学習障害の講義をしながら・・・混迷する定義に
クーラーデビューがないまま7月の三連休を迎えた。6月で障害保育の講義を終えたので先週までは学習障害の一コマのみ・・・のほほんと異世界小説の沼にはまっていた。今週から学習心理学が始まり夏休みまで昼休みを挟んで2コマ連続・・・年寄りにはきつい。
ギフ寺で、ちびっ子に世間話の流れの中で勉強したほうがいいよと言われた。ちゃんとnoteにまとめないと。
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学習障害の講義ものこすところ後2コマ。悩み多き講義。
講義の途中で「学習障害は難しい」とついつい口を滑らしてしまう。
そもそも学習とは何か。一般的には知識や技術を習得して、生活に活かしていく。人はより良い生活をするために学習する。
明治以降、義務教育が広がり,せめて読み書き計算くらいはできるようになって欲しい・・・社会の中でそんな土壌が生まれてきた。
戦後になって、「学習」に対する比重が大きくなっていた。求められる学習内容も時代とともに広がっていった。読み書き計算にとどまらない。
「学習」という社会的要求というか今の時代に求められている。以前の社会は,読み書き計算はそれほど必要とされなかった。
ボスが「学習障害は、社会的要因を強く有するもの」と述べている。
さらに「捉えきれないものをあえて命名することで「捉えた」ものとして扱うおうとしている」と。
講義をしていたら、少なくとも読み書き障害と算数障害の発生機序は基本的に異なる。それを「学習障害」という一つの領域に無理やし押し込んでしまった。
より混迷を深めるのは「算数障害」・・・。
講義をで、算数(数学)嫌いの人に挙手してもらうと半数以上。多くの人が算数嫌いであり算数に困難を抱えている。
算数障害と低学力と算数嫌い・・・切り分けるのが難しい。
さらに定義に「計算する又は推論する能力」と。推論は算数だけではなく他の教科,問題解決にも欠かせない能力。「又は」・・・計算障害もしくは推論障害のどちらかということか?
推論は、国語、社会、理科でも求められる能力。「WISC-Ⅳの臨床的量と解釈」では言語理解の解釈で知識ベースと推理ベースという説明がなされていた。
ある意味、「推論」は「読み書き計算」に比べて高次なのではと愚行するわけで・・・。
二重課程理論で言えば「推論」はシステムⅡが主に司るわけだ。
そして「学習とは何か」に戻ってくるわけだ。悩みは続く。
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