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中1の担任について

今回は、担任の先生について書いていきたいと思います。三種多様と言いますか、皆様それぞれ個性が強かった記憶があります。

そもそも、私がいた中学校は1年生から3年生まで全部持ち上がりなんですよね。けれども私の代では、学年主任も変わり、クラス担任持っている先生が3年間残ったのは一人でした。どんな理由があってエピソードがあるのか・・・。

まず、原因はうちの担任でした。転任早々学年主任を任されてました。社会科でA先生と称しましょう。確か今の私と同年代です。チェッカーズが好きでよく歌ってたのを覚えています。ただ、第一印象は最悪なんですよね。4月7日の朝に初めてクラス分けの紙貰って、1年生の校舎に入るわけです。したら、1組(仮)の教室に行くと小学校の友人がいました。挨拶しようとしたら、担任が

「おい、何時だと思ってるんだ。遅刻にするぞ」

「はい?」みたいな出会いでした。

8時20分集合でしたので15分頃入ったのを覚えています。A先生はそれでも遅いらしいです。25分になると、ホームルームが始まりまして、先生の自己紹介が始まりました。「俺は、弁護士志望だった。しかし仕方なく教師をやっている。」「ぶっきらぼうで悪いが、よろしくな!」
当時、クラスがざわついたのを覚えています。遠回しに「俺は仕方なく教師やってるんだい。」ですからね笑

今でも同窓会での語り種ですけど、国立大まで出ていて頭は良かったんですが、教師としては失格なタイプ。いじめ問題があっても

「お前ら、俺をクビにする気か!」
「うちには子供が生まれたばかりなんだぞ!」

「知らねーわ。。。」、「マジありえんていーだし。」と女子がキレてましたね。なぜいじめが起きたのか、どうしたら止むのか、ホームルームで語る場なのに、身の上話をされて逆ギレでした。加害者も被害者も唖然としてたのを覚えています。

3年生になると、クラスを任されなくなり副担任になりました。たまたまうちのクラスになったので、実質二回お世話になりましたね。私立専願になった時に、高校の担当者と入試相談してくれました。卒業後、今で言う主幹職?教務主任みたいな形で3年間で転任しちゃったようです。同僚の先生にも会議や生徒指導で喧嘩してる場面を見ていたので、事なかれ主義は大人の間でもあったんでしょうね。

中2の担任について


実は3年間お世話になった中で一番面倒くさい先生でした笑
技術の先生でB先生と言いましょうか。母校で2回卒業生を出していて、前回の時は学年主任。ベテランのようです。うちのA先生と仲が悪い話は有名で、合唱コンクールの時に講堂で事件がありました。あるクラスが歌が下手すぎて披露できなかったんですよね。したら、、、

A「おい1組どうした!こんなんじゃ発表会間に合わないぞ。」
B「A先生、貴方の指導に問題あるんじゃないですか。生徒のせいにしないでください。」
腕を背中に置いて横向きで話しかけました。冷酷に目を光る形で指摘したのです。

A「B先生、そりゃ無いですよ。私が歌ってるわけじゃないんだから。」
B「A先生、水掛け論になるだから、またどこかで話しますよ。」

みんな、一瞬「えっ嘘だろ。」まさに時が止まった瞬間でしたね。噂はほんとうだったんだ。。という所で目が点です。

B先生は、3年間で唯一クラス担任だった人でした。1年生の頃3組。2年生は2組。B先生は、ただ、細かい人で指示出しの事だったり、ゴミの分別から持ち込んでいる文房具まで口出しをします。クラスで決めた事が守られてないとお仕置きが待ち構えていました。

通常、部活がある日は17時過ぎで最終下校だったと思います。掃除があっても16時までいなかったんですよね。それが、ある時学級日誌にとんでもないことを書いた生徒がいました。

B先生は、ハゲ。若禿はアートネイチャーへ。

帰りのホームルームに黒板にこれをB先生が書き出しました。余程頭きたのか筆圧が強すぎてチョークが折れてしまう場面も・・・苦笑い。しかし、表情は凄い怖いです。怒髪天を突くが如き、怒りのフェイス。

B先生「おい、今日これ学級日誌に書いたやつ誰だ?」

「・・・・。」シーンとしたクラス。

「おい!このままじゃお前ら帰れねーぞ。」
そう、1年生の時から同じ生徒はよく知っているのです。決まり文句が守られていない、自分を中傷した生徒がいたら名乗り出るまで帰らせないお仕置きがあったのです。

10分、20分、30分。時計を見ると16時半です。
無言の中、何人か苛立ちをし始めました。

「いい加減名乗り出ろよ。夕方から塾があるんだ。」

「親に買い物頼まれたから帰らないと。」

「ダルいから、先生そろそろ帰っていい?」

と言った言葉が並び始めた頃、B先生は、再び怒り出しました。そう、彼らは悪いと思っていなくて、早く帰りたいだけなのです。つまり反省する事なく、自分のことしか考えていない。それを犯人に対して同調圧力で巻くしてている始末。

結局、最後は17時近くまで残されました。犯人は誰か分からずそのまま黙殺されました。これは、帰り一緒に帰ったクラスメイトが話してましたけど、違うクラスが怪しいような観点で言ってました。未だに謎めいたオチです。

こうしたことで神経質な先生で有名でした。3年生になると1組の担任となりまして、さらに柄杓をかけたとか何とやらみたいです。私とは、見事に縁が切れましたけど。この人は、3回卒業生を出した段階で遠くに転勤していったようです。10年近くいたので、長かったんでしょうねえ。

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