人生の時間の使い方④(紀元前の偉人の教え)


上の記事の続きです。
同じような話が続きますが、申し訳ありません。。


【隠遁に向かう心】

自分は、年々、仕事や家庭での責任が増してくるとストレスを感じ、逃げ出したくなる気持ちを抑えられなくなってきました。

「気合いが足りない」
「弱虫」
「根性なし」
といわれることを何より怖れて無理して生きてきましたが、逃避的な自分の本質は変わらなかったみたいです。
変われない自分、自分の殻を破るのが怖い自分。

苦悩を惹き起こすストレッサーを挙げてみます。

昇進の遅れを他人と比較
増える仕事量と拘束時間
部下の抱える問題への連帯責任
上司や顧客からの圧力
自身、親、親族の老化への悲嘆

などでしょうか。

隠遁したくなります。

隠遁さえすれば、他人との比較を止め、仕事のストレスも霧散するでしょうから。

しかし、今すぐ隠遁することはできない。生活費の問題がつきまといます。

恥ずかしい話ですが、「仕事場での責任やストレス」が年々雪だるま式に増えることに、ついに耐えきれなくなり、3年前に戦線離脱(部署移動)しました。

一時的に、劇的にストレスが軽減されましたが、時間が経つと、別のストレスが自身を襲うようになります。

「昇進の遅れによるストレス」です。これも、相当厄介です。

「遅れなんて気にしない~」「勤務時間中だけガマンしてのりきれ」と気持ちを切り替え、達観、悟れれば苦労しません。

【レースには戻れない】

思い起こせば、小さい頃から競争の中で育ち、比較され、はや40年以上
「大きいものはいいものだ」という単細胞な時代でした。いや、時代のせいにしちゃ、いかんですな。。
○年上、先輩を目上として敬う
○難関校やスポーツ強豪校に受かった者を顕彰
○大企業からの内定を勝ち取る
○大企業が駄目なら官庁に
○本部の花形部署に配属される。
○激務に耐えてナンボ
○同期に出世で遅れない。
○家庭を持ち、家を建てる。

幼い頃から競争原理、比較原理に、骨の髄まで浸食、洗脳、調教され、ついに適応能力の限界を迎えた哀れな男が一人、人生の選択を迫られたときに、

もうレースには戻らない

ことを選んでしまいました。
まあ、競争馬だと思っているのは自分だけで、果たして自分の参加しているものがレースだったのかも甚だ疑問ではありますが。。。馬車馬だったのか、農耕馬だったのか。。もう、いいでしょう。

そして、今は、置かれた場所で地道に働くことができているのですが、想定以上の新たなストレスである
「昇進が遅れ、他人との比較」に苦しんでいる自分がいるのです。

【将来を夢見る過ち】

こうして、結局逃げ場がなく、他人との比較を止めることができず、悶々鬱々とする自分は、ますます「隠遁者」になりたくなってしまい、退職後、子育て完了後の そう遠くない将来 に訪れるであろう 隠遁生活に胸膨らませることになります。

「退職したら○○するぞ」
「○○買うぞ」
「まずお遍路にいくぞ」
「一年間は好きなことだけをするぞ」

などと、○年後に待っているはずの甘美な

ご褒美
完全なる自由
パラダイス

を、いずれ獲得する 極楽列車切符という 妄想 を日々繰り返すことになります。

【2000年前の偉人に学ぶ】

このような考え方について、
2000年も前の、紀元前のギリシャ人が、2000年も前に批判していることがわかっています。(※中島先生の『人生を半分降りる』に度々出てくる偉人の話になります。)

あなたは、たくさんの人たちが、こう言っているのを耳にするだろう…… 
五十を過ぎたら仕事を引退しよう。
六十になれば、公の役目からも解放されることだろうと。

だが、あなたがそんなに長生きする保証が、どこにあるというのか。(中略) 

自分が死すべき存在だということを忘れ、五十や六十という歳になるまで賢明な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか。

『人生の短さについて』セネカ(中澤務 訳)

セネカさん、仰るとおりです。
誰だって、お金に余裕があり、仕事が楽しくなければ、すぐにでも引退して「賢明な計画」とやらを実行に移しますよ。

そりゃ、ローマ皇帝の執政まで務めたあなたなら、生活費がたんまりあるでしょうから。。実際あなたの話は、生活費がないので実行できないんですよ。。

ん? でも!

不確かな未来に期待してしまって、いまやるべきことを先送りすべきではない。

ということについて、2000年も前から指摘されていたのね!?

私は完全に思考の罠にはまってしまっていました。いまやるべきことを先送りしてしまっていました。
気づかせてくれて、ありがとう❗

長生きする保障などない。
やるべきことを、先送りしない。
退職したら ではなく、
どうやったら隠遁したのと同じように今を生きられるか考えよう!という気付きが大事だと思いました。

【多忙と閑暇】

(中略) 多忙とは、自分の時間が、たくさんの仕事や用事に占領され、それによって、自分の心がそこからはじき出されている状態なのです。

閑暇であるためには、たんに仕事や用事から解放されているだけでは不十分です。
解放された自分の時間のなかに、自分の心が戻っていなければなりません。

自分の心がもどっているというのは、その時間のなかで、われわれが自分自身と向き合い、自分がほんらいなすべきことをしている状態です。

同書 作品解説より

【多忙】


多忙
とは、すでに十分サラリーマン生活で経験しています。

マルチタスクとスケジュール遵守の掟のもと、懸案を解決し、組織を停滞させないために、自分のことを勘定にいれず、上司にデクノボーと呼ばれても、自分の時間、能力、気力体力を組織(上司顧客)に捧げ、いつも本心を出さず静かに笑っている必要があります。

プロフェッショナル といわれることもあり、歯車といわれることもあります。
ひどくなると、社蓄や奴隷といわれたりしますね。

正当な対価が支払われず、自分の心が納得できていない時間を過ごしていると、奴隷になってしまうのかもしれません。

組織は、残業、休日出勤、サービス残業などをいとわず、自分の時間を優先的に捧げることを暗に構成員に要求してきます。

自分の心が納得できる理由が欲しいところです。それは、多くの人にとっては、対価である組織から与えられる報酬と名誉、承認なのですが、果たして、自分の時間を犠牲にしてまで得るほどの価値があるものなのか、疑問を持つ人も出てくる訳なのです。

【閑暇】

対して、閑暇とは、

自分が自身の生活を見直し、生み出した時間の中に自分の心が戻り、自分がほんらいなすべきことを行うことができる時間のことを、「閑暇」と呼ぶみたいです。

これはちょっと、眼から鱗でした。

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