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「よろこび」を真ん中に

ずいぶん長いこと
「正解」を求めてきたものだなと思う。

正解なんて一人ひとり違うし、合っている間違っているなんてないかもしれない。

なのに、
「どっちがいいかな?」
なんて考えている自分。

それはあまりにも無自覚で反射的なものだから、こう言われるまで気づかなかったけれど、最近受けた意識のワークのトレーニング中に、トレーナーの先生がこんな話をしてくれて、ハッとした。

クラス中、彼女が紹介したいと思った二つのワークのうち、どちらを伝えるか決めるタイミングのこと。

「次はどちらにしようかな」
 ・
 ・
 ・
「あ、ちょっと待って。」と先生
「今、どっちがいいかなって考えてたのよね、わたし。
どっちがいいかなって時、だいたいその背後にあるのは「べき」的な発想なのよね。えーと、今までのクラスの流れを踏まえて、わたし、どちらのワークを伝えたいんだろう・・
どちらも繋がっている内容だし・・
よし、こっちやりたいな。」

って。

そうか!!
「どっちがいいか」って時に正解を知りたい時のことが多いいんだ。
正解を探してるから、なかなか決まらない。
だって、状況次第でそれはいかようにも変わってしまうから。

そうはいっても、「どうしたい?」ってこれまた難しい。。
どうしたいかって、小さい頃はこんなに考えたっけ?

いや、考えるんじゃなくって、感じるんだよね。
そのためにはどれだけ緩んでいるか。
どれだけ、自分の素のままを受け入れているか。
今どんな状態であろうと、それを判断することなく「そうか。そうか」って一旦それを引き受ける。
その上で、自分が望んでいることは何?

自分の深いところから感じるもの。

「どちらの方が気分が上がる?」
「どちらの方が嬉しい?」
「どちらが楽しい?」
「どちらが自分にとってよろこび」

講座の中でも、ひたすら「よろこび」が大切にされていた。
いつの間にか
「べき」だとか「べきでない」と考えるようになって、正解を求めるようになって、だんだんに自分の「たい」を忘れてしまっていた。
わたしにとって「どうしたいか?」はいつか遠くに置き忘れてきたもののようだった。

それでも、自分のたましいや心、身体が喜ぶことを許していく。
よろこびを中心に置く生き方。

まだリスタートしたばかりだけれど、すぐに「たい」が見つからないこともあるけれど、すごくシンプル。そして、シンプルになったら、望みを抑えるために使っていた分のエネルギーがいらないから、とっても軽い。

自分の「たい」そして「よろこび」を中心に生きていこう。

ある女性の存在感とリアルな語りに魅せられた約半年前。

気になって、その訳を聞いてみると、彼女がここ数年実践してきたことは、女性(身体的性別に関わらずエネルギーとして)のための意識のヨガ、もしくはトレーニングなのだという。

昨年末に実際に体験させてもらって、すごくシンプルなのに体感的な変化が大きく、もっと知りたい、むしろなぜか直感的にわたしが見たのはこれを実践しながら人にも伝えている自分の姿。
確信にも近い感覚で、飛び込んだティーチャー養成講座は、想像をはるかに超えて本当に素晴らしいものだった。

自分の存在性とあり方・行動を持って、わたしをここへと導いてくれた素敵な女性に感謝。
ありがとう。麻子ちゃん。アムリタさん。ご一緒したみなさん。

ここで得た体感。また何回かに分けて書き綴っていきたいと思います。

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