先日、高校の時からの友人?の結婚式があった。 バンドがきっかけでなんとなく、 よく遊ぶ?一緒にライブでることもあったから気づいたらなんか、一緒にいる時間あるなーっていう感じのアレ。 大人数で遊ぶことはあっても、 そのメンバー内で、2人きりで遊ぶことはない。私はね。みんなは知らんけど。 なんか特別話すことないし気まずいし。 でも、みんなの輪の中にいると なんか落ち着くし楽しいな〜と思える。 私にとってはそういう集団。 変に干渉されんし、楽しい〜とか 酒飲みたいーとかしん
この4月に(R6)越してきたこの場所。 人口は40万人と、前住んでたところより 何倍も何十倍も多い。 最初は、寂しさしかなかったものの もうすぐで、半年 出張終わりにこの景色をみたら 既に帰ってきたなと思える場所。 うどんだけじゃなくて やっぱりラーメンも美味しい。 会社御用達の飲み屋はたくさんあり、 いくたび「新入りかい」とちょっかいをかけてくれる。 会員限定のバーにも。人生で初めていった。 お友達が、(おっちゃん)たくさんいい店知ってて教えてもらう、というか連れて
第二の故郷(以下、故郷)と思っている 港町へ1泊2日で帰った時のこと。 町の人との思い出を綴る。 過去の写真とともに。 仕事で近くまで行く予定があったから 弾丸故郷滞在を計画。愛しいみんなに会いたくて。 仕事は、故郷の一つ上の大きな市で 県内の首長さんやったり、 県内の事業者さんがいろいろ会議する ような感じ。前職で関わりのできたもの。 いざ、会場にいくと 前職の時に大変お世話になった メンツがたくさんいた。 人事異動で帰ってきてたみたい。 「宮﨑さん久しぶりーーめ
私が、引っ越してからも 2ヶ月に一回ぐらいのペースで 様子を見にきてくれる、 大将と森本さん(仮称) 転職してすぐ、 右も左もわからないころに 一度、私の様子を見にきてくれた時は 「これからやな。やばかったら助けたるけんな、いつでも日和佐もってきたる。」と声をかけてくれた。 それが、とーーーーーっても嬉しかった。 定期的に香川に用があるようで、その度に、 「かほ町にでてこいよ」と連絡をくれる。 いつも、お店に入ると 昔から友達です。のような 空気感を大将は作ってしまう
100キロ離れた土地に 引っ越しても、定期的に気にかけてくれ、 会いにきてくれる、私を鼓舞してくれる1人。 最初の出会いは、4年前? 田舎のフレンチレストラン 定期的にあった、美味しいもの好きな人たちの 食事会に、社長にひっついて何度か参加させてもらった。 その時に斜向かいに座っていて、よく話をした。いろんなことを知ってて本物を知っている人だった。次の日には、彼のビニールハウスに、農作業のお手伝いをしに行った。ぐらい。その時に話が弾んだ。 この写真は、24歳のころ。
中学生の時に、仲良くなった友達。 私が音楽に興味を持つようになった きっかけをくれた人。 中学、高校は 一緒に、規則を破って 色んなことをしたなとか やっぱり、何言っても バンド楽しかったなとか。 いちいち話す恋バナも、 あの、先生ダルいなとかも 全部楽しかった。 大学生になって、社会人になって そうやって毎日しょうもないこと 話す時間もなくなったけど、 やっぱり、会った時は 変わらずというか、お互い変わってるけど まとう空気感は同じで やっぱり楽しいし、多くを話
私はとあるラーメン屋さんで アルバイトをしている。 東京と、四国の港町に店舗をもつ ラーメン屋で、オーナーは行ったり来たり。 そこで、私は会社員の傍ら、副業でアルバイトを させてもらっているので、週に1日しかシフトに入れない使いにくいスタッフだと思うが、しっかり、私を一員として迎え入れてくれる、 このラーメン屋が大好きだ。 私は、学生のころからバンドを組んで人前で演奏することが好きだった。noteの別の記事にも書いているが、ラーメン屋があるこの町でも3,4年ぶりにライブ
3年を過ごした、美波町。 家族のように大事な人がたくさんできたし、 宝物のような、時間をたくさん過ごした。 もうすぐ、ここを去る。 あと、何回会えるだろうか、 あと何回、話せるだろうかと 考えるだけで涙が溢れるほど、大好きな町。 車を売る仕事を、辞め 新たな、場所での再スタートを決め、 美波町にやってきた、これが3年前。 海も山も川も綺麗で、人も暖かい。 温かいというのは、ただ優しいのではない、 ちゃんと、見守ってくれ、間違いは正してくれる。突っ込んだ話も遠慮なくで
私は、とある自治体の仕事で、副業人材育成講座をコーディネートしている。具体的には、何をしているかというと、自治体さんの希望を聞いて、住民向けにどんな講座がいいか考え、講師をアテンドする。そういう仕事。 これまで、PCの基礎を学ぶ講座や、少し背伸びをして簡単にアプリを作る、ローコードを使う講座やWebデザインの講座を実施しり、その時により様々。 一番直近では、スマホでプロカメラマンのような写真を撮影する!という講座を実施。スマホで写真を撮り、SNSヘ投稿する機会は老若男女あ
中学生からの友人ゆり(仮称)との話。 趣味や、好きなこと、性格も それぞれの2人だが、 知り合って以来、ずーーーーーーっと 信頼している友人がいる。 もちろん、学生時代の 修学旅行は同じ班だし、 クラスや部活が違えど、放課後には プリ撮りに行くし、 大人になっても定期的に 旅行に行く仲。 私は、ゆりの素直で正直なところ、 ちょっとやそっとで動じない度肝や、 ひたむきに頑張れる強さと 人の良いところを探す達人で、 人の頑張りを全力で、応援し 自分も共に頑張れるまっすぐな
人口6,000人を切る、四国の港町に 移住して約3年。 年に一回、八幡神社の秋季例大祭で ちょうさという、太鼓屋台が街を練り歩き、 海に飛び込んで行くお祭りが行われます。 太鼓とその四方を囲む打ち子をのせ、 約1トンにもなるちょうさを おおよそ、50人〜80人の男性で持ち上げる この祭り、神社を囲む半径三キロ圏内の 地域で、8町の町内会があり、それぞれ 一期ずつ、ちょうさを持っているので 総勢8期が町を練り歩き、海へ飛びこむ、 迫力ある祭りです。 基本的には、男の人しか
生まれた時から、友達の ゆきっぴ(仮称)とさ、井戸端会議すんのが 毎日の恒例になっててさ。 あ、これ小学生の時の下校時の話ね。 引っ越す前も引っ越した後も ずっと家が近くて、 下校の最後の分かれ道で 1時間〜2時間ぐらいは ずっと立ち話するのが、日課やったんよね。 やけん、近所の人が 買い物に出かけた時も、私たちは 道端で話してて、帰ってくる時でさえ 同じ場所で突っ立って話ししてるから 「あんたら、ええかんげに一回家もんてから、どっちかの家でしたらわ」 ってもっともなこ
大阪の友人や恩人に会いにいく旅にでた。 その人の職場に行ったり、 一緒にご飯を食べたり、普段メールや チャットではできないコミュニケーションがとれた。 そして、行く先、行く先で 新たに出会える人もたくさん いた旅になった。 ランチを食べに行った先で、 アルバイトのお姉さんが気さくに 話かけてくれて、「徳島にいきます!」 と言ってくれたこと、凄く嬉しかった。 本屋の店主のおじさんに「また、あなたの好きな 年代の車の雑誌を店頭に並べておくよ。」 と声をかけてくれたこと、
大阪出張で、たまたまテーブルが 一緒になったおっちゃんと 意気投合して、仕事終わりに たこ焼きを食べに行くことになった。 道中 「ほんまに、たこ焼き一緒に食べに行くことになるとは思わんかった。」 って言われたから、 「すみませんけど、わたし、社交辞令も真に受けるタイプなんで。」 って返したら 笑ってた。 なぜか、難波、心斎橋を案内してくれて 難波のたこ焼きやさんで 2人前のたこ焼きを 買ってくれた。 お店で座ってたこ焼きをたべた。 「何歳にみえる?」 っておっち
•やりたいことやりたきゃ、出世しな。 自分らしく生きるために、出世しな。 •今日も素直であれますように。 •多様性という言葉で、問題を棚に上げるな。 •人生は自分なりに納得できる瞬間の積み重ね /雲をさがす •傷つくのを恐れることは、 実際に傷つくよりもつらいこと。 /アルケミスト •サヨナラを言うのがこんなにもつらい相手がいるなんて、僕はなんて幸せなんだろう /くまのぷーさん •知っている言葉の量で人脈は決まる。 英語を勉強するのも、嫌いな分野を勉強
年末に差し掛かり、「これで、良いお年になりますかね」仕事の相手先にも 言われることが多くなった。年末。 でも、あまり寒くなく。刺すような日差しと少し冷たい空気が 心地い例年にはない様子を感じた冬のある日。 入社してからずっと一緒に隣を走ってくれた、まいちゃん(仮称)と ちょっとした打ち合わせを入れていた。 そんなに難しくない打ち合わせだったので、 20分もすれば、本題は片付いた。 そこから、まいちゃんとの一年の振り返りをした。 まいちゃんは一時期、体調を崩していた。