教員として迎える初めての卒業式。

新採用、教員1年目で初めて卒業式を経験しました。

いつも生徒側で卒業式に参加していた私にとって、座るところから見える景色、卒業式への想い、人との関わり、自分の立場など全てが変わっていました。

予行練習では空席だった保護者席や来賓席も、子どもたちの晴れ姿を見るために多くの人で埋まりました。

今日は朝から少し私もソワソワしていて、卒業ソング「3月9日」を聞きながらこの1年間をなんとなく振り返っていました。天気は雨こそ降りませんでしたが曇天で、冷たい風が体に染みるようなそんな日でした。

私は3学年の副担任を担当しているため、HRで関わった生徒や、課題研究で一緒だった生徒、英語の授業で学びを共にした生徒、サッカー部でお世話になった生徒など、個人的に関わる機会が多くありました。そんな生徒たちと、たった1年間という短い時間の中で関わり、かけがえのない多くの瞬間を共有してきました。

予行練習の時に、すでに感動ムードだったため、本番の今日、いったいどんな感情に出会えるのか本当にワクワクしていました。


「自分に振られている担当仕事をミスなく遂行しよう」

しかし実は、責務を果たす気持ちが強く、生徒たちの服装・頭髪指導や、代表生徒と卒業証書授与の動線確認、呼名補佐など、自分の役割をこなすばかりでそこまで卒業式の感動ムードに入っていけませんでした。


呼名や卒業生・在校生の答辞が終わり、ようやくふと息をつける頃、すでに卒業式は終わりに差し掛かっており、残すは卒業生の合唱。「3月9日」。

予行練習では全然でていなかった声も本番では一生懸命出ていて、それを聞いて涙ぐむ保護者を見ると、子どもたち、そして保護者の方々の人生における大事な瞬間に立ち会っているような気がして、目頭が熱くなりました。

そうこうして合唱が終わり、三年生を送る会を終え、退場。


教室に戻ってからは、卒アルの後ろにコメントを書き合う時間に。
生徒の卒アルにコメントを書きながら担任が保護者挨拶から戻ってくるのを待ちました。
そして、ようやく戻ってきて、最後のHR。
担任の先生が最後のスピーチをする瞬間です。
全員がそっと静かになり、教員の言葉に耳を傾ける瞬間。何か張り詰めた空気感は、まるで糸がピーンと張っているような雰囲気で、誰かが泣き出したら、プツンとその糸が切れて全員が泣き出してしまうような、そんな雰囲気に包み込まれました。

そんな雰囲気をかき消すかのように、学級委員の女の子が

「先生!!1年間ありがとうございました!!」

と、盛大にクラッカーを鳴らして、プレゼントを贈呈してくれました。まさかの副担任の私にもプレゼントがありました。メッセージが書き込まれた色紙とボールペンです。すると、担任が「先生、先にどうぞ」と言い、最初にHRの生徒たちにスピーチをしました。実は、そんな展開になるとは予想していなくて、正直今振り返ってもなんと伝えたか忘れてしまいました。たった1年間だったかも知れないけど、温かく迎えてくれた生徒たちに感謝の気持ちを伝えたような気がします。


実はこの時には声は震えていたけど涙は出なくて、卒業式でも最後のHRでも涙は出ませんでした。担任の最後のお話も感動的でありましたが、生徒の前に立っていると思うとなぜか涙を出すまいと堪えてしまいました。
1年間、そして副担任という立場で関わった生徒たちとの最後は、涙が溢れ出すということはなかったけれど、大変感動的なものでありました。
涙が溢れ出なかったこと、それは、想い入れがないというわけではありません。もちろん多くの思い出がありましたが、僕と生徒の間、そして僕の中で「葛藤」が少なかったようにも思います。何か生徒と思いをぶつけ合う瞬間はありませんでしたし、あくまでサポートとして徹してきた1年間だったからかも知れません。


そうして、あっという間に卒業式が終わり、夜は学校職員全体での飲み会。


乾杯をして、担任の先生方と話し、楽しみながら会食をしていました。


そして、「担任の先生方から」のコーナーへ。


私が副担任としてタッグを組んでいた担任からのコメント。

「本日、卒業という日を迎えられたこと、大変嬉しく思います。皆様、本当にありがとうございました。
冗談抜きに、我々のクラスの担任は私ではなく、皆さんです。卒業式後にうちのクラスの生徒たちが、先生方のところへ行っているのを見て本当にそう感じました。授業を担当してくださった先生、部活動で面倒を見てくださった先生、皆さんが本当に生徒たちに細かく声をかけてくださって、彼らは今日という日を迎えられたのだと思います。本当にいろんな先生方のご尽力あって彼らがここまで来れたのですが、その中でも本当に頑張ってくださった先生がいます。それは、(私)先生です。就職担当として、新卒、教員経験が少ない中でも本当に生徒を支えてくださいました。本当にありがとうございました。」

そして、多くの先生から拍手をいただきました。また、一言どうぞとなり、

「担任の@@先生と校務分掌、HR経営など、一緒に仕事をさせていただく機会が多くあり、本当に多くのことを吸収し学ばせていただきました。今回、教員人生の中で初めて卒業というイベントに立ち会い、本当に感動する瞬間を味わいました。1年間の関わりがここまで感動するものなら、3年間見ていく子供達はどれほどの思い入れと感動があるのだろうかと、想像しがたいものがあります。来年度からは今度は担任という新たな立場で生徒と関わっていきます。この学び得たことを最大限活かして頑張っていきたいと思います。まだまだ未熟ですが、引き続きご指導のほどよろしくお願いします。」

そう告げて、深々と頭を下げました。

そして、最後に担任に花束を贈呈する際に「ありがとうございました。」の言葉と同時に涙が溢れてきました。

この涙は100%の感謝の気持ちからくる涙でした。

この1年間、本当に大変なことが多くて、社会人としての忙しさ、やりたいことがうまくいかない挫折、職場内のドライな人間関係など、本当にしんどいことが多くあった中で、担任の先生から「よく頑張ってくれました。」という一言をもらって、あぁいつも見てくれていたんだなという思いと、自分が1年間頑張ってきたことがこういう形で人に認めてもらえるというのはなんと嬉しいことなのだろうかと、嬉しさで胸がいっぱいになりました。

誰かに褒めて欲しくて、認めて欲しくて仕事をしているわけでは決してないのですが、自分の頑張りを気づいてくれて、それが感謝されて初めて、自分がやってきた仕事を誇りに思い、これまでの自分に「頑張ったね」と言ってあげられるのかも知れないと思いました。

自分でも涙が出るとは思わなくて、それだけ目の前の人・ことに一生懸命になれたこの1年間の自分の頑張りに今日だけは乾杯をしてあげたいと思いました。院卒としてプレッシャーを感じていたり、無能だと思われないよう一生懸命にやらなきゃと、心のどこかで自分を追い込んでいた節は確かにあったかと思います。でも、今日を経て、このまま自分らしく仕事をしていけば良いと、そう自分を安心させてあげられる、そんな日になりました。



「教員という仕事は、本当に本当に大変です。でも、卒業式という日を迎え、卒業生を送り出すと、これまでの大変さが愛おしく思えるような思い出に変わるんです。」



多くの先生方から聞く言葉です。
今日、そんな教員の1番のやりがいを感じる1日を過ごすことができましたし、その言葉の意味が少しわかったような気がしています。

担任の先生が私のことを見てくれていたように、私も忙しさの中で誰かの頑張りに気づき、感謝を伝えられる、そんな人に成長していきたいと強く願う日になりました。

どうしてもこの感情を残したいと思い、ここに記しました。


引き続き、自分らしく、とにかく楽しんで前に進んでいこうと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?