見出し画像

超短編小説「つらいこと」

お題:つらい女の子

つらいこと


悲しげに目を伏せた彼女の、その長いまつげにはつい見惚れた。

私は彼女に何と声を掛けたらいいやらわからずに、アイスティーをストローでぐるぐるとかきまぜる。
行きつけの洋食屋で、心理療法士である僕は、診察対象である若い女性の相談に乗っている。いつもは薄暗いカウンセリング室で話を聞くのだが、たまには気分転換がてら場所を変えて、今こうして話をしているところだ。

「ですから、味覚がおかしいんです」
「ああ、それはつらいですね」
私は彼女を安心させようと、ゆっくりとした口調で話す。
「診察では異常なしと出てますから、もう本当にあなたの心の持ちようのようです。大丈夫、きっと、元通りになれますよ」

彼女は超激辛ペンネを平気で口に運びながら、ほろほろと涙をこぼした。
「大好きな激辛料理を食べても、まったく辛くないんです。私、もうこんなんじゃ人生に張り合いがなくって……」

年ごろの若者は、何事も極端に話を考えたがる。僕の担当の患者の悩みはもっと深刻でどうしようもないものばかり。彼女の症状は極軽いもので、そんなに絶望するものでもないと伝えてあげたいが…。彼女が立ち直るには、きっと、時間が必要なのだ。そして、周囲の見守りの目と。

生きているのがつらい、つらいと彼女は涙を流す。
僕は、なおも激辛を口に運ぶ彼女の姿を見ながら、『からい』と『つらい』はそういえば同じ字なんだよなあという、なんとも平凡なことをぼんやり考えていた。

大丈夫、大丈夫。
辛いことなんて、裏返しのように、ふいになんとかなるもんさ。
だからそんなに思いつめないでおくれ、若者たちよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?