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辰野金吾

おはようございます!

昨日、大学で『辰野金吾(佐賀偉人伝)』という本を読みました。
100ページほどで薄く、内容もすっきりしていてすごく読みやすかったです!


辰野(1854-1919)の工部大学校時代、コンドル、欧州留学、バージェスとの話など初めて知ることが多く、とても面白かったです。

その中でも今回ピックアップするのは「辰野式」について。

明治39年 旧第一勧業銀行京都支店
(現在のものは平成15年に再建)

東京駅に代表される、いわゆる赤煉瓦と花崗岩のダンダラ模様のものです。

本の著者は「辰野式」と呼ばれるようになった理由を調べていました。
「ルネサンス式」などと呼ばれても「辰野」式のように個人名が付くことは珍しいという。

では一体なぜ・・・


時代は明治末、大正期。

それまでは西洋から様式を学んで建築を設計していました。

しかし大正9年の分離派建築界結成に代表されるように「もっと自由に表現しよう」という動きが当時の若手建築家の中で起こります。

大正4年 豊多摩監獄(後藤慶二)


そこで様式建築で日本最高クラスの建築家であった辰野を指して
「あんな辰野式なんて」とディスったわけです。
(+彼らは辰野のデザインを稚拙だと思っていた)

しかし、50年代に藤森照信らが「辰野式」の意味を好転させて辰野の個性としてポジティブな印象を加えました。


なるほど~、
「ロマネスク」「ゴシック」もそうですが、
後の時代に過去の文化をディスった名称が浸透していることって結構多いですよね、

おもろ


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