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No. 8 英語教育とidentityについて⑦【留学からみる言語力とidentityの問題】

はじめに

前回は、agencyを発揮した英語学習・教育の可能性について書きました。その中で、いわば理想状態の英語学習・教育を描いたのですが、今回は少し現実的な目で留学という一つの英語学習の形を見ていこうと思います。

留学

コロナ禍で留学に行きづらい環境になってしまっていますが、それ以前は多くの学生(特に大学生)が留学に行っていた印象があります。
いうまでもなく、留学では英語力を高められるだけでなく、異文化交流を通じて様々なことを学ぶことができます。そのため私は、チャンスがあるなら誰しも留学をすべきだというふうに考えています。
しかし、留学生活は必ずしもハッピーなものではありません。「言葉が通じず苦労した」という経験は誰しもありますが、このような経験をidentityの観点から考えてみたいと思います。

留学生identity

留学に行くと、「留学生」international students (日本語の「外国人」よりマシかもしれませんが) と認識されるのが一般的です。海外に行くのだから留学生と思われて当然ではないか、と思う方も多いと思いますが、これには語学において障壁となりうる要素があります。
極端な例をいうと、以下のようになります。

「留学生」というidentityを周囲から押しつけられると、その時点であなたは「英語学習者」として扱われるようになり、英語はあなたのものではなくなってしまう

よくわからないと思うので、少しずつ分けて書いていきますね笑

まず、留学生というidentityを周囲から押しつけられる原因は、見た目や英語力によるものが大きいです。そして、留学生というidentityを押しつけられると、あなたは「英語を学んでいる人」ということになるので、あなたの英語は「正しい/正しくない」というジャッジにかけられるようになります。「正しい」(=よくできる)と思われた場合は、あなたはそのコミュニティに受け入れられますが、「正しくない」(=英語ができない)と判断されるとそのコミュニティでの立場が弱くなります。そうすると、発言権が減ったり活動に関わるのが難しくなったりします。このように弱い立場になると、あなたは英語を自分のもののように扱っているというより、「英語に振り回されている」ような状態になってしまう。つまり、「英語があなたのものではないような状態」になってしまうのです。

いかがでしょうか。「英語が自分のものでなくなる」ということが、このブログの最初よりわかりやすくなっていると幸いです。

これの何が問題なのか

一つには、日本から英語を学びに行ったその留学生が、発言したいのにできない(グループディスカションに参加できないなどはよくある話です)などの悔しい思いをすることが問題です。だったら英語力を上げるように努力すればいいだけだろうと思われるかもしれませんが、話はもう少し複雑です。

確かにこのような「個人的」な問題は、その人の努力次第で解決できるということもあると思います。実際多くの留学生が、「最初は苦労したけど後半は楽しめた」というような経験をします(一方で、留学をあまり楽しめず「英語嫌い」のようになってしまうケースもありますが)。しかしながら、個人的なレベルを超えた話でいうと、つまりもう少し遠くからこの現象を見ると、大きな問題があるということに気づくと思います。

先ほど留学生identityを押しつけられるとどうなるかを上に書きましたが、あれを当然だと思ってしまうと、日本にくる留学生や外国人に対しても同じ目を向けてしまうことにつながります。すると、以下のようになります。

日本にいる外国人を見ると、「日本語話せるのかな」と気になる

あまり話せない場合、「ああ留学生(=外国人)ね」と、「外国人」identityを課してしまう

話せる場合は、「外国人なのにすごいね」となんとなく上から目線で認めるか、「とはいえ外国人だもんね」と結局外国人identityを課してしまう

このように外国人identityを相手に課すと、以下のように思ってしまったりします。

  • (高校生スポーツで)あのチームずるいよね、外国人入れてるんだから強くて当然じゃん

  • (いわゆるハーフの子を見て)まあ漢字できなくても仕方ないよね!(優しさのつもりですが、、、この記事をご覧ください

  • (外国人と思われる人と話して)ええすごい!日本語お上手ですね!

いかがでしょうか。なんとなくやってしまっているようなことですが、言語力とidentityを結びつけることが一つの原因になっていると思われます。無自覚に人を傷つけてしまうリスクは避けたいところですよね。

おわりに

留学生活の困難さから、言語力とidentityを結びつけることの危険性を考えてみました。留学生identityを課されると、前回の投稿で示したようなagencyを発揮した理想の英語学習・教育にはならないでしょう。また、言語力とidentityを結びつけることのリスクを看過すると、自分自身も無意識のうちに、他の人に同じようなことをしてしまいかねません。

実際私は、英語力が上がるにつれて、Your English is so good!という褒め言葉と思われるような言葉も、素直に受け取れなくなりました。「ネイティブ目線で見て上手ってことね。やっぱり、逆にいえばネイティブとは違うってことだよね。」と思ってしまうからです(今はもうそれさえも受け入れていて、むしろ喜ばしいと思っていますが!)。

このような経験から、私は日本語がとても上手なALTに対して「日本語お上手ですね」という代わりに、「日本に住んで長いんですか?」と聞くようにしました。あまりにも日本語が流暢だからどうやって学んだか聞いてみたかったのですが、「日本語上手ですね」といって嫌な思いをさせたくなかったからこのような聞き方にしました。これが素晴らしい聞き方かはわかりませんが、無意識に傷つけてしまうことを回避し、少しは「配慮」のある言葉を使えたという意味ではよかったのではないかと思います。

英語学習者のみなさま

「英語学習者のみなさま」と呼びかけてしまうことで、ある意味「学習者」扱いしてしまっていますが(言葉って難しい!!)、私も英語学習者の一人であることは変わらないですし、学習者だからといって「正しい/正しくない」にジャッジされる必要はないということをお伝えしたいです。もちろんスタンダードな語彙や表現、文法を学ぶ必要はあると思いますが、それは「正しい=善」という考え方からではなく、コミュニケーションをとる相手への「配慮」からであってほしいと思います。また、学習者ならではのcreativityもあると思いますので(いつかこれについては詳しく書きます)、「正しい=善」と思いすぎず「自分らしく」英語を学んでいってほしいと思います。

英語教育者のみなさま

私たち教育者は、テスト等があるために、「正しい=善」という意識を学習者に植えつけてしまうリスクを常に抱えています。それを認識し、そのリスクを回避すべく、学習者に価値観やidentityを押しつけないように努力しなければいけません。私たちは英語教育者であると同時に、英語学習者(&母語や他の言語の学習者)でもあります。このことを学習者と共有し、強調していくことで、少しでも「対等」の立場に近づけると思います。また、学習者を「学習者扱い」しすぎないのも一つの手です。彼らを「英語の使い手」として扱う活動を増やすことで、彼らを「英語に振り回されている状態」から「英語を自分のものとして操っている状態」にしてあげることができます。そのことも念頭において、アウトプットをレッスンに取り入れていくのもいいかもしれません。

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