カマキリの母親 第四話
子供の頃に、妙な記憶がある。と、鈴木さんは語った。
「先生は信じやしないかもしれませんが、私、結構由緒正しい家の子供でしてね。一応、家長候補の一人だったもんで。昔はなんの意味があるんだかわからない、色んなしきたりなんぞが仕込まれたものです」
――なんでも良いから話してください。子供の頃でもいいですし、ごく最近のささいなことだって構いません。
たしかにわたしは彼にそう言った。そしてこちらのどんな言葉にも終始無言を貫き、ただただ完璧なアルカイックスマイルを浮かべていた鈴木さんが、初めて反応したのがその『子供時代』というキー・ワードだったのだ。
「お辛かったのですか?」
「いいえ。べつに。どの家庭の教育だって、そんな安易なもんじゃあないでしょう。あっちだって守んなきゃなんないもんを守ろうってしてんですからね。たとえそれがはたから見たらどれだけ荒唐無稽なことだったとしても」
スラスラと、まるであらかじめ決められていたセリフを述べるかのように彼は語った。今までの無言が嘘のような饒舌な様子に、わたしはなんだか肩透かしを喰らったような、それでいて何やら別の緊張を強いられているような、妙に居心地の悪い心持ちがした。
「なるほど。それで、その妙というのはどんな記憶なんでしょうか?」
「ウチの父はそれこそ厳しい親で……というより、なんていうんでしょうかね。規律には確かに厳しいんですが、激しく叱られたという記憶もない。感情を表に出さないんですよ。人間というより、冷たい、岩のような人でしたね。その父が、二度だけ泣いたのを見たことがあるんです」
「泣いた?」
「ええ。一度目は私の祖父に……といっても、もうこちらは他界してますが、急に呼び出された父が何やら耳打ちをされたのです。私はそれを確か襖の向こうで覗き見ていて、話しの内容までは聞こえなかったのですが、父はそれを聞くと、途端にボロボロと泣き崩れたんです」
「それは、確かになんだか尋常でないですね」
「でしょう? それに、父はたぶんあの時、泣いてもいましたが、微笑んでもいたような気がするんです。まるで、やっと何かを許されたような、認められたような、報われたような、あれはそんな泣き方でしたね」
「ははぁ……なるほど。それで? さきほどお父様が泣かれたのは二度、とおっしゃいましたが」
「ふふふ。先生は見かけによらず、せっかちなんですねぇ。ああ、でも、もうそろそろ時間なんじゃあないですか?」
鈴木さんの言った通り、腕時計は面接終了時刻を今まさに指そうとしているところだった。
「本当だ。すごいですね鈴木さん。時間ぴったりですよ。ではまた来週、続きから、よろしくお願いします」
鈴木さんは普段はただじっと身じろぎもせずパイプ椅子に座っているばかりだったが、その日は初めてこちらの挨拶に応えた。
「さよなら。先生」
それが、鈴木さんの奇妙な物語を聞くきっかけであった。
「――こんにちは。鈴木さん。さっそくですが今日は先週の続きからお話しして頂けますか?」
「おや。そんなに楽しみにしていただけてたんですか?」
「まぁ、話を聞くのがわたしの仕事ですから」
「ふーん。聞かなきゃ良かった。ってな事もありそうなもんですけどねぇ」
「え?」
「いえ、なんでもないですよ。先生」
鈴木さんは力を抜いたようにだらしなく椅子にもたれて、しばらくじっと考え事をするように、目を伏せた。
「時に、先生。先生は親戚って多いですか?」
「は?」
「いや。親戚じゃなくてもいい。知り合いでもいいし、なにかそんな風に、大勢の誰かと交流がもてますか?」
「すみません。質問の意図がよくわからないのですが……」
鈴木さんは何を考えてるのかわからない、あのアルカイックスマイルのまま、わたしをじっと見た。
「ああ、変なことを訊きました。すみません。どうかそんなに警戒なさらないでくださいね。いえね、こんな所に長い間入れられてると、さすがに人恋しくなるもんなんですよ」
人恋しいだと? はたして本当にそうなのだろうか?
しかしこれでまた無言に戻ってしまっては困る。今は深く追及するのはよしたほうが良いかもしれない。わたしはそう考え、小さなメモ帳に書きとめるにとどめた。大仰なカルテの用紙よりも、こちらの方がいくらか心を開きやすいかと、いつも持参しているものである。
「おや。それ……」
「あ、申し訳ありませんが、見ないで下さいね。一応あなたのカルテ代わりなんですから」
「ああ。いえね、これから話すことにとても役に立ちそうなので。つい」
「役に立つ? どういう意味です?」
「先生、私の子供時代の話を聞きたがっていたでしょう?」
必ずしもそれに限ったわけでもないのだが、鈴木さんがあまりにも乗り気なので、一応頷いておくことにした。
「ウチには、代々受け継がれる物語があるんです」
「物語?」
「はい。おそらく子供に訓戒を与えるための他愛もない怪談話なんですが、全部で四つあります」
四? それはまたなんとも嫌な数字だった。
しかし鈴木さんは、別段必要以上にこちらを怖がらせる風でもなく、いつもと変わらない平坦な声音である。
「それを先生にこれから一つ一つ、お教えします。なので、そのメモ帳がおおいに役立つと思いまして」
「はぁ」
煮え切らない返事を思わず返してしまったが、鈴木さんは特に気分を害した風でもなく、むしろ念を押すように、わたしの手元にあるメモ帳を見やった。
「来週からお話ししますから。しっかりメモに残しておいてくださいね。では、さよなら。先生」
腕時計を見ると、やはりそれは面接が終わる丁度一分前だった。
予告通り、鈴木さんはその代々受け継がれてきたという怪談話を三つまで話してくれた。最初の主人公は『斉藤さん』、次に『高橋さん』、その次が『田中さん』。図らずもみんなこの日本にはよくある苗字ばかりで、内容も非常に覚えやすいものだった。
そして最後の四つ目の物語を話すことになっていたのがまさに今日だったわけだが、鈴木さんの話しの出だしがいつもとは少し毛色が違うようだった。いや、むしろ随分と前の話題が、今さら妙なタイミングで戻ってきたと言ったほうがいいかもしれない。
「ウチの父が泣いたって話しがあったじゃあないですか」
「え? あ、ハイ」
「一回目に泣いたって話を先生にした後、噂をすればなんとやらなのか、父が面会に来ましてね」
「そうなんですか?」
「はい。で、この機会だからと思って訊いてみたんですよ。そしたら父も実はその件で話がしたかったらしく。長年の謎が、解けました」
何故かは、わからない。しかし、その時わたしは背筋がぞっとして、思わず元来の猫背を正していた。
「ウチの家系には例の怪談話だけじゃなく、面白い逸話がたくさんありましてね、なんでも、一族の始祖が人間じゃなくて、カマキリの化け物だって言うんですよ」
わたしは、直感した。右手はもうすでにメモをとりはじめていた。これがおそらく最後の話。『鈴木さん』を主人公にした物語だ。
カマキリの化け物と聞いた時、わたしは極端に「なんだそれは?」とはならなかった。どちらかというと最初に思い浮かんだのは、鈴木さんが最初に語った一つ目の物語、『終点のカマキリ』だったのである。
鈴木さんもわたしの表情の機微に気づいたのだろう。「そうそう。それですよ」とでも言うように頷き、ひょいと肩をすくめた。
「ご存じの通り、斉藤さんは死にたがりでしてね、カマキリはあんまりにも死んでほしくなかったもんですから、祈りをこめて話を作ることにしたそうです。四つの物語をすべて聞くことによって完成する、まぁ、端的に言えば儀式ですね」
「儀式?」
「そうです。そしてその儀式は確かなご利益のあるものだった……と、聞いています」
「聞いています、というのは?」
「すみません。最初に私は先生に嘘をつきました」
「えっ。嘘、ですか?」
「私たちは子供の頃にこの話しを聞くと言いましたが、実際は違う。この物語は家長が決めた次の家長にだけ受け継がれ、使用と管理の全てが任されます。なので私なんかは、その存在すら最近になって知りました」
つまりその物語を家長から聞くという名誉が鈴木家の伝統ということらしい。しかし、わたしは首を傾げていた。
「どうしてその物語が家長直々のそんな大それたものになってしまったんですか?」
「祈りがいつか呪いに変わることもあるかもしれないからです」
鈴木さんは、ゆっくりと、そう囁いた。
「祈りが呪いに……?」
ここで、またしてもどこかで聞いたような話しだと感じたのは、三番目の『最後の田中さん』の物語を聞いていたからだった。
「ああ。なるほど。わかりました。田中さんですね」
意図せず揶揄するような口調になってしまったが、鈴木さんの嫌に飄々とした調子は崩れることはなかった。
「ええ。まさにそのとおり。人間の平均寿命が短い時は齢六十まで生きれる
ありがたぁい祈りだったとしても、こと現代におかれましては、たちまちに寿命を限定させてしまう呪いの儀式となってしまいます。そしてもう一つ、この怪談話が呪われた物語だと伝えられているのは、その作られた経緯の、あまりのおぞましさと複雑さからきています」
作られた経緯のおぞましさと、複雑さ……。
「さて、それでですねぇ、この前の面会の時、家長である父は私にその物語を使ったんですよ」
『伝える』ではなく『使う』。その言い様に、わたしは思わず鈴木さんを見た。そして、パソコンのなかにファイルされている彼の年齢と誕生日が、脳裏をよぎる。
「鈴木さん、あなた、もしかして一ヶ月後に六十になりませんか?」
「ははは。私の誕生日、憶えててくれたんですねぇ。光栄だなぁ。はい。いかにも。なので、もしこの話が真実なら、私は誕生日を迎えたその日、生まれた時刻を一秒でも過ぎれば死ぬということです」
「そんな……」
「ふふ。どうですか? これが、四つめの物語。『家長の告白』です。ちょっとは納涼になりましたかねぇ」
それは鈴木さんの雰囲気におされて、怪談話しを信じかけたわたしをからかい、ほんの冗談だということで物語を終わらせたようにも見えたし、鈴木家の家長にもなれず、身内に呪い殺されるという運命を、ただただ諦めた笑いを浮かべながら、受け入れているようにも見えた。
「冗談ですよね? まさか本当に死んでしまうだなんて事ないんでしょう?」
「おや。先生はお優しいんですね。出会って日の浅い私なんかの命でもそんな風に惜しんでくださるので?」
「いや、だって、そうだ。やっぱりおかしいですよ。家長であるお父様はそれをあなたのお祖父様から聞いたんですよね? それじゃあ、もうとっくにお父様だってお亡くなりになってるハズじゃないですか?」
「ええ。でも、まぁ、そこはねぇ。どこの怪異譚だっておんなじように抜け道があるんですよ」
鈴木さんはニヤリと笑った。
「一番の家長候補が還暦を過ぎた後、その一年後に家長はその者を自室に呼び出し、件の物語を口伝するのです。そして、その使用と管理の権利を譲渡する。このように、還暦を迎えた後にこの話しを聞いた場合、儀式は発動しません。何故なら、これはもともと死んでほしくないというカマキリの想いが根幹になっているのですから」
鈴木さんはそこで、なんともイヤぁな笑みを私に向けた。
「そういえば、時に先生。先生は、おいくつでしたっけ?」
その時、この男はきちんと覚えていたのだと思った。最初の頃、終始無言を貫く鈴木さんにわたしが話した、当たり障りのない自己紹介やら近況やら天気やらの、くだらない話を。
「あなたと同じ、五十九歳ですよ」
「おや。でもまぁ、お誕生日はたしか冬ですよね。だとするなら、私よりはまだいくらか時間があるわけだ」
「時間があるですって? でもその話しをもし信じるとすれば、わたしもどうしたって次の誕生日に死んでしまうんじゃあないんですか?」
「ええ、でもね先生。せっかちを起こしちゃいけません。なんだかこの話し、昔から受け継がれてるくせして、妙に新しいとは思いませんか? 電車だとか、街灯だとか」
「あ、ああ。そういえば」
「実はもう一つ、抜け道があるんですよ」
「え?」
「広めちまえば良いんですよ」
「広める?」
「そう。伝言ってのは広まれば広まるほど自然と形を変えていくもんだ。おまけに人間は物語を誰かに伝えるときに、各々の倫理観や価値観で無意識に言葉を選ぶんですよ。つまり、広まっていくうちに内容が変わって、結局消えちまう話しなんてザラだってことです。それと同じくこの物語も元の内容が消えるほどに周りに広めればいい。そんで冬が来るまでに物語が消えたら先生の勝ちだ。儀式は完了しません」
「勝ちって……」
最初に鈴木さんが、わたしに知り合いが多いかという話しをしていたことを思いだす。あれはそういう意味だったのか。
「つまり、死にたくなければ、わたしが不特定多数の人間にその四つの物語を教えて、広めろってことですか? でもいくら物語が改変されようと、オリジナルの話をわたしが憶えている時点で、意味がないのでは?」
「いいえ。この物語は、今、この瞬間のあり方が真実なんですよ。本来はどんな話しだったか、だなんてのは全然関係がない。現に、先に話したあの物語たちも、もとは一つの物語だったんです。それがバラバラに広がってしまったので、儀式の効力がいまだ残っている物語だけを厳選し、抽出し、組み合わせたんですよ」
なるほど。だから電車や街灯などの近代的なワードが物語に混ざっているのだ、と鈴木さんはそう言いたいのだろう。
「……しかし、ということはつまり、一度そんな風にこの怪談話が広がってしまったことがあったんですね? だとするなら、どのようにしてその選ばれた物語に儀式の効力が未だ残っていると判断したんですか?」
わたしがそう尋ねた瞬間、鈴木さんは浮かべていたアルカイックスマイルをかき消して、椅子のもたれからスッーと姿勢を正した。そのまっすぐな眼差しのなかに、確かに正気と理知の光が宿っているかのように見え、わたしは思わず固唾をのんでいた。
「なるほど。そうですよね。まぁ、気になりますよねぇ」
「え?」
「あまり気持ちのいい話じゃないので、本当は話さないでおこうかとも思いましたが、いつか何かの拍子に先生を助けるかもしれないですしね。それに知らないっていうのが、一番辛いことだってありますもんねぇ」
「なに……それは、どういう意味ですか?」
鈴木さんは一呼吸おいて、ゆっくりと昔話を語り始めた。
「私の地元は昔の地形では、かなりの山奥にありましてね、今でこそある程度の開発が進んでいますが、まだ名所として谷が残っています。その谷の底の平野を利用して、現在はヒマワリ畑で有名な公園ができていますが、もともとそこは城跡を中心とした小さな村だったのです」
「村?」
「ええ。そこは代々、伊藤家という長者の一族が治めていました。しかしお世継ぎが生まれず、仕方なく谷向こうの隣町にある佐藤という名家から婿殿をお迎えし、村を統治することになりました。ですが一つ問題がありまして」
「問題ですか?」
「はい。佐藤家と結納される肝心の伊藤家の姫様が、生まれつきあまりお身体が丈夫な方ではなく、跡取りはおろか、ご自身も毎年の冬も越えれるかどうか、というほどでした。なので長者様はなんとしてでも姫様の寿命を延ばし、跡取りを産ませなければ、と神様にもすがる思いだったのです」
そこに、カマキリがやってきたのです。と鈴木さんは囁いた。
「カマキリ?」
「そう。カマキリです。姫様はどうやら気立ての優しい方だったようで、ある日、越冬に難儀していた真っ白で立派なカマキリを助けたそうなのです。それが夏になって恩返しにやってきたのだと、そう伝わっています。このカマキリが本当の化け物なのか、または浮浪者や何か怪しげな術者の類の比喩なのかは判然としませんが。まぁ、どちらにせよそのカマキリの名前を、すずなりと申しました。そのすずなり曰く――」
これから四日の間、毎夜あたしが長者の姫様のもとへと通います。その折に、姫様のためにご用意いたしました身の毛もよだつ怪談話しを一つ、お聞かせ致しましょう。本来ならばそれを聞けばたちまちにその身は呪われ、肉は腐り落ち、やがて御身を死に至らしめます。しかし毒は場合によっては薬ともなる。そして、姫様のなかに根付く毒を制するには、やはり強力なる毒がふさわしい。この呪いにあたしと耐え抜き、最後まで物語を聞くことができれば、姫様はたちどころに生まれ変わったかのようにお元気になり、御身の健やかなご長寿をお約束申し上げます。
「それで、お姫様は長寿を手に入れたんですか?」
「ええ。ご長寿どころか、姫様はそれから一切齢もとらず、美しいお姿のまま千年も生きた、ということです」
「千年?」
生じた疑問を、わかっているとでもいうように手で軽く制した鈴木さんは、話をつづけた。
「ですが、すずなりはいくつか条件を出しました」
「条件、ですか」
「そうです。産まれてくる子が男児ならばお世継ぎとして伊藤家に残してもよいが、姫君ならば自分の嫁にともらい受けると。また、自分が通っている四日間は誰も姫様の姿を見てはならず、会話もしてはならない。そして儀式の間は姫様と自分を二人きりにして、誰もくだんの怪談話を聞いてはならず、儀式は途中で終わらせてはならない。必ず最後まで通わせる。と、そういう条件です」
なんだか雲行きが怪しい。古今東西、化け物のそういった申し出や約束事というのは、一度は穏便に飲まれたように見えても、あとあとになって目標さえ達せられれば、人間の方からことごとく破られてしまうのが、大体のオチではないだろうか。
鈴木さんもおそらくその昔話を聞いたとき、同じような思考をたどったのだろう。かつての同胞をあざ笑うかのように、軽く鼻で笑った。
「まぁ、お察しの通りですよね。四日目の夜明けを待って、控えていた家来のものたちが姫様の部屋から出てきたすずなりを密かに斬り殺したのです」
「それをお姫様は?」
「いえ、彼女は最後までなにも知りませんでした。すずなりは殺されたのではなく、お役目をはたして自然に死んだとされ、その死体も姫様には見せられることもなく、丁重に葬られた。すべてを差し向けたのは佐藤の婿殿です。儀式のためとはいえ、怪しげな化け物を大切な奥方である姫様のもとへと通わせるだけでなく、産まれてくる自分の娘さえもカマキリ風情に取られるというのが、彼には承服しがたいことだったのでしょう。まぁ、佐藤の行いも、そこまでなら気持ちはまだわからないということはない。ただ、まずかったのは、その後ですね」
「そのあと? まだ話が続くんですか?」
「ええ。穢れや障りを嫌った佐藤は、すずなりを殺すのにも普段の自分の家来ではなく、どこぞから拾ってきた元罪人の者や、行き場をなくした浮浪者や、孤児たちを使いました。そうして彼らに褒美として佐藤と伊藤から文字を取った『さいとう』という苗字を与えたのです」
「斎藤……」
「佐藤は長男ではなく三男坊でしたし、たとえ長者様の家に婿入りとはいえ、本家からは半ば厄介払いのように辺鄙な村へと送り込まれたという意識があったのかもしれません。そういった薄暗い劣等感や歪んだハングリー精神なんかが、たとえ普段は見て見ぬふりで通してきたとしても、いつかはじわじわと表面に出てくることとなる。すずなりの一件ですっかり丈夫になられた姫様を見て、佐藤は宗教によって村を大きくしようと考えました」
「それで殺したすずなりを、祀ったということですか?」
「はい。その魂を鎮めて功績を永久に残すためにと神社を建立し、姫様が賜ったご利益を、恵まれない者たちにも分け与えようと姫様をうまく唆し、まずはオリジナルの物語を文書に残させた。しかしねぇ……この佐藤という男は本当に用心深く、野心家で、何よりも頭が良かったんでしょうね。怪談話をすぐに村人に広めるのではなく、先に検証したんですよ」
「検証?」
「どのようにすれば、すずなりと長者の姫様が行った四日間の儀式が完全に再現できるのか。引き取ってきた何人もの斎藤さん同士を使って、実験したんです。何度も何度も。秘密裏にね」
なるほど。その物語は聞くと肉が腐り落ちるほどの強烈な呪いの力を持つとカマキリが言っていたのを、佐藤は恐れたのだろう。
「なんてひどいことを……」
「加えて神社が建立された次の年に原因不明の疫病が流行りましてね。儀式の完全な再現を急いでいた佐藤は、病のどさくさに紛れて、自分の実験場を拡大させたんです」
伊藤青年がその先に何が言いたいのか、何となくわたしにはわかってしまった。
「どさくさに紛れて怪談話が村人の間で広まったんですね?」
「はい」
そこでふと、わたしは鈴木さんが言っていたことを思い出し、ある発想に至った。
「――ああ、そうか。つまり、逆なんじゃないですか? これはべつに最初から六十歳まで寿命を確約する儀式なんじゃなくて……」
「ええ。ええ。その通りです。つまり、佐藤は結局のところ、すずなりが行った儀式を完全に再現することはできなかったんです。怪談話は村人の間で広まり、そのためにたくさんの人が次々に死にましたが、やがて物語の改変が起こり始めました。最初はごくごく細部から、そして広まる範囲が拡大されればされるほど、大きく。結局、一つの物語は四つ以上に分かれてしまった。皮肉なことにそれが功を成し、呪いの毒が薄まったんです」
つまり最初の千年のご利益が呪いの効力を薄めて、六十歳にまで縮んだのだ。しかし当時は六十歳でも十分に長寿だという意識があったので、そこで全くご利益がないという認識は生まれなかったのだろう。
「それから、どうなったんですか?」
「生き残った村人たちはほとんどいませんでしたが、その怪談話は結局、隣町にまで及んでいました。まるで疫病をカモフラージュにして蔓延する呪いのようにね。だから、その物語が広まったある一定のラインで、一番丁度いいご利益が発生したタイミングがあったんですよ。結果、佐藤の思惑通り、少しずつすずなり神社の評判が広まり、疫病からの復興も含めて、村には町の人たちがやってくるようになりましたし、生き残った村人と町人の交流が以前よりもずっと盛んになりました。そして伊藤家の姫様は、その頃にはもうすずなり神社のご利益を体現される生き神様としてお祀りされたのです」
「……なるほど。でもそれ以上物語が広まって改変が起きると、今度は逆に物語の効力が消えてしまうんじゃないんですか? もっと言うなら、ただ単純に消えてしまうならまだ良いですけど、その経過の段階で人々の寿命を今度は六十より若い寿命に限定させてしまう時期が現れませんか?」
「おっしゃる通りです。それを危惧した佐藤は、大いに悩みました。そしてそんな佐藤のもとへ女が一人現れたのです」
「へぇ。女性の方」
「ええ。伝承では名前が伝わっていないので、仮にその女を地元の名所にあやかって、向日葵さんと呼ぶことにしましょうか」
鈴木さん曰く、向日葵さんは斎藤家の者だったが、とても美しい容姿をしていたので、佐藤が特別に匿っていた女性だった。例の佐藤の実験も免れた彼女は、いつしか佐藤との子を身ごもってしまったので、秘密裏に村を出て、産まれた自分の子供としばらくの間旅をしていたというのである。
「その向日葵さんが、村に戻ってきたんですか?」
「ええ。それというのも、七歳になった自分の息子が妙なことを言うようになった、と言ってね」
「妙というのは?」
「自分はあのカマキリの生まれ変わりだ。あの儀式の秘密を知りたくば、私を斎藤ではなく鈴木家として正式にあの神社の血筋の者として迎えなさい、と。つまり、愛人の子に新しい苗字を与えて、新しい家として認めたうえで、面倒をみろってことですね」
なるほど。そこでカマキリの化け物が始祖であるという鈴木家の話に繋がるのか。鈴木さんは、それこそが鈴木家の始まりだと、そう言いたいわけだ。
「その子がすずなりの生まれ変わりだと、佐藤は本当に信じたのですか?」
「最初はどうだったかわかりませんが、最後には信じましたね。なぜならその子は、怪談話の扱いに長けていた。さすがに広まりすぎた物語を、再び元の効力のある一つの物語へと戻すことはできませんでしたが、今のご利益を一定に保ったまま物語を封印する『聞き納め』という儀式を佐藤に伝授したのです」
「聞き納め……」
「佐藤はその子供の言う通りに、方々に散った話しを集めて封印し、これ以上効力を下げないように、その後は一切口外せず、一族で管理することに決めました。この物語の収集と抽出ですが、先生が想像された通り、なかなかに苦労したようですよ。なんせ、その話を聞いた相手は一体何歳で死ぬのか、という綿密な追っかけ調査ですからねぇ。しかも事情が分かった一部の人間が秘密裏に遂行しなければならない。佐藤と鈴木と伊藤の御三家の結束が強まったのも頷けますよねぇ」
「もしかして、その検証にも斎藤さんの一族が使われたんですか?」
「一部はね。なにしろ没が多いのでほとんどは聞き取り調査ですが、可能性の高い物語をある程度厳選する際に斎藤さんたちは例によって使われたみたいです。もっと言うなら、最後の『聞き納め』の儀式に使われたのも、あの向日葵さんだったようですよ。本来、佐藤は口封じのためにも、すずなりの生まれ変わりだというあの子供を使いたかったのですが、母親は息子をどうしても守りたかったんでしょうね。まぁ、結局、佐藤はそんな母親の思いさえ、自分の良いように利用したんですがね」
「どういうことですか?」
「佐藤は斎藤姓だった向日葵さんを、儀式の直前に自分の親族の嫁として迎え、わざわざ佐藤の姓にしているんです。聞き納めを行ったという英雄伝を鈴木家に伝来する際に、あくまでも斎藤の名前ではなく佐藤の名前が残るようにね」
どこまでも胸糞が悪い昔話に、重苦しい空気がたちこめていた。もしこれがすべて鈴木さんの作り話だったとしても、確かに鈴木家の怪談話にまつわる由縁はあまりにおぞましく、かつかなり複雑であった。
「鈴木さん、どうしてわたしにこの話をしたんですか?」
「――さぁ、どうしてでしょうね。強いていうなら、先生の苗字も斎藤だったから、でしょうか」
あっけらかんと言い放った鈴木さんに、わたしは呆然としてしまった。
「あ、時間ですね。先生。ふふ。しっかし、おかしなもんですよねぇ。こう言った施設にも夏休みがあるだなんて。休み明けにまたお目にかかりたかったですが、父の話がもし真実なら、これが最後となるでしょう」
「ちょ、ちょっと。鈴木さん! 待ってください」
「時間は待ってはくれませんぜ。先生」
声はゾッとするほど冷たく、突き放したようなものだったのに、その時の鈴木さんは、笑っていた。あの何を考えているかわからないようなアルカイックスマイルではなく、ほっと安堵した老人のような、または悪戯を大人に挑む時の子供のような。皮肉な話し、その時わたしは初めて、本当の素の鈴木さんの姿を垣間見た気がしたのだ。
「さよなら。先生。どうか、ご機嫌よう」
平然と成されたその挨拶に、わたしはどうしても応えることができなかった。
第四話『カマキリの母親』了 第五話『終点のヒマワリ』へ続く
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