母と歌えば2024⑰

「虹のお国へ行くときはお土産下げていきましょか?」
母が
「こんな歌、知らない?」
と私に聞いてから、歌い始めた。しわがれたか細い声。でも、歌詞は聞き取れる。
「知らないなぁ。」
スマホで歌詞を検索しても、ヒットしない。母は一番を最後まで歌うことができた。母親を亡くした子供が、自分が亡くなる時のことを歌った歌らしい。
 今年の六月、母の親戚の人が三人も亡くなった。最初に亡くなった姪の夫とは、面識がなかったらしい。そして、別の姪(米沢のヨーコちゃん)が亡くなり、悲しみながらも米沢の親戚と連絡をとり、思い出を語ったりしている中、亡き父の弟(叔父)が亡くなった、と連絡が入った。
「お葬式には行かなきゃね。」
叔父の訃報を電話で伝えた時、母はそう言ったが、当日の朝、
「昨夜眠れなかったので、出掛けられません。」
とメールが届いた。仕方ない。天気も悪い。母は88歳だが、一人で生活できるくらい元気で、しゃんとしている。だが、そこには自分の生活テリトリーの中からむやみに出ないように気をつけている、というからくりがあるのも事実だ。耳は遠いので補聴器を使っているが、これがまた日によって、よく聞こえる日と、ピーピー鳴ってしまう日があるらしい。
 叔母たちは母が叔父の葬儀に出られなかったことを年齢的に当たり前のことと捉えたようだが、
「一人でお留守番させて、大丈夫なの?」
などと言われた。母の実情は、その心配からは程遠い。逢わない時間は、人の心に色々な距離を生んでしまうものなのかもしれない。
「寝不足なんていうと軽く聞こえるでしょ?体調が整わない、って言ってよ。」
葬儀が終わって、火葬場に向かうマイクロバスの中で、妹は私に言った。でもね、あんまり心配されてしまうようなことは、言わない方がいい、と私は思うんだけど。
 警察官だった叔父の葬儀は、思っていたよりずっと立派な葬儀だった。立派な花の祭壇に、おそらく叙勲の際に撮ったと思われる正装の写真。警察学校の先生だったこともあるらしく、生徒の皆さんからのお花もたくさん飾られていた。列席者も親類縁者ばかりでなく、多くの警察OBとおぼしき方々の姿があった。叔父ちゃん、よかったね。
 母は私が届けたお香典返しの品物を見て、
「なかなか良いわねー。」
と言った。海苔に鰹節、シャケフレーク、蟹缶、梅干し。
「この袋、葬儀場のってわかっちゃうかしら?」
綺麗な紫と緑の不織布の袋。エコバッグにしたって良いと思うけど。
「わかる人には、わかるかもね。」
「じゃあ、ゴミの袋にしよう。」
んー、微妙なところだね。
どんなに悲しいことが続いても、人の暮らしは続いていく。

母の用意してくれたランチ。茄子と豚肉の煮浸しが美味。
甘くて柔らかいゴールデンキウイ。

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