。https://tinyearth.wisc.edu/

第4章  カオスからオーダー:短い間奏曲 Chaos to Orders: A-Short Interlude

この章では、まず、国際土壌科学連盟(International Union of Soil Science)が4年に一度開催する国際土壌科学会(World Congress of Soil Science)の際に開かれている土壌判定コンテストInternational Soil Judging Contest(ここでは2018年のブラジル)に参加する米国の大学院生の様子から語り始められている。2018年にブラジルで開催されたこのコンテストには、世界各国の大学院生が数名でグループをつくり、主催者から与えられた土壌断面調査を行い、それぞれの土壌の種類を決める作業を競い合った。

*コンテストの報告書が以下のサイトにあるので、土壌断面調査コンテストの様子を写真で見ることができる。ブラジルの大会では残念ながら日本チームは不参加だった。https://www.iuss.org/media/3rd_isjc_final_report.pdf 

このコンテストの様子を述べながら、土壌を分類するというのはどういうことかが説明される。国際的な土壌分類方式にはFAO-UNESCOによるWorld Reference Baseと米国の土壌分類(Soil Taxonomy)があるが、ここでは、Soil Taxonomyによる代表的土壌12種類(Soil Order)の特徴が解説される。

代表的な土壌の一つにチェルノージェム(Soil TaxonomyではモリソルMollisol)がある。有機物に富んだ黒い土であり、世界でもっとも農業生産に適した肥沃な土である。この土壌はウクライナに広く分布し、この国が世界で有数の小麦・ひまわり等の生産国である礎であるが、今や悲惨な状態に置かれている。

第5章 風と水、そして犂(プラウ) Wind, Water, and Plows

この章では、土壌侵食と農業活動について解説される。米国は、建国以来、中西部への開拓を進め、不適切な農耕によって、本来肥沃であった表層土壌を土壌侵食で失ってきた。1935年は歴史的に有名なダストストームが中西部で発生し、多くの農民が離農せざるを得なくなり、深刻な問題となった。それがきっかけで、合衆国・土壌保全局が設置され、土壌保全政策が進められるようになっていることが述べられる。

また、土壌侵食をどのように調査、評価するのか、その研究手法についての解説もなされている。方法も時代ともに進歩し、最新のリモートセンシング研究によると、中西部のコーンベルト地帯の1/3において、有機物を含む土壌表層が失われているという(PNAS 2021 https://doi.org/10.1073/pnas.1922375118)。

農業活動、特に、土壌の耕起が土壌侵食を促進すること、とくに、深耕を可能にしたモールドボード(撥土板)プラウ(犂)の発明(科学的な農法の研究でも業績をあげた米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンの発明と言われている)、そして、機械化に伴い大型トラクターに装着されたプラウによる農地の耕起は、一時的には作物の生産性を高めたが、その後、農地土壌の侵食を促すことになったという。

さらに、近年の気候変動による強雨の増加により、水食による土壌侵食も深刻になっていることが紹介されている。

第6章 岩だらけの惑星 Rocky Planet

章の冒頭に、土のない岩だらけの地球が描かれる。そして、それが現在、土壌侵食によって、世界各地で現実のものになりつつあることが紹介される。

アフリカのサヘル地域、アジアではブータンやインドネシア、等の事例が紹介される。そして、ヨーロッパではウクライナの肥沃なチェルノージェム(Mollisol)が土壌侵食によってその肥沃度が低下していること、その危機を乗り切るために、ウクライナの土壌保全のために国際的な連携Ukraine Soil Partnershipがスタートしたことが紹介される(FAO 2019)、農家や技術者への研修などを通して、2030年までにウクライナの土壌保全を図るのが目的である。
https://www.fao.org/europe/news/detail-news/en/c/1195526/

https://www.fao.org/global-soil-partnership/resources/events/detail/en/c/1196362/

(*今回のロシアによるウクライナ侵攻により、こうした活動は停止せざるを得ない状況であろう。毎日流れてくる悲惨なニュースに、暗澹となる。)

土壌侵食が水域・海域へも大きな影響を及ぼしている例として、メキシコ湾のミシシッピ川河口域に生じている世界最大の無酸素水塊が挙げられている。これは、米国・中西部の農業活動に起因する余剰の栄養塩類(窒素、リン)が、土壌侵食などを通して、ミシシッピ川を経て、メキシコ湾へ流入したためである。

第7章 気候と土壌の二重奏 The Climate-Soil Duet

この章では、まず地球の炭素循環における土壌の役割が解説される。IPCCなどの報告書に載っている炭素循環の図をみるとすぐに分かるように地球上の炭素循環において土壌中の炭素の量はきわめて大きいことが説明される(全球的にみると、土壌有機物等として表層土壌に含まれる炭素量は、大気中のCO2炭素の約2倍、植生(植物体)の約3倍に相当する)。

しかし、気候変動問題の論議の中で土壌炭素の重要性が認識されるのは比較的最近であり、IPCCからの報告書で土壌炭素についてしっかり言及したのは、2019年の「気象変動と土地、Climate change and Land」からだそうである。

最近の気候変動が砂漠化などの土壌劣化を引き起していること、水田などの農業活動からの温室効果ガス排出、侵食などの土壌劣化が植生を悪化させ土壌炭素の消失につながること、などのさまざまな事例が解説される。一方、土壌を保全し有機物を富むような土づくりは大気からの炭素の隔離(Carbon sequestration)につながることが言及される。土壌への炭素隔離は、以下の章で論議される。

第8章 土の番人 Soil Stewards

土を守るための伝統的な農法の数々が紹介される。スコットランドのシェトランド諸島のある島では、海草やふん尿などの施用が営々と続けられ、岩だらけの島にたっぷり有機物を含んだ土壌が形成された。アマゾンのある地域は有機物の少ない痩せた赤い土が広がっているが、かつて生活した人々の活動(生活廃棄物、炭などの施用)によって、局地的に有機物に富む黒い土Amazonian Dark Earthが形成された。フィリピンのルソン島中央部の高地では世界遺産にも認定されている見事な棚田が3千年も続いている。その他、アメリカインディアンZuni、ニュージーランドのMaoriなど、さまざまな土を守る農法とそれを継続してきた農民について述べられている。

第9章 土を守る英雄たち Soil Heroes

広々とした牧草に放たれた牛、花に囲まれた白い家。著者は子供のときにこうした農場を描いた絵本が大好きだった。しかし、大人になって、農家の仕事が他のどんな仕事よりも複雑で大変なことを知る。農家の規模の大小にかかわらず、農作物の栽培管理のためには、作物のことだけでなく、肥料や農薬、農業機械の使い方に習熟しなければならないし、そもそも農家経営を成り立たせなければならない。生産物や資材の価格変動や近年の気象災害にも対応しなければならない。コロナ禍では、乳肉製品などの価格低迷や外国人労働者の不足も起こった。農業者の自殺率は他の職種よりも高いと、インドと米国の例が挙げられている。

そのような農業者が、生産基盤である土壌を守るための持続的な農法へシフトするためにはさまざまなリスクがあり、コストがかかる。政策的な支援が必須であると著者は主張する。

章の後半では、不耕起栽培をはじめとするさまざまな環境保全的農法Conservation Agricultureが解説される。不耕起栽培とともに利用されるアトラジン系除草剤、あるいはラウンドアップレディのような除草剤耐性GM作物などの問題も提起される。輪作、間作、カバークロップ(草生栽培)、林間放牧(silvopasture)、intensive rotational grazing(集約的移動放牧?)などがとりあげられ、さらに、都市農園の意義についてもニューヨークの事例が紹介されている。

章の最後に、Farmers are already my heroes, but if they solved the soil and climate crises, they would be everyone’s heroes.

第10章  土のある世界A World With Soil

最終章では、土壌を守るための活動(Save Our Soil, SOS)を進めていくために必要な連携や協働、そして各種の施策などについて述べられる。プロローグとして掲載されている「提出されることのなかった大統領への提言」を実現するための道筋が述べられており、著者のもっとも重要なメッセージであるので、ここではこれまでよりは少し本文に沿った形で概要を記する。

土壌保全(土壌侵食防止)の方法の多くは目新しいものでなく、前章で紹介した不耕起、輪作、カバークロップなどの方法はその有効性は十分に確かめられている。問題は、こうした対策を、いかに国際的な共同として行うか、である。COVID19のまん延に際して、科学者コミュニティが国際的な情報交換を密に行い、種々の対策に生かされたことは教訓になるだろう。

1980年代から環境保全に関わるさまざまな国際条約・協定が結ばれたが、これらの中で土壌は再生不能な資源(nonrenewable resources)として認識されたものの、土壌保全(土壌侵食防止)に関する国際的な条約や協定はまだない。土壌は必須のものであり、今やそれが深刻な危機にあり、土壌は気候変動を緩和するツールともなりうることを、国際的に宣言することが必要であろう。

気候変動を緩和する長期的視点からの戦略として、土壌への炭素貯留がある。Lalが提唱した4パーミルイニシアチブは、いつくかの国々や地域が加わった国際的なプロジェクトとして開始されている。このイニシアチブの現実的なゴールはどうなるであろうか。世界中で4パーミルイニシアチブを実施した場合、その炭素貯留量ポテンシャルは試算により異なり、少なく見積もって0.4ギガトン/年、多く見積もれば3ギガトン/年になるという。ちなみに、化石燃料由来のCO2の年間排出量は9.7ギガトンである。

土壌への炭素貯留は無限な訳ではなく、土壌へ蓄積される炭素量には飽和点があるはずであり、さまざまな議論がされている。4パーミルイニシアチブを進めていくために、そのリフォーミュレーションが必要で、土壌条件やそれぞれの国の環境によって、異なるゴールを設定することが必要であろう。

こうした土壌保全(侵食防止)の国際的な動きが進んでいるが、米国はさらに一歩先へ踏み出すべきである。米国では、すでに土壌侵食は進行しており、農業活動由来の環境負荷量(CO2排出量)である農業フットプリント値も高い。

米国では、2005-2014の間に、農務省の各種土壌保全対策によって管理された農地・草地の有機炭素含量は5倍も増加した(*文献確認必要)が、もっと増やせるはずである。

2016年には「米国の土壌の現状と将来」というレポートが作成されたが、さらに積み重ねて検討し、合衆国として、土壌戦略を立てるべきである。オバマ大統領任期末にまとめられたこのレポートでは、戦略のフレームワークが構築されている。フレームワークの根幹は、土壌への公衆の理解増進、土壌健康を高めるための各種の方策(ベストプラックティス)、そしてゴールへ向かっての進捗を評価する手法の改良、である。

農家の土壌保全の意欲を高め、消費者やリテーラーがそれらを支えていくために、「カーボンヒーロー(土壌保全をする生産者)によって生産された農産物(soil-safe-food)」というような新たなラベルを構築すべきである。フードシステムを通して、消費者との連帯とサポートが必要である。また、米国では、農業法(Farm Bill *米国農業の基本法)での対応が必要であろう。

ラベルのためには、保全的農地管理の証明が必要になる。そのためのコストは、農家ではなく、フードシステムの中で支えていく必要があろう。

土壌保全的農法による土壌炭素隔離(C sequestration)によって、他の農業活動に由来するGHG排出をオフセットできるようなCクレジットのシステムは、土壌保全のための国内・国際プログラムの中核になるはず。

畜産はGHGや排泄物の面から環境的に悪者になっているが、Soil-Safeラベルの飼料を給与することで、土壌保全に資することが可能だろう。

作物保険(crop insurance *気象災害などによる農家の減収をカバーする米国農務省のシステム)のシステムを用いて、土壌保全的農法への移行のためのリスクや移行のためのコスト増をカバーできるようにしてはどうだろうか。ラベリング、保険とパートナーシップは、農家が土壌保全を進める梃子になるだろう。

これらを進めるためには、一般の理解(public concern)が重要となる。政府や政策立案者への要請、リテーラーがsoil safe foodを市場に乗せるように努め、そして消費者がそれを購入するようにする社会的な変化が必要となる。

社会的な変化を生み出すためには、社会の規範そのものが変わっていかなければならない。ある規範は、ある転換点を越えると、急速に社会に広がっていく。有機食品もその例に挙げられるかも知れない。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」以降の環境問題への意識の高まりやライフスタイルの変化に伴い、ある時点で(ミレニアム世代が家族をもつようになった頃?)、有機食品マーケットが急速に伸びており、2020年で200億ドルに達している(*米国のOrganic Trade Associationの統計値では500億ドルとなっているので数字については確認が必要)。

「SOS」活動について、規模の大小を問わずあらゆるタイプの農家が参画していけば、そのような活動が、そこで生産される農産物への「soil-safe-food」ラベルを、広く消費者を含む一般に広がっていくことだろう。こうした土を回復する活動(ムーブメント)は農家を越えて広く消費者へ広がっていくべきだろう。

「SOS」活動の成功の成否は、多面的かつ長期にわたる広報・啓発活動にかかっている。人々の行動に大きな影響は与えるのは芸術(アート)であり、エンターテイメント(娯楽)である。このことを、科学的なイニシアチブを進める人はよく分かっていない。かつて、テレビ番組が人々の行動に大きな影響を及ぼしてきた。これには、いろいろな実例がある。

ゴアの「不都合な真実」のようなドキュメンタリー映画は、こうした科学的事実に基づく新たなエンターテイメント映画につながり、それが人々の気候変動問題への啓発にもつながっている。

ビデオゲームには、農場管理や植物育成のゲームなどもある(*日本では「千穂のサクナヒメ」という稲づくりをしながら鬼退治をするゲームが有名)。これらを活用しない手はない。

「SOS」活動を成功させるためには、その活動へ、いかに人々を連携させるかについて、さらに言及されている。人々への啓発活動では、活動しないことによるネガティブな結果よりも、協働によるポジティブな結果を強調し、その上で、過剰な期待(overpromise)を抱かせないように注意する必要がある。

オバマ大統領がホワイトハウスのスタッフへ「私たちが行うすべてのことに、可能性を吹き込む必要がある。私たちは、未来を恐れていない」と書いた小さなカードを配って、この精神を植え付けた。これは一見、空虚な楽観主義のようにも思えるけれど、オバマ氏は、しばしば合衆国の躍進、人のもつ精神力と独創性を挙げて、スタッフを鼓舞していた。この本の読者と、この楽観主義をシェアしたい。土壌侵食と気候変動という大問題に万能薬はない。でも、恐れることはない、人間の独創性と土壌のもつ再生力が一緒になれば、不確かな未来から私たちを救ってくれる。


本書を読み終えて:

土壌侵食・土壌劣化による文明の衰退は、カーターとデールの「土と文明」、モンゴメリーの「土の文明史」などで著されてきた。これらの著作では、過去のみならず現代の土壌劣化の深刻さも指摘されており、現状と将来への危惧の念も述べられていた。ここでとりあげたHaldemanの著作では、そうしたこれまでの指摘を踏まえながら、、オバマ政権下にホワイトハウスで科学技術政策の助言をしてきた経験から、「これからどうすればよいか」が、政策的な視点も含めて述べられている点に特色がある。

2章から5章において、地球史、土壌や土壌侵食に関わる解説がなされるが、微生物学者ならではの記述が興味深かった。著者の個人的経験(母親を薬剤耐性菌による細菌感染症で亡くす)から学生を巻き込んだ土壌微生物から抗生物質探索プロジェクトが紹介され、土壌断面調査コンテストの様子から、いかにして土壌を分類するかという解説へ進む。うまく読者を引き込むものだと感心する。

本書では、「カーボンヒーロー(土壌侵食を防止し、土壌炭素隔離農法を進める農家)によって生産された農産物(soil-safe-food)」へラベル表示を行い、消費者を含むフードシステムのさまざまな関係者がこのラベルを通して、土壌保全(土壌侵食防止・土壌炭素隔離)活動を支えることの必要性が提言される。

 現在、世界的に農業に由来する環境負荷(土壌劣化のみならずGHG排出、栄養塩類負荷、水資源枯渇等)が、特に気候変動との関連で注目され、負荷軽減のためにさまざまな対策技術や施策が進められようとしている。Haldemanが提案するsoil-safe-foodラベルは土壌保全の啓発の面で大きな可能性を秘めており、ラベル制度を通して、土壌保全が進められることを期待したい。ただ難しさもあるだろう。

 一方、消費者を含め一般市民の環境問題への気づき(awareness)を促すために、カーボンフットプリント(製品の原材料から加工・流通・消費・廃棄に至るGHG排出量を消費に表示)などの環境ラベル表示が国内外で制度化され、普及が進められつつある。しかし、わが国の農産物・食品のカーボンフットプリントの普及は遅々として進んでいない。制度のスタート時から各種の委員会で行政のお手伝いしてきた私個人としては忸怩たる思いである。環境ラベルを通した啓発活動だけによって、消費者の行動変容を引き起こすことはなかなか難しい。どうしたらよいだろうか。

久しぶりに英文の本を通読した。理解不足の部分も多々あるが、いろいろな面で勉強になった一冊であった。


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