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キャンドルソングの消えない火―a flood of circleを聴く理由

2024年6月9日梅田TRADで聴いた『コインランドリー・ブルース』


「エモい曲やります」佐々木亮介はそう言って『コインランドリー・ブルース』を歌った。ライブの真ん中あたりだった。a flood of circle(以下、フラッド)の【Tour CANDLE SONGS-日比谷野外大音楽堂への道-】を2024年6月9日に大阪・梅田TRADで観たときのことだ。

『コインランドリー・ブルース』は2010年発売の『ZOOMANITY』にて発表され、2016年にリリースした初のベスト『THE BLUE』にも収録されている。『THE BLUE』初回盤のDisc3は佐々木の弾き語り音源が収録されていて、『象のブルース』から『花』、中島みゆきのカバー『ファイト!』まで11曲あり、その中の一曲として収録されていた。私はそのリリースの際に『GOOD ROCKS!』誌で取材をした。話の中で「『コインランドリー・ブルース』は世界中の人が全員、1人残らず聴いたほうがいい曲だと思う」と言ったら、向かいのソファに座った佐々木が目を丸くしていた。今でもそう思っているけれど、言葉が全然足りていなかったので伝わっていなかったと思う。

取材の帰り。深夜の電車の窓から見えた大きな川は、水面と岸の区別がつかないぐらい真っ黒で、それに負けないぐらい真っ暗な空の下に、街の明かりやビルや家々の灯が散らばっていた。「世界中の人が全員、1人残らず聴いたほうがいい」が主語が大きくて大袈裟なら、「自分の中の悲哀に飲み込まれそうになったことがある人は1人残らず聴いて、この曲に救われたほうがいい」と言い換える。

自分が10代の頃に佐野元春の『TONIGHT』の〜君の身がわりに その深い悲しみを 背負うことはできないけれど〜という数行を思い出すことで超えることができた夜がいくつもあって。そんなふうにフラッドの『コインランドリー・ブルース』で夜を超えている人がいるんだろうなと想像する。この世界に自分の味方だと思える存在は1人もいない。いるかもしれないけれど、そう信じることができない。もとより自分自身を信じられない。そんなどうしようもなさで波立った内側に、『コインランドリー・ブルース』はそろりと入り込んで作用する曲だと思っている。

初めてフラッドのライブに行ったのは、今から11年前の2013年12月。【Tour I’M FREE AFOCの47都道府県制覇!形ないものを爆破しに行くツアー/迷わず行けよ編】の神戸・太陽と虎。対バンはMO’SOME TONEBENDER。その頃フラッドの名は知っていたけど、彼らの曲はほとんど聴いたことがなかった。そんな自分でも、メジャーデビュー直後にメンバーが失踪し、ギターの曽根巧(当時)はサポートメンバーだということは知っていた。

そもそもよく知りもしないフラッドのライブに行こうと思ったきっかけは、髭だった。2013年の春に髭のアルバム『QUEENS,DANKESCHON PAPA!』がリリースされ、インタビューの機会を得た。その頃髭はオリジナルメンバーのフィリポとコテイスイに加え、当時踊ってばかりの国のドラマーだった佐藤謙介をゲストに迎えたトリプルドラム体制を敷いていて、髭ならではのストレンジ感が頂点に達していた。10月にあったフラッドの47都道府県ツアーの横浜と名古屋のゲストバンドが髭で、それを知ってフラッドに興味が湧いた。

初めて観たフラッドのライブは、蓋を開けてみたらもうめちゃくちゃに楽しかった。最初のうちは大人しく後ろの方で聴いていたけれど、曲が進むにつれ、人の波をかいくぐって少しずつ前に向かい、初めて耳にする曲のサビを一緒になって歌っていた。久々に高純度のロックンロールを全身に浴びた。自分が欲しているのはこういう血の滾る音楽で、それを奏でるバンドがここにいた。と、発見した気分だった。

そのメチャクチャに楽しかった初めてのフラッドのライブを軽く凌駕したのが、6月9日の梅田TRADのライブだった。会場に入った瞬間から、それまで見たことないぐらいの数のお客さんがひしめき合っていて、その光景に思わず声が出た。ベック・ボガード&アピスの「Superstition」を背に現れた4人を、曲に合わせた熱い手拍子と歓声が迎える。温度がグッと上がったようなフロアへ火を放つように1曲目の『Blood&Bones』が投げ入れられライブが始まると、ぎゅうぎゅう詰めのお客さんが一斉にステージに向かって手を挙げる。体を揺らし、好きなバンドがそこで鳴らしている歌を一緒に歌う。フロアを埋めた一人一人のその一挙一動がとてつもなく美しかった。前述の『コインランドリー・ブルース』は言わずもがな。終演が近づいた頃に思った。自分は、フラッドのこんなライブがずっと観たかったんだと。

最近の佐々木亮介は、ライブ中に何度もマイクをフロアに向ける。ステージを降りてフロアを歩き回るし、ダイブもする。11年前に見た時も観客に「歌え!」とは言っていたけれど、その頃自分のリスナーにマイクを向けることはしていただろうか。ダイブしたりフロアに降りたり。

2023年の【花降る空に不滅の歌を】、その前の【伝説の夜を君と】、【FUCK FOREVER & I’M FREE】ツアーは足を運べていない。『伝説の夜を君と』は、ジャケットなどのビジュアルも含めてそれまでのフラッドのアルバムとは違う感触を得た作品だった。それに続く『花降る空に不滅の歌を』は、楽曲を手がける佐々木亮介の内面をより深くえぐりだした楽曲たちが、海底深く下ろした錨のようにいつまでも耳の奥に居続ける。それらを携えたツアーで、1本1本ライブを重ねていく中で得た手ごたえは、確実にa flood of circleというバンドの血肉になっていったに違いない。それに加えて、これまで以上に聴き手の心を掴んで震わせて、揺さぶって、引き寄せ、ライブに足を向けさせている。それは6月9日のTRADを埋めた観客の姿にも見ることができた。

2024年7月11日梅田クラブクアトロで聴いた『本気で生きているのなら』


それから約1ヶ月後の7月11日梅田クラブクアトロで、同じく【Tour CANDLE SONGS-日比谷野外大音楽堂への道-】のthe pillowsとの対バン公演があった。たった1ヶ月で、こんなにも熱狂の度合いが増したライブを今のフラッドはやってのけるのだなと感じ入った。

先攻はthe pillowsで、『LITTLE BUSTERS』、『About A Rock’n Roll Band』と冒頭の2曲を続けた後で山中さわおは、「いまだに(佐々木)亮介が飽きてないロックバンド、the pillowsだ」と簡潔に自己紹介をした。

後攻のフラッドはpillowsの「レディオテレグラフィー」を歌った。FM802のフェス【802 RADIO CRAZY】に向け2015年に山中が制作したこの曲には佐々木亮介がボーカルで参加している。山中が佐々木を選んだ理由は、「出来上がった曲がロックンロールで、ロックンロールはfloodの佐々木亮介だろ」という明瞭さ。

7月11日梅田クラブクアトロのフラッドのハイライトは『月夜の道を俺が行く』と『本気で生きているのなら』。『月夜の道を俺が行く』を初めて聴いた時、歌詞を目で追いながら曲中で〜佐々木亮介〜と歌っていることに驚き、一瞬笑ったかもしれない。が、何度も聴き進むにつれ〜変われない俺〜とか、〜嫌われたくなくて前向き〜とか、〜不幸ぶって自分だけ愛して〜とか、(これ全部私のことじゃないのか…?)とまったく笑えなくなった。

『本気で生きているのなら』を聴いた時は、最初の一行目は見た。あとは目で追うのをやめた。刺さりすぎて辛い。辛いけど、1000の優しい慰めの言葉よりも、たった1つのまるで自分の中身を言い当てたようなボロボロでギリギリの鋭い言葉が、自分を深く深く捕える。

ただでさえ言葉数の多い『本気で生きているのなら』に、クアトロのライブではさらに言葉が足されまくって、それを早口でまくし立てる。視界に入る人ほとんどが、身体中を耳にして全身でこの曲を受けとめているように見えた。アルバム『2020』に収録の『火の鳥』も、『伝説の夜を君と』の『白状』も、もっと前の『花』も佐々木亮介自身を綴った曲だった。それに対して『月夜の道を俺は行く』、『本気で生きているのなら』の2曲は、言葉にするとか刻みつけるとかではなく、佐々木亮介そのものだ。

クアトロのライブが終わってから気づいたことがあった。『月夜の道を俺が行く』で不貞腐れて吐き出すように〜俺が死んでも変わることはない世界〜と歌っているが、あえてそれを言葉のまま受け取らせてもらって、ひとこと言いたい。
俺が死んでも世界は変わることがないなんて、大間違いだ。めちゃくちゃに変わる。

デヴィッド・ボウイも忌野清志郎も、亡くなっても彼らの音楽は残っているしこの先もずっと聴き続けることはできる。佐々木亮介が死んでもa flood of circleの音楽は残る。ガッサガサの声でがなるように歌った歌も、ギター一本でメロディをなでるように歌い紡いだ曲も残る。ただし佐々木亮介がいなくなった後の世界にはa flood of circleのライブが存在しない。その一点だけで、それ以前と以後の世界はまるっきり別物だ。どれだけの人のたった1人の夜を救うかわからない『コインランドリー・ブルース』が生で聴けない。カッコつけて道に迷いまくっている世界中のあちこちにいる「佐々木亮介」に、ホンモノの佐々木亮介の雄叫びと生の音で鉄槌をお見舞いする機会もなくなる。ほんと、死んでたまるかだ。

a flood of circleを2年後の日本武道館で聴く日


佐々木亮介と最初に日本武道館の話をしたのは『GOOD ROCKS!』誌で『ベストライド』(2015年発売)の取材をした時。DURAN脱退のニュースを3月に知って、話を聞くよりライブを見ればバンドの現在が分かる気がしてとにかくすぐにでもライブに行きたかった。そんな折に大阪城音楽堂であったイベントにフラッドが出演した。短時間ながらもメンバー脱退の痛手をまったく感じさせないどころか、今「痛手」と書いたけどそんな生っちょろいワードが頭をよぎる瞬間は1秒たりともない、気迫のこもったステージだった。その演奏を聴いていてフラッドは日本武道館をやるべきだと思った。あえて「べき」と。そのステージに立つバンドだし、そういうバンドだろうと。

『ベストライド』の取材で佐々木に、「これまでにいろんなことがあった中で、”もう立ち上がれないかも”と思ったことはないか?」という質問をした。佐々木は女王蜂のアヴちゃんから借りたというマンガ『ガラスの仮面』の一場面を引用しながら、「a flood of circleは死ぬまでやるしかないと思っているし、立ち上がると決めている。今、後輩バンドがどんどん武道館をやっているけど、俺も武道館に立つと思っている」「自分たちにしかできないストーリーで辿り着いた時の1万人がいる景色は絶対特別なものになる」と答えた。それ以来、取材で出会うたびに「武道館でフラッドを観たい」と私も言い続けている。

私の地元は名古屋で、大学に進学した1988年から20年ほど東京に住んでいた。初めて日本武道館で観たライブは、上京した年に観たストリート・スライダーズ。中学でも高校でも自分以外にスライダーズを知る人に出会えたことはなかったけど、自分にとって何にも変え難い彼らの音楽は、ある時は「お前はそれでいい」と自分を肯定してくれるもので、またある時は一歩または半歩踏み出す力を分けてくれるものでもあった。自分にとってロックンロールはそういう音楽だ。

『ゴールド・ディガーズ』によれば2026年にフラッドは日本武道館でライブをやる。a flood of circleの結成20周年。アオキテツがサポートメンバーとして加わって10年(現在アオキテツは正式メンバーになりバンドは完全体に)。10年ぶりの日比谷野音を終えたら、2年後は日本武道館が待っている。

取材・文 梶原有紀子(音楽系文筆家)


余談
自分用に作っていたa flood of circleのプレイリストを結成15周年に合わせてApple MusicとSpotifyで公開してみた(今年はデビュー15周年)。曲数は30曲で、自分の聴きたい曲だけを並べてときどき曲を入れ替え、曲順も変える。「シーガル」や「Sweet Home Battle Field」「Dancing Zombiez」などのライブ定番曲は最初から入れていなくて、それは『はじめてのa flood of circle』みたいなプレイリストにお任せしている。すでにご自分のライブラリに追加して下さっている方、ありがとうございます。



a flood of circle

2006年結成。メンバーは佐々木亮介(Vo,G)、渡邊一丘(Dr)、HISAYO(B)、アオキテツ(Gt)。2023年2月に12枚目のフルアルバム「花降る空に不滅の歌を」発売。2023年9月ホリエアツシ(ストレイテナー)プロデュース「ゴールド・ディガーズ」リリース。2024年3月後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)プロデュース曲『キャンドルソング』を収録したEP『CANDLE SONGS』発売。全国ツアー【CANDLE SONGS -日比谷野外大音楽堂への道-】を経て8月12日に10年ぶりとなる東京・日比谷野外大音楽堂にてワンマン公演。


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梶原有紀子 kajiharayukiko
編集プロダクション勤務を経てフリーに。2006年から神戸住。「ぴあ関西版WEB」や「GOOD ROCKS!」などWEBメディアや雑誌に寄稿。書籍「素敵な闇 髭(HiGE)10th Anniversary Book」「Every Little Thing 20th Anniversary Book Arigato」「MARIE UEDA“Chronicle”」執筆。





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