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映画ドライブマイカー 

 年の初めに「ドライブマイカー」を観た。
 俳優兼舞台演出の家福(西島秀俊)は、ある芸術祭に呼ばれ愛車で現地まで行くが、主催者側から、二十代のみさき、という運転手を付けてもらうことになった。

 愛車の中で家福(カフク)はチエホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」のテープを回し、ワーニャ伯父さんのセリフだけを練習する。ワーニャ伯父さん以外のセリフは全部、脚本家である彼の妻が読んでいたが、ある日突然、自宅で倒れ亡くなってしまう。 

 家福は妻の音(おと)が前から複数の男と浮気を重ねていることを知っていたが、それも問い正せないまま、彼女は亡くなってしまった。
 そして、奇しくもその浮気相手の一人である若い俳優、高槻(岡田将生)が家福が舞台演出を務める「ワーニャ伯父さん」のオーディションに応募してくる。家福は彼を合格させるが、そこには妻の浮気相手を観察してみたいという打算もあったのかもしれない。しかし、高槻も、また家福が自分の恋人、音の主人であると知った上で、オーディションに応募してきたのだ。

 高槻はプレイボーイそうに見えるのだが、彼は家福に「所詮、相手の心(家福の妻)を全部知ろうなんて無理なんです。そんなこと、誰が出来ますか。相手のことを知りたいと思うのなら、まず自身の心を深く見つめることじゃないでしょうか」と迫ってくる。二人の関係を知らなかった運転手のみさきの前で、家福と高槻の車の中でのこの会話は、なかなか見応えがある。それはルックスだけが取り柄のような高槻が、本当に自身の心の声を(見ている者にまで)届けているように思えるからだ。

 しかし、これもまた、高槻の仮の姿なのか、さっき家福に(私たちに)見せた彼の真摯な態度は次の瞬間には早くも崩壊を見せる。こないだから、二人の写真(家福と高槻)を無断で撮る男に腹を立てた高槻は、その人を殴り殺して「ワーニャ伯父さん」の舞台の稽古中に逮捕されてしまう。そんな中、芸術祭のスポンサーらは、高槻の代役(ワーニャ伯父さん)は誰がやるんだ、とか、舞台を続けるのか、中止にするのか、と家福に強引に迫ってくる。
「こんな時に、そんなことを聞いてくるのか」と絶句する家福だが、こんな時に、そんなこと(残酷な決断や、究極の選択肢)を迫られる時が、人の人生には何度も訪れるのだと思う。
 そして時間が残されていない中で、私たちはいつも、何かを選び取りながら生きていかなければならない。

 しかし、人の人生にはいつも思いがけない運命の出来事が待ち構えていて、そこから時計の針が止まってしまうことがある。家福と妻には女の子がいて、その子はたった4歳で亡くなっている。
 妻の音はその空白を埋めるために浮気をしていたのだろうか。音は高槻との寝物語の中で、女子高生を登場させていたが、彼女は好きな同級生の家に忍び込み、その度に彼のモノを何か1つ盗んでいた。ところが、ある日、本物の空き巣に遭遇して彼女はその人を殺してしまう。彼女は翌日、恐る恐る登校するが、彼は何事も無かったかのようにクラスメイトと笑っていて、彼女は衝撃を受ける。
 果たして、これは音のフィクションなのか、それとも悪い夢だったのかと、高槻は家福に車の中で疑問を投げかけてくるが、この高槻の長い独白のシーンは凄い緊迫感があり、私は衝撃を受けた。実際の生活でも私たちは悲惨な事件や事故を無かったことにしていないだろうか。
 目を背けてはいけないこと、真実を知らなければいけないことは世界にどれだけあるのか。

私は、辛いニュースは、あまり見ないようにしている。でも、どんなに避けても日々のニュースや世界情勢は目に飛び込んでくる。その時、自分が何を感じたかは忘れないでいたい。覚えていたいと思う。それが、どんなに残酷な事実であっても。

運転手として雇われたみさきも、また悲惨な過去を抱えていたが、家福と自分の故郷である北海道を訪れ、過去の自分を受け入れてゆく。

「ドライブマイカー」を観て感じたことは、
自分自身と向き合うことの大切さ。 
音は自分と向き合うことが怖くて、男達と体を重ねていたのかもしれない。でも、それを知っていた家福がずっと黙認していたのは、この家が硝子細工で出来ていたからだと思う。

 家福は、妻の音はいったい何者だったのか、
という疑問符を(妻が生きていた時でさえ)持ちながら、自分自身にもずっと問いかけていた気がする。
「おまえは、いったい何者なんだ?」、と。
何処から来て、何処へ行こうとしているのか、
生きている限り、私も自分自身に問いかけてゆきたい。もしかしたら、一生、答えなんて見つからないのかもしれないけれど。


#ドライブマイカー
#映画レビュー
#西島秀俊
#岡田将生  







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