土に触れるキッカケ

交通事故で左手に後遺症をプレゼントしてもらえて、絶望感の淵というやつに覆われていた視界があった。
その2年前に原因不明の左肩の痛みに悩まされていた。どんどん腕が動かなくなり、紹介された病院や数ヶ月待ちの有名な医師も、結局は解明できなかった。
『わたしにはあなたの苦しみを取り除くどころか、現代医学では原因すら分からない』そう医師に告げられた頃、遠く海の向こうではレディガガが同じような病と戦っていた。
骨肉腫などではないことは検査で分かっていたので、共に生きることを選択したのは発症から8ヶ月という時間の浪費と、人が羨む企業を退職してからのことだった。良いこともあった。高齢で新しい家族と新しい生命をこの手に抱くことができた。
そんな幸せを忘れてしまいそうな事故と後遺症だった。痛みと苦しみが戻ってきたような感覚に襲われて、景色が色褪せ、この世から消え去りたい気持ちと外を見つめる日々が始まってしまった。
命を粗末に考える負の力
この怖さを知って、今の自分があるような気がする。ぼくをそこから救い上げてくれたのは、生まれてきた子どもではなく妻だった。
土いじり(家庭菜園)を何気に勧めてきたのも妻だった。妻が隣に居てくれたから、今のぼくがこの世に存在している。
そして、土に向き合い、ひょんなことから仕事にもなり、自然とともに生きている。
人は勝手に苦しみ、勝手に解決していくのに、誰かに感謝がうまれる。
どこが始まりなのかすら分からなくなるようなキッカケだけど、僕の人生を大きく揺らしているのは、左手いや、子どもの頃から繰り返す左側の怪我と病なのかもしれない。

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