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松本市役所放火事件の真相

ちょうど、サリン事件の時でした。

当時私は、20代、バブルが弾けて、東京から、地元の長野県松本市に戻っていました。

どうも、これから不況になるぞというのはわかったので、公務員試験の勉強をしていました。

弁証法の本を読み、「量は質に変化する」というのを勉強し、120回の書き取りをして、覚えていたので、成績は、偏差値95、全国模試は2位でした。

で、あっという間に、国家公務員試験、労働基準監督官試験、警察上級試験などに、1次試験は合格したのですが、どうしても、面接で落とされてしまう。

面接で落ちる人は少ないのに・・・・・。

で、父親がある人を紹介してくれました、酒井義則という人で、大日本帝国参謀本部で、天皇陛下のすぐそばにいた人で、戦後は、内閣情報室のNo1、だった人だそうです。

その酒井さんにあったら、酒井さんは、「国がいいか?県がいいか?市がいいか?」というので、私は「家が近いので、松本市役所がいいですね」と言いました。

私は、松本市役所も受験したのですが、落ちました、不思議でしょうがありません、県職員の時も感じたのですが、地方の公務員試験て不正があるような気がしてなりません。

で、とりあえず、松本市役所の臨時職員として行きました。

その時、サリン事件と、松本市役所放火事件というのがありました。

松本市役所放火事件というのは、当時松本市役所が放火され、松本市役所職員の後藤(ごとう)という人が逮捕され、懲役7年、賠償金1億円で、人生、終了となった事件です。

この後藤という人は、この地区では1番の進学校の、松本深志高校卒業で、慶應大学卒業の人でした。

で、市長の有賀正氏は、この地区では2番目の、県(あがた)高校の人でした。

市役所は、メチャクチャになっていたのです。

で、1番の進学校の深志出身の人は、憎まれ、いじめられました。

「お前ら、頭いいんだよな〜〜〜〜〜〜」

で、松本市役所管理課には、大久保誠一という課長がいました、この人、高卒なのに、土地家屋調査士の資格を持っている、怖い人でした。

どこが、怖いというと、「俺は、松本市に土地を売ってもらいに、100回、行った」って、いうんですね、私のことを同類と言ったので、この人は、「量は質に転化するという原理」を知っていたんだと思います。

で、パートのおばちゃんが、教えてくれました。

大久保誠一課長は、この前、環境課の課長だったのよ・・・と。

つまり、後藤さんを徹底的に、いじめ抜いて、放火させたのは、大久保誠一課長だというのです。

私は、ぞ〜っとしました。

この人、出世してるんです。

のちに、後藤さんは、裁判で。「松本市役所に差別はあった」と述べています。

この時、一番の進学校であった、松本深志高校出身者は差別されていたのです。

なにしろ、市長が2番目の進学校、県(あがた)高校出身者、しかも、高卒であった、有賀正氏であったもんですから。

別に、高校なんて、どうでもいいじゃないか・・・・ともいかなかったのです。

で、私もえらい目に遭いました。

管理課などには、木下、新村、山岸、上条、まきがき、赤羽、清水、などの職員がいましたが、みんな私を迫害しました。

最後は、人事部の人に、親が呼び出されて、「おたくの息子さんは頭がおかしい」と言われ、クビになりました。

皆さんも、テレビを見ていて、後藤(ごとう)という、ワードが多いと感じたことありません?ご当地グルメとか。

実は、松本深志高校は進学校で、マスコミ関係者も多いんです。

いまだに、尾を引いています。






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