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気付きについて

INFPちゃんの話。
週末、『まわりの人から慕われている自分』について『人を「尊重」しているつもりが、実は自分勝手に自由を求めているだけだった自分』に気付いた、と教えてくれた。
「INFPちゃんは優しい」と色んな人に言われるけれど、それは誰のための「優しさ」だったのか?という深い問いに対する彼女の答えだ。

私はその気付きに心を打たれ、
「自身の優しさの矛盾に気付いたこと」を互いに喜び合えた。

自分勝手な自分に気付いた自分は、客観的に自分を俯瞰できた証拠かなと✨

成長の方向に進んでいる事に私は感激した。

「みんなに好かれる私」の曖昧さがある優しい光の中にいるか、他者評価と集団を超え自分の闇と矛盾をさらに自覚していくかの、道の分岐に彼女はいたのかもしれない。
そしてそれを回避することなく「気付いた」という事は険しい道、成長の方へと自ら一歩踏み出したんだろう。


彼女はここ最近「内省できない」「落ち着かない」と、外に出かけて気を紛らわす事が多かったらしい。
時々、ISTJみたくなり「将来的にこれやった方が良い」とか「これも必要かも」と本来のFiの流れ=(自分のやりたい事や好きな事)より将来の目標を優先しだす。
この状態、Teグリップになりかけてて、それを見かけたら「自分が本当にやりたい事は?」と私は声をかけるようにしてる。
自分では流れが変わっている事が分かりづらくて、忙しくしているのは「内省」できない焦りがそうさせているようだ。
たとえ壁にぶち当たっても問いを持ち続ける事で、探究心や好奇心があれば自分の前提を崩して壁を突き抜ける事ができる。

彼女は自分でその困難を見事に突破して、問いの答えを自分で見つけたんだろう。

私はこの気付きと成長を生き甲斐にしてる。
小さい頃から繰り返してて、私は自分をシステム事変えてしまうのが好き。
バージョンアップのような感覚わかるかな?
脳みその容量が一気に増えて、処理速度と記憶が快適になる。頭がPCみたいだね💻
でも私はこれが楽しいし、知らない事を全部知りたくなる。
アイデアと好奇心が尽きることはなくて楽しい。
自分の世界がガラガラと崩れるような気付きは、なんと気持ちが良いことか🌏✨

変化や気付きに前向きになる人とは、話が合うし、私は可能性を閉じてない人が大好きだ。
変化を嫌う人が世の中には大多数だから、話が合う人は珍しく貴重な存在、だからとても感謝してる。


「今凄くスッキリした気持ちでいる。友達と私の関係性の違いに「なぜだろう」って考えてたら、自分の自分勝手さに初めて気がついた」とINFPちゃんは教えてくれた。

俯瞰する視点が、自分自身の矛盾に気付かせてくれたようだ👏✨オメデトウ!!

この瞬間を共有できるなんて、私も凄く嬉しい✨✨


自己分析と幻想の世界


自己分析は、内省や内観によって自分の感情や矛盾を見つめ、それに気付いてさらに深掘りし、新しい自分を知っていく作業だと私は考えている。


内観は、心を落ち着けて今までの時間を見渡す。
自分の心と素直に向き合い、自分自身の考えや言動を振り返り分析し自己矛盾と思考の癖を改める事で、次につなげる内省が可能になる。→掘り下げになっていく

内省や内観は、内向タイプは普段から自然にやってると思うが、外向タイプ(特にT劣等)には中々難しい作業かもしれない。

掘り下げ過程によくあるのが、正当化と我慢によって「仕方なかった」と落ち着けるように、自分に言い訳を重ね、自分の問題を見ないようにしてしまう事だ。
これは外向タイプに多いと思うが、
「〇〇のせい」「〇〇だから」「それは人それぞれだから」「みんな正しいんだよ」など答えを導く事を諦めてしまう。
となると同情、先延ばしや妥協で対応するしかない。
問いを持ち続けるというのは実に不安定なものだ。だから安楽な道に進みたければ早めに結論を出して、とりあえず満足する形に決めてしまおうとする。
適当な理由をつけてそれに無理やり納得し「まぁいいよねーそんなものだし」と、まわりに流されやすい日本人は多いように思う。

「一日反省会」はよく聞くが、内省できず掘り下げが難しいため、気付きを見出せず、寝る前にあれこれ考えるだけで答えが見つからない状態。
頑張って妥協する作業‥なんだろうか、自分の認識を改めるというより無理矢理納得させてる、安心させてるに近いのかもしれない。
だから後で不平不満や愚痴になるのだけれど‥
(なぜ不満が多いのかも、本人は自覚がない事も多い)
これは問題の先延ばしをしているだけで内省ではなく、不満や愚痴が多い人は自己矛盾を多く抱え内部は隠された問題だらけになっている。

自分の中に深く進むには、まず第一段階として「今までの自分の過去」を肯定していく苦しい過程が必要で、認識(心の在り方)を変えてやらないと深く掘り下げる事(内省)自体難しい。

新たな気付きによって深く進めるが、安寧のため自分自身の「変化」を拒めば、早くも終了。
「気付き」は自分が気付こうとしなければ一向に気付けないわけで、この段階で心が折れてしまう人は非常に多い。
「見なかった事にしよう」無意識的に楽に逃げてしまうから問題を認識すらさせないだろう。

じゃあ気付きとはなんだ?という話だけど、
例えるなら、鍵がないとあちこち探しているが一向に見つからず、諦めたその時にポケットに入ってる事にふと気付く感覚 と言えば分かりやすいだろうか?
最初から自分の中にあるものだ。

既に答えがあって「うっかり見逃してた」「なーんだ、そういうことか」- ̗̀ 💡 ̖́-の感覚で、気付きがあるから頭の中のシステムが分解して組み直されて、更新される事で新しい次の問い(内省)に意欲的に向かえる。
そしてさらに深く潜る事ができる。


ただ、先ほども言ったように、回避や先送りが思考の癖になっていれば「1日反省会」や反芻するだけで、考えてるようで何も考えられていない。

それは、もうこれ以上考えたくないから考えているのであって、考えるとは全く別のもの。

内省を目的にする人は、内省できずに「あれが悪かったのか、これがあぁだったのか」とぐるぐる同じところを回ってしまうだろう。
大事なのは自分が「気付きたいかどうか」「変化したいのかどうか」で、その前向きな姿勢がなければ自分の掘り下げや変化は難しい。

「気付き」は現実の自分を見ろ!と言わんばかりに苦痛を与えるもの(自分の認識を変えるという意味で)でもあるから、気付きを選ぶ人は、いっときの安らぎや安楽より、未来の可能性と成長を望む人だ。


自己分析は自分を知る事により、視野を広げ、認識する世界を拡大するためにあり、さらに実践と経験を積む事で外に対して冷静沈着、寛容になっていくだろう。
この積み重ねが「私が私自身であるため」ありのままの自分の成長に繋がるし、メタ認知へと繋がっていくと私は考えている。




自分を肯定する道


自分の肯定はポジティブ精神と自己肯定感を手に入れていく道のり。

「全てが必然であった」と過去を認め、自他を咎める要素、過去に後悔を持たず、現在に不満すらない状態。心は穏やかな波のような状態だ。


📝過去を忘れる、過去を否定している、自分の不幸を誰かや何か、環境のせいにする、意識から飛ばす、死に興味がある(自殺企図)、支配したいとは真逆の方向になる。
怠惰に流され、同情し合い劣等感を育んでいく道のりは、安心安全に重きをおいた願望ルートだが、妥協し続ける事で精神負債のつけはいずれ人生のどこかで回ってくるだろう。
損得勘定、物欲への執着、誇大妄想や支配願望、が強くなり精神疾患のリスクも上がる。
↑まぁこれは散々警告してるわけですが‥😅


覚悟は過去に執着を持たない「悔いはない」から生命の自由や今ある幸せを自然に認識させる。
全てがここにあると気付かせてくれるので、感謝が自然に芽生えるだろう。
これは、余命宣告から死を受入れた状態に似ていて、覚悟のある人は、いつ死を宣告されても心は準備ができ落ち着いている。
自分が死ぬことを知ると、生きることの本質や意味、あるいは苦しんで死んでいく理由に対する疑問がわき上がるが、こうした根源的な問いに急に答えを見いだすのは難しい。
しかし、それを日常から深く考え尽くそうとするのが、自分を肯定していく道になる。
死期が迫ってからやっとそれを考えるのではなく、幼い頃から一生をかけて問い続けるんだ。
自己肯定感はこの過程によって形成されていくと私は考えている。


キルケゴールは、死に至る病で「自己の本当のあり方から離れてしまっていたり、そこから抜け出てしまっているときに絶望を感じる」とした。

絶望は誰でも感じるものとしながら、4つに分類している。

無限性の絶望(空想や想像力の中での絶望)
有限性の絶望(現実世界・物理的な世界での絶望)
可能性の絶望(今ある真の自分の可能性が見えない絶望)
必然性の絶望(真の自分がわからない絶望)

キルケゴール 死に至る病

絶望し、自己自身であろうと欲しないことを「弱さの絶望」、自分が絶望の状態にあることを知らないでいる「無知の絶望」などについても言及している。

何度も話すように、人間は「こうなりたい」と理想を想い努力して生きるけれど、それが絶望に陥った自分を否認、回避するためであるとするなら平穏と内的調和は訪れない。
私達は「ありのままの自分」を受け入れざるを得ないが、それがいつ達成できるかは自分次第(精神のキャパ)で、こだわり(エゴ)を捨て、意識の変化にいかに前向きなのか、だと思う。

キルケゴールは、受け入れる勇気を見出すことによって絶望を砕き、内的な穏やかさを獲得できると説いている。
この勇気とは覚悟ではないかと私は思う。
虚無に挑もうとする勇気だ。

死にゆく人の心理の変化を、エリザベス・キューブラー・ロスが5段階で捉えたモデルは、有名だが、私自身の心の掘り下げ過程はこれに似ているので紹介する。
肉体的な死を宣告されたわけではないが、直観によって「終わりを知る」「わかる」とはこの内的過程を辿り、自身の深部を掘り下げるのと同じだ。もし試される人がいれば参考になるかもしれない。

1.否認と孤立
自分の命が長くないことに衝撃を受け、その事実を感情的に否認したり、その事実から逃避しようとしている段階。周囲の認識や態度にギャップが生じるため、孤立しがちになる。

2.怒り
死ぬという事実は認識したが、一方で、「ではなぜ、自分がこのような境遇になってしまうのか」といった思いが強く、周囲に反発したり、怒りがこみあげてきたりする。

3.取り引き
死をもう少し先延ばしできないか、あるいは、奇跡が起こって死を回避できないかと考えて、神仏にすがったり、善行を行ったりする。

4.抑うつ
死を避けられないことが分かり、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望といった気持ちが支配して、落ち込む。

5.受容
死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心静かに暮らす。

キューブラー・ロス
死ぬ瞬間


この過程は、死を覚悟する事によって今抱える自分の願望と期待をすべて捨て去る勇気が必要になる。
自分の中にある迷いや矛盾を問題解決を進め紐解き、取捨選択していく。
覚悟は先延ばしや怠惰は許されない。
心にある執着を捨てていく姿は非常にシンプルで、飾りやしがらみを一生かけて取っ払っていく作業。
やがて真実をひとつだけ貫くように直観する。
今この現実を直視するには、過去の問題全て自分の辿って来た道であると受け入れるための強靭な精神が必要。そして欲求不満とは無縁になる。

だからこそ、INFPちゃんのように、この分岐に自力で到達する人は努力家で自分の意見を持ち、責任感がある人だと考えているし、私はそれをとても嬉しく思うんだ。
執着に囚われない精神的な自立を目指すのが成長。


今後の内省は自己矛盾との戦いになると私は彼女に伝えた。
自分の愚かさや矛盾こそ「自分だ」と受け入れていく。無知の知。足るを知る。
今までの内省と、自己矛盾の中身を解いて言語化していく作業が必要になる。
決して「自分は愚かだ」と嘆いてはいけない。
それが自分の本性であり、これは表面的な建前の自分(表向きの優しさ)と決別していく大切な過程。自分を知るなら自分の弱さにとことん向き合い、その眼差しで他者をはじめて理解できる。

こうして意識から無意識側へ深く潜っていくには、自分にある前提の壁を崩し、自分を再構築し直す作業。
「見える世界にいる自分」=優しい私は偽りの幻想で、無意味だと自覚していく事で、俯瞰する目は「自分の闇」と矛盾に満ちた現実の己をいつも見せつけていくことだろう。

この気付きによって「自分は何のために生きるか」ではなくて「自分はどう生きるか」に焦点が変わり、より自由に、より外の世界に鋭くなるだろう。そして、好奇心はこの気付きによってさらに育まれていくだろう。

いざ、自己実現へそして超越へ🏃‍♂️✨




積極的分離とこれからの成長


以前「積極的分離理論」について教えて頂いた。知れて良かったと思ったのは、より具体的に成長過程が書かれていること。
これ、自分の頭の中を再構築しバージョンアップするプロセスが書かれてるんだなって、分かりやすかった✨同じことをしてるからね。
これは自己実現さらに超越へと向かう人のための非常に分かりやすい成長指針だと私は思う。


彼女には既にこの理論について話をしていたが、矛盾に気付き自己改革に向かおうとしているのでⅢ→Ⅳに移行中なのかなぁと一緒に見ていた。

自分の敵は己の中にある。
これは自分の中の天使と悪魔の葛藤を指すのではなくて、自分の中にある矛盾に俯瞰して気付く(自覚する)ことで、闇と光の整合性、バランスを取っていく。克服すべく悪魔の厳しい目で自分も社会もこれから見つめ続けていく事になるだろう。

これは、素晴らしい成長だけど、同時に大勢の人と認識が逆になる事で、光の中の影として個性はさらに際立ってくる。
美しい軸となる強い個性は光の中にいる者から「尖った存在」だと認識されやすく、彼女はこれから反発を受けやすくなるかもしれないし、暗闇から見る視点は世界の気付きたくないものにも気付かせてしまう。
「出る杭は打たれる」勇気と覚悟が伴う成長なんだ、が、出る杭仲間?ができたようで私は嬉しくてわくわくしているw

INFPちゃんとのやり取り


光の中にいれば光は見えにくいが、暗闇からは本当の光だけが見えるだろう。
真実は暗闇を照らす光。
自分の暗闇と向き合い、光を見出すには闇の自分をそのままに受け入れなければならず、今後さらに丁寧な内省が必要になる。

認識の壁を超え、自分の矛盾をいつも自覚するとき、光の中にいる己が悪に見えてしまう。
「いつも優しい」甘えや同情に流される自分を偽りだと捉え、その矛盾と苦しみを抱え続けると、今まで見えなかったものが見えてくる。
闇から見据える本心を、意識上で微笑むわたしを、そして相手の本性もさらに感情奥深くこれから認識することになるだろう。
自他の嫌なもの見たくないものも見せつけるが、いずれ善も悪も全てを見ようと、あなたの好奇心は全ての物事に深い愛と共感を示していくだろう。それがINFPの共感姿勢であり、成長かと私は思う。

メタ視点は、世界をもっと広く多様に認識し、可能性と創造性を見せてくれるようになる。
「こうすれば良いんだ」と自然に手足は動き出すだろう。
内から出る個性をそのままアウトプットすれば良いし、何よりもアウトプットせずにはいられなくなる✨

自他の闇、その背景を深く認識することでありのままの現実は多くの事を隠さずに教えてくれる。
それはとても残酷で辛いことかもしれないけれど、足元に咲く美しい花、自分が既に持っている大切なものがはっきりとわかり、今幸せだと簡単に気が付ける。
この広い可能性に満ちた世界と、生きる喜びに心は震え涙が出そうになる。
悲しみにくれて泣く必要はなく、凛とした強さ、ただ「自分」でいれば良いと安心し、心は満ちて輝くだろう。

「何のために生きているか」なんて、悩む必要はもうなくなり「私が私である」と認識すれば心は解放されていく。
何もない喜びを自覚し、ただ生かされているのではなく、ありのままに生きている実感を、精神の翼と自由を手にする。

INFPちゃん頑張れ✨✨



あとがき


以前、診断でINFPから最近INFJが出ると言ってた彼女。
INFPちゃんとは心理背景が全く違うけれど、問題に気付けばその解決に向かうのはPの成長の自然な流れだと思う。
だから診断上では、Jと出るのかもしれないね。

INFPちゃん、今までは「みんなそれぞれの人生があるんだから、Nyankyはそれの何が問題だと思ってるの?」とよく私に言っていたが、先日「問題がみえてしまったら見過ごせないね。
Nyankyの気持ちがわかった」と話してくれた。
「INFPちゃん、PじゃなくてJみたいになったね。でもINFPちゃんの軸は感情にあるから、自分の感情(好きなことを大切にする自由)を優先して、その軸を元に判断してね」と私は伝えた。
何もINFJみたいな事をしなくても良いし、する必要もない。
それは私の理想であるけれど、あなた自身の理想ではない。
いつも自分自身に従えば良いと私は思う。

INXPはNeがNi(真実に向かう収束方向)の探求へ向かう成長は両者共通している気がする。
それぞれ方法は違うけれど、真実の方へ意識を向けてくれるのはとても嬉しく思う。

彼女は非常に成長が早いので、私は驚いてる。
やはり変化や気付きに前向きな姿勢だろうか。
自分の分からない世界に貪欲って素晴らしい🌈
内省の手伝いをまたお願いしたいと頼まれた。
現実を直視する事で可能性が限られるからNeには抵抗があるはずなのに‥🤔
でも自己分析のため気付きやきっかけが欲しいようだから、そう言ってもらえると私はとても嬉しい✨


自分の本当にやりたい事、大切なものは何か。
常識や親の言いなりになっていないか。
世間体や集団評価に流されていないか。
誰かの顔色をいつも伺っていないか。
本来の自分が持つ、色んな可能性に気がついて欲しい。
私達はいつも今を生きる自由を探し、自分でそれを決断し選択していく。


気付きについては、映画『今を生きる』をお勧めします📚
実はこの映画、INFPちゃんから、Nyankyと考え方が似てる先生がいるから観て欲しいと勧められた。そういえば『テラビシアにかける橋』もあなたに似てる女の子がいるって教えてくれた🎬✨
私のことをよく理解してくれてるんだなぁって驚くし、私より私の事を知ってくれてるんじゃないだろうかw

ジョン・キーティング先生を通して、伝統や集団に逆らう型破りな所や、理想と伝えたいことがご理解頂けると思います☘️


読んでくださってありがとう☘️

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