養護学校義務化からインクルーシブ教育へ
日々クーラーのお世話になっている。日中もさることながら夜に寝室を冷やすことで,そこそこ快適な睡眠を得られている。昨年は毎日のように腓返りで目覚めていたが,今年は大丈夫そう。もうクーラーなしでは札幌の夏は考えられない。
先週からW講義が始まり準備に追われていた。合間に積丹に朝採れの生ウニ丼を食べにでかけた。
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学習障害の講義の最終回はインクルーシブ教育の話。いろいろと過去の振り返りを。そんな年なので。
障害児教育の大きな分岐点の一つが,1979年の養護学校に義務化。国際障害者年前に政府が動かざるを得なかった。当時は2万人以上の就学免除・就学猶予の子どもたちが在宅していた。もちろん今みたいに通える場やサービスも無かった。
障害のある子どもたちに教育を受ける権利を保障したという点では画期的だった。一方では障害のある子どもを地域から分離したという点で問題を残した。当時,文部省前には義務化を阻止を訴える当事者を中心とする人たちが集まった。
これ以降,通常教育と特殊教育と二元論的な教育が行われるようになった。養護学校は全国に設置されるようになった。
その動きの中で,「分けること」に対して「新たな差別を助長する」とし「健常児と障害児が一緒に学ぶことの大切」と考え活動に取り組んできた人たちも多数いた。
90年代に入り思い出深いドラマのシーーんがある。「一つ屋根の下」で車椅子の文也くんが地域の学校への編入を断られ,兄弟で学校を眺めるシーンがあった記憶が。署名運動とかしたのかな・・・記憶が曖昧で。
この年に,「北海道・障害児普通学級入級訴訟」があり,旭川地裁判決理由は「通常の義務教育学校は明治以来、極端な個人差を持つ者は就学して来ないのが前提だ」というものだった。合意なく一方的に特殊学級に措置した教育委員会及び校長に違法性はなかった。
次の年にサラマンカ宣言が出され,インクルーシブ教育が教育の主流となっていく。
本来なら日本でも「一つ校舎の下」となる流れになるはずなのだが・・・。
中教審が「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築」を報告したのが2010年。
なかなか進展していないのが現状。
総理が北海道に来て「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部」を設置すると・・・。
まずは教育をどうするんだろう。
環境を整えることとインクルーシブ的な思想を持った人材を育てることだと思うのだが。
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