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短編小説「シークレット・リスタート」

シークレット・リスタート


これは秘密。どうやったって秘密。





ズカズカなんでも踏み込んでくる奴が嫌いだ。


どの辺住んでるの?
普段休みの日何してる?
最近ハマってることある?

教えてやるほど親しくない。お前に教える義理がない。

…なんていうと角が立つから言わないで適当にあしらうが、迷惑極まりない。

あはは、と愛想笑いで切り抜ける俺だが内心は常にうっとおしく感じていた。
もとからそういう性質タチではあったのだが、とある事件を経た一ヶ月前から、デリカシーなくあれこれ聞いてくる奴らにことさらうんざりしていた。




「はあ……」
吐く息が白い。

今年も明けてすぐだと言うのに、俺の心は晴れないでいた。
年末からの忙しない入退院から、やっと一息ついたと思ったら、もう新年一発目の仕事が始まった。


俺は医者だ。
年末に趣味の山登りで遭難し、俺は崖からどうやら落ちて…この世を去ったようだ。そうして、生き返ったようなのだ。

というのは、崖から落ちた後の記憶が朧げだから、どうもはっきりしないのだ。




崖の下まで滑り落ち、気がつけば登山用のリュックの中身が周囲にちらばっていた。わずかな記憶。
目の前にクマのような姿をした真っ黒い何かが俺に話しかけてくる。

“生き返りたいなら、何かと交換だ。まず、そこにある食べ物を俺によこせ。どれが食べ物か食ってみなくてはわからんから、その背負っていた塊を全部よこせ。
そしてもう一つ。生き返りたいなら、お前は大事なものを一つ失うだろう。さあ、生き返りたいなら、決断しろ。決断できないなら、お前はずっとこの山に打ち捨てられ、やがて忘れられるだろう”


…俺は謎の化け物に、どんな返答をしたのか忘れた。しかし、バケモノの問いかけだけは頭によく響いている。
気がつけば俺は、奇跡的に外傷もなく、救助のヘリに偶然見つけられ、無事に近くの病院に運び込まれて一命を取り留めた。救助に当たった職員によると、登山用リュックなどの俺の持ち物は何ひとつ見つからなかったそうだ。なにひとつ。

何も覚えちゃいないが、あのバケモノの言葉が今の頭に響いて仕方ない。

“生き返りたいなら、お前は大事なものを一つ失うだろう”


…荷物のほかに、俺は一体何を失ったというのか?
入院を経て、職場に復帰した俺は体力の低下こそ感じたものの、今まで通りなにごともなく働いている。

ただ単に、遭難してから命からがら救助されたというだけで、俺は死んだわけではないのだろうか?あのバケモノとのやりとりは、ただの幻聴だったのだろうか?


しばらく悩んでいたのだが、最近ふと気づいたことがある。



ない。俺の心臓がない。



何を言っているのかと思うだろうが俺は医者だ。
とある都内の大学病院で外科医をつとめている。綺麗な妻と可愛い小学生の娘がいて、新築マイホームを最近建てた42才の人生絶好調の医者、それが俺だ。
話がそれた。気が動転していることを許してほしい。なにしろ俺の心臓がないのである。
遭難事故から復帰してからと言うもの、なにかおかしいとは思っていた。腹の上あたりがスースーして、どうも落ち着かない。ある日オペの打ち合わせの合間に何気なく自分のレントゲンを撮ってみると、信じられないものが映っていた。否、映っていないので信じられなかった。
俺自身を映したレントゲンには、ぽっかりと穴があった。心臓があるはずの部分が、ごっそりとなくなっていたのだ。

こんなこと、あるはずもない。心臓を無くして生きていける生き物などいるだろうか?俺はどうやって生きているのだ。退院後順調に回復した体のはずが、不意に呼吸が浅くなる。

“生き返りたいなら、お前は大事なものを一つ失うだろう”

改めて頭を駆け巡る、例のバケモノの言葉。
あのクマのような見た目の、ナゾの生き物……。人の言葉を話す、どこかただならぬ存在だった。

“荷物をよこせ。何が食えるかは口に入れてみないとわからんから、全部よこせ”

そうだ。化け物はとにかく飢えているようだった。



「………臓器を一つ、持っていかれた?」

そうだ、化け物に、心臓を、奪われた。そうして、それと引き換えに俺は生き返った。そういうことなのだと合点がいった。
医学的にありえないが、現にこうして俺は生きている。心臓がないまま。




俺は生き返ったが、いびつな体で現世に戻された。
いったいいつから?遭難後の入院では奇跡的にバレなかったが、それは“契約”のうちなのだろうか?運が良かっただけなのか。…それとも退院後「抜き取られた」…?

…なんにせよ、これはまずいぞ…。今後、医者にかかる時、俺はどうやってやり過ごすのだ。

触診で鼓動がないと気付かれたら?
レントゲンを撮られたら?
開腹手術を受けたら?

…俺は、どうなる。
勤務先の大学病院で、モルモットや標本にでもなってしまうのだろうか?冗談じゃない。




俺の人生は、年末の遭難事故から、大きく変わってしまった。

謎の化け物との契約により、心臓を失った状態で生き返るという、誰にもいえない秘密を抱えて今後生きていくこととなった。

さあ、新しい年、2024年が始まる。
俺は医者で、都内の大学病院で外科医を務めている。

が、今年はさらに内科医でも勤務できるようなスキルアップを目標に掲げることにする。
研修医時代以来の、死ぬ気で猛勉強の日々が始まる。

意識が高いのではない。自分の診察を自分で出来ねば、俺は一生研究所のモルモットだ。
『心臓がないのに生きている人間』だと、この世の誰にも知られてはならない。一緒に暮らす妻にも、娘にもだ。

なにやら壮大な鬼ごっこが開幕したような気分だった。やっとの思いで安定した生活を手に入れたってのに、何が悲しくて今更必死こいて猛勉強しなきゃならんのだ。

…しかし。

「………まあ、死ぬ気で頑張るしかないか……」

遭難事故で荷物を全て無くしたため新しく購入したスマートフォンを握りしめながら、俺は誰もいない宿直の休憩所で決意を新たにした。

四十路にして、新たな人生を踏み出す覚悟を。決して分かち合えない孤独を受け入れる覚悟を。




ーーーこれは秘密。誰にも教えられないから誰にも言えない。俺だけの秘密。



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