見出し画像

突然やってきた「自分のこと」を考える時間


はじめに

唐突ではありますが、今週初から会社には無理を言って、お休み(有給)をもらっています。
なぜか?という部分については具体的には語りにくいので、少し抽象化して話の方向性だけわかるように整理しておこうと思います。
大きな理由として、「家族のこと」「仕事のこと」でこれまで自分自身を支えてきた価値観というか考えが大きく揺るがされ、いつの間にかバランスが崩れどちらもうまくいかなくなってしまっていたことです。
無理をしていた、というのが適切な表現なのかもしれません。そうすると、日々の生活では集中力を欠き、頭も働かず、ただ不規則に訪れる得体の知れない不安感や恐怖感に苛まれ、寝る時や休日も休まらない状態になってしまいました。そして、先月ぐらいから心や身体に異変が伴うようになり、このままでは危ない、と自分の中で警報が鳴り、家族と心療内科の先生と相談した上で、まずは仕事から距離を取ることにしました。

いまは正直とても辛いです。過去の自分では考えられないぐらいネガティブで他人と相対することへの恐怖心や不安があり、波があるものの、とてつもない倦怠感に襲われ、身体を起こすのもきつい状態に度々なっています。
とはいえ、もがき苦しんでいるこの状態を何とか打破したいという気持ちも持っています。なので、文章を残し、自分の気持ちを見える化することで何か変化のきっかけになればと思いこの文章を記します。
キーワードとなっている「仕事」「家族」について考えを吐き出していきたいと思います。

私にとって「仕事」とは

これはあくまで私のこれまでの人生で育んできた価値観(考え)なので、賛否両論はあると思いますが、改めて言語化してみました。

  • 現代社会で生活していくための手段(お金を稼ぐなど)

  • 会社(組織)に所属する上で成長は大事だけど、あくまで個人の望む生き方の実現が大切

  • 仕事を趣味にしてはいけない、趣味を仕事にしてもいけない

  • 仕事を遂行する上での人間関係の構築は必要(ただ友達ではないので、深入りはしない)

  • 仕事は面白いものではなく、自分から面白くするもの

  • 自分が関わっている仕事は幸いにも生死が関わるものではないので、完璧を求め過ぎない(所詮「仕事」ぐらいの考えじゃないとダメ)

総括すると、自分自身すごくドライに割り切って考えているつもりでした。網羅的ではないし、思いついたことをとりあえず羅列したので、どれが大事とか優先度はないですが、上記のようなことをぼんやりと考えながら仕事をしてきたのだと思います。それでうまくいっている自負もありました。
実際、転職をしたりして、それなりにキャリアアップや収入も上げながら、約10数年、割と円満に社会人としてやりたいことをしてきました。
ただ、ここ1年、転職を機に組織内での役割が中核になったこともあるかもしれませんが、何となく自分の考えや価値観と合わないことにも無理をして合わせてしまったんじゃないか、必要以上に誰かの期待に応えようとし過ぎていたのではないか、ということを立ち止まって考えてみて気づいたことではあります。
人間関係の部分や個人の自己実現の部分で、仕事と私生活のバランスが取れなくなってきてしまい、ここが自分の中で大きな心の澱になっているのかなと感じています。
今は、まさにその澱と向き合い、今後どうしていきたいのか、というところに真正面から向き合わなければならない局面に立っていると思います。続けるのも、辞めて新たな世界に飛び込んでいくのもパワーが必要だと思います。現状、自分の中で向き合った結果が整理できてはいないので、この場でこうしていこうと結論は出ておりません。
社会人をしてきて初めてと言っていいほど自分にとって「仕事」とは何かを考える事になり、頭を悩ませています。何ごともポジティブに考えられるのは、うまくいっているときだけ、というのが身に染みて実感しています。時間が解決してくれることもあると信じていますが、今はそこまで楽観的にはなれていません。
もうしばらく向き合い続けてみようと思います。

私にとって「家族」とは

ここまでネガティヴな話ばかりではありますが、この状況下でも救いがあります。それは「家族」が近くで寄り添ってくれることが、私の何よりも救いであり、家族の尊さを改めて感じています。
私にとって家族は、何よりも大事にすべきものだと思うし、それが自分のためであるという考えをもってきました。
少しズレた話になりますが、人は社会に生きる動物であり、それ故1人では生きていけないと思っています。少なくとも私はそうです。
また、1人の人間が考えて、行動して実現できることには限界があり、それが2人、3人、、、複数人と関係性が育まれることによって1人では実現できない大きな物事が生まれると思っています。
そうした1人では実現できない物事を可能にする身近な存在が「家族」だと思っています。現に、私1人では今の見ず知らずの石垣という土地に移住してさまざまな経験や感動を得ることはなかったし、こうやって文章を書いて、家族に感謝するということも正直なかったと思います。
そんな家族との時間を、仕事や他のものに奪われてしまっていたことにより私自身の支えとなる考えや価値観を自ら揺るがしてしまい、それによって心のバランスが保てなくなってしまっていたのだと痛感しています。
朝出かける際の「いってらっしゃい」の挨拶、仕事から帰ってきて家族とかわすたわいも無い会話、一緒に食事の準備をして一緒に食事をとる、お互いの将来の話をして心を躍らせる、良い話も辛い話も共有して、これらの時間を大切にすることが、私にとっての生きる原動力なんだなと改めて強く感じました。
家族は守るものでもありながら、自分にとっては安住の場所であり、守ってくれている場所なんだ、としみじみ感じ、この場を借りて感謝の「ありがとう」を伝えたいと思います。
自分自身苦しい時を迎えて調子がいいかもしれませんが、改めて家族と向き合い、後悔のないようにこれからの選択をしていきたいと強く思います。

おわりに

突然訪れた、2023年10月の転機。
これからの自分のことを見つめ直す、私にとっては現在進行形で大きな出来事になっています。
幸いにも、身近に相談できる人(家族や信頼できる心療内科の先生)がいることはとても助けられています。仕事から離れることの決断を後押ししてくれたり、この状態を受け入れてくれた家族には感謝しかありません。
「逃げる」ことはよくないこと、という価値観が自分にはあって、それが全てにおいて正しいことではないと分かっていながらも、どうしても罪悪感みたいなものは今でもあります。悔しさみたいなものもあるかもしれません。
また、そこから這い上がる勇気や活力は取り戻し、どうやって復活していくのか、もしかしたら元に戻れないのではないか、という不安や言葉にできない恐怖感が押し寄せてきていて、これからのことに対してまだ気持ちの整理がついていない状況ではあります。
今日記した文章が何か復調のきっかけになればと思い、普段あまり口にはしないような内容を恥ずかしながらも書いてみました。

心境的には、なんとかこの文章を書き切って月1回の投稿を止めたくないという思いで書きました。生産的でもないし、ただ思いの捌け口になってしまいましたが、まずは継続できたことに先がつながったと思っています。

いつ復調できるかわかりませんが、まずは「1日1日を大切に、自分のため、家族のために必死でもがく」ということを決意表明して結びとさせていただきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?