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嫉妬の正体。それは歌うこと?


わたしにとって
歌うことの意味、みたいなものが
おぼろげながらも分かってしまった。


きっかけは、高橋幸宏氏の訃報でした。




2/2のFacebookに
こんなことを書きました。



〜〜〜


3週間前の
高橋幸宏氏の訃報には
かなりやられました。



有名人の訃報、としてキャッチした通知が
じわりじわりと心を侵食して


なんでこんなにも落ち込む?

と自分でもビビるくらいに凹んでいって。



何だろう?一体何なんだろう?
と振り返った時に
感じたのは



本当に(わたしにとって)大切なものを
その人から受け取っていたのだ。ということ

すっかり忘れていたそれに
気づかされた。
その人がいなくなってから。



本当に大切なものを
受け取っていたのだな。という気づきです。



もう会えない、と分かってからしか
その事の大きさに気づけないんだから

ニンゲンって、バカだよね。




それともうひとつ気づいたのは
その受け取っていた
大事なものが

その人にしか
産み落とせないもので



そこに私は
猛烈に嫉妬してた。ってこと。



〜〜〜



ズドドドドン、と落ち込んで
なかなか上がれず

このまま、落ちたまんまで
2023年が終わるんじゃないかー

くらいに思っていた(いやマジで)




つか嫉妬って何よ?…ってね笑





重力の井戸の底で、
あーーーーーぁぁぁ!
そうかぁぁぁーーーーーーーっっっ!!!




って、突然
合点がいったのだ。





つくったその人が
亡くなっても、いなくなっても


歌は
誰かが歌ってる。



聴き続ける人がいる。

だけでなく

歌い続ける人がいる。





そうやって
誰かが作ったものが
その人が亡くなった後も

違う誰かの中で
生きていること



そこに
強烈に萌える。


し、そんな
誰かの中で生き続けるほどのものを
遺して逝った人に


めちゃくちゃ




ありがとう!!!

だし、

大好きだぁーーーーーーーっっっ!!!


なんだ。



ちょっと考えれば
バッハだってモーツァルトだって
同じなんだよねぇ。



あ、違うか。
わたしはバッハやモーツァルトが生きた時代を生きてないもんな。



そう、自分と同じ時代を生きた人が
さよならするけど
遺してくれるものがある



そこが嬉しいんだ。
本当に嬉しいんだ。


誰かの中に、残るほどのものを作り出す
そんな人に嫉妬してるって
そんなからくりだったよ笑


私が一番聴いていた“ユキヒロ君”は




『BROADCAST FROM HEAVEN』
1990年

まるで音楽絵本?みたいだと思った天国からの中継




『A Day In The Next Life』
1991年

神を忘れて祝へよX'mas time
ひとりひとりが愛となれよ




『Life Time, Happy Time』
1992年

夢が違ったって 愛に迷ったって
いつか別れたって 君は素敵なんだ


“大人の純愛三部作”と呼ばれた
3枚のアルバム




ホント、めっちゃ
暗いし痛いし
よくぞここまでネガティヴに!って位の3枚なんだけどね笑

この暗さと痛さが
大人の世界を見るようで、喜んで聴いていた
子どものわたし笑


久しぶりに聴いてもやっぱり
痛かった笑笑


暗く鬱屈とした心世界を
こんな素晴らしい音楽アルバムにしてくれた

そのリリースに立ち会えた

そしてあなたがいなくなっても
あなたの音と声に
触れていられるしあわせ



歌はつくれないけど、歌える
だから歌うんだよ

うたうこと、それは
ひとつの祝福なんだね。



もう会えないと分かって「しまった!」と思ってしまうほど、大事なことを教えてくれた人に

胸を張れるほど、わたしが
わたしそのもので居るために

歌うんだ。



(画像はすべてお借りしました)

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