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西アフリカ セネガルで育児ができて幸せだと感じる理由

夫の待つセネガルまで、1歳の娘を連れて飛行機を乗り継いだあの長旅から、半年以上が経った。
(39時間のフライト&トランジット・・・!)

日本では夫不在という理由から実家に居座り、他のママ様方よりかなり伸び伸びと育児をしていたと思う。

両親共に働いているがコロナ禍で在宅の日も多く、弟もかわいそうなことに在宅の学生生活。

家事を私が一番多くこなすとは言えちょっとしたことを頼める相手が多かったので、ありがたいことに子育てと家事で疲れ果てるという感覚はなかった。

そしてセネガルでは気軽にお手伝いさんを雇って掃除や子供の世話を頼める。
諸事情あり今は週2回掃除のみお願いしているが、初めは子供を見てもらうことも多く大変助かった。

セネガルという知らない国に来ても育児の大変さを一人で抱え込まずに済んだのは、本当に本当に!!ありがたい。
私はそれが、お手伝いさんがいるので物理的に家事育児の負担が少ないことによるものだと思っていた(もちろん間違いなくそれは大きな理由であったが)。
しかし日本に一時帰国して、改めてそれだけではないと確信した。


1. 他人でも子育てに過干渉くらいが当たり前

以前書いたことがあるように、一歩家の外に出れば毎日近隣の方々との挨拶や会話で忙しい。

もともと現地語のウォロフ語に挨拶が長い特徴があるので、たとえフランス語で会話しても自然と会話が長くなる文化ではある。

ウォロフ語挨拶が気になる方はこちらのサイトへ

それにしても近くのお店の店員さんや守衛さん、道の定位置に座っているおじさんに、

「今日べべはちゃんとご飯食べた?何食べたんだ?ちゃんと寝た?何時間寝たんだ?いっぱい泣いた?」

とこと細かく聞かれるので面白い。

「今日は昼寝が早く終わっちゃった」や
「今日は便秘なの」
と現状を答えた日には、困っていても別に困っていなくても、アドバイスや経験談を永遠と聞かされる(笑)

そして毎日
 ''Les enfants sont comme ça’’
(子どもってそういうもんだもんね)と締めくくってくれる。

とにかくどんな些細なことでも気遣ってくれて、一緒に考えてくれる。
おかげで一人で子育ての悩みを抱えることなんてほとんどなく、こちらもそんなにしゃべる気がなくても自然と相談していることが多い。

干渉されてしまうと勢いに負けてすべて答えている自分もいるが... いずれにせよ必ず誰かが一緒に悩んでくれて、一緒に解決しようとしてくれる、温かい場所であることに間違いない。


対して日本では国民性もあり、
「あんまり他の人の生活や育児方針に踏み込みすぎるのも失礼かな?」
といった一定の距離を置いた関わり方が前提にあるので、保育園の先生など子育てのプロでない限り、セネガル人との会話のようなものが成り立つことはまずないだろう。

他の家庭のことはその家庭内で解決すること、そしてその「他」の壁を突き破るまでの親しさを道端の人と築くことはなかなかハードルが高いと感じる。


2. どんな時でも子供のエンターテイナーになってくれる

お店に入ってご飯を待っているとき、列に並んでいるとき、眠くてぐずっているとき、移動中等々、外出中子供が不満を表すことは毎度のこと。

そんなとき、店員さんや近くに立っている見ず知らずの人誰しもが、迷わずハイテンションであやしてくれる。

'Aaaaay pourquoi tu pleures?' 
おーいなんで泣いてるんだい

'Bebe cou cou’ 
赤ちゃん~こんにちは~~~

と大きな声で話しかけたり、ほっぺをちょんちょん触ったり大げさすぎるくらいの表情を子供に見せる。

嫌な顔されることなんてありえない上に、私が最初驚いたことは10代、20代の若者の男性でさえそうやって相手してくれることだ。

(日本ではいつも思いやりゾーンに座っている老人の方々としかそのような経験がなかったので、年齢性別関係なく皆がそう接してくれることが衝撃だった。)

もちろん子供が不機嫌でなくても、その場を楽しませようととにかく気を引く何かをしてくれる。

カフェでフルーツと袋を渡され
喜んで遊ぶ娘。
全てプレゼントしてくれた。


ドバイ→セネガル飛行機でずっと娘の相手をしてくれた優しいセネガル人。
就寝中突然叩かれても毛布を剥がされても笑顔で応えてくれたスーパージェントルマン。


日本でももちろん気にかけて声をかけてくださる方に救われた経験がある。
しかし前述した不干渉な国民性に通じるのか、総じて見て見ぬふりをされることが多い。

例えば一時帰国中娘と2人で外出した際、
ちょうど電車に乗ったタイミングで娘がぐずってしまってどうしようもないくらい大声で泣いてしまった。
どんなにあやしても泣き声はうるさくなる一方。

車内の誰一人こちらを見ない。
おそらく皆心の中で「小さい子が泣いていて大変そうだな、じろじろ見てはいけないし泣き止むのを待つしかないな」といった具合で静かにしていたのだろう。
以前の私も他の人々の立場だったら、おそらく同じようにしていた。

しかしその時私にはその沈黙と無視が強烈に居心地悪く感じられ、肩身が狭くて耐えられなくなり、次の駅で降りて駅のホームで娘が落ち着くまで待つことにした。

電車に乗っていた誰かに文句を言われたわけでもなかったので、こちらが嫌な気持ちになることは一切なかったはずだ。

たぶん、あの時電車の中で「うるさい親子」対「他の乗客」という分断された構図があまりにもはっきり見えすぎて、一人でどうにかしなきゃいけない状況にやりづらさを感じてしまった。

こちらでよく子供を一緒に遊ばせてもらっている鈴木さんという方が、セネガル在住日本人の方々の子育て話を聞き、とても分かりやすくまとめてくださっている:

「不便なはず?」のアフリカで、なぜ「子育てがしやすい」と感じるのか?――セネガルで子育てする日本人10人に聞いてみた。

鈴木さんが書く記事にはひたすら共感しかない。
セネガルは『「子供を社会で育てる」が当たり前にある社会』と綴られているように、子供を見ると皆が手助けしてくれる。

これは私が間違いなくセネガルでの子育てが幸せだと感じる大きな理由である。


3. 育児を頑張らなきゃ!というプレッシャーが全くない

皆が子供の様子を気遣って積極的に関わってくれると、私一人が育児をしているわけじゃないことがよく分かり、ゆったりとした気持ちで子供に向き合える。

日本にいるときあれほど
「保育園開放日に遊ばせに行かなきゃ」
「この日は児童館に連れて行ってちょっと違う場所で遊ばせてあげた方が良いかな」
とスケジュールをちまちま確認していたことを思い出すだけで、窮屈な気持ちになる。

親である私の選択や考え方が子供に最も影響を与えてしまうかもしれない。
しかし私が遊ぶ内容や行き場を細かく考えなくても、社会の皆さんに毎日気遣ってもらえたら、勝手に心がすくすく育つだろうと安心できる。

まあそもそも私が子育てを頑張りすぎたところで子供にとってそれが幸せじゃないこともあるかもしれない...
なので日本に帰ってもこの感覚を忘れずに、ゆったりどっしり構えて娘の成長を見守ろう。


 !もちろん子育てしづらいと思う点もある!

人が優しいのはセネガルで子育てをする上で最も素晴らしい点だが、日本と比較してしまうと不便、不安に感じる点はたくさんある。

◆公園がない
遊具や子供用の乗り物があるスペースもあるが、どこも有料、そしてちょっとしょぼい。

青い芝生を駆け回って滑り台で遊んで・・・といったごく普通で簡単な遊び方ができない(そもそも雨季以外基本は砂っぽくて茶色い町)。

せいぜいできることは何もない砂の広場を駆け回ること。

◆車が歩道に乗り上げていて、道を安全に歩けない
日本ほど駐車スペース/道路/歩道がはっきりと分かれていないので、基本的に道路脇に歩道に乗り上げる形で車が駐車されている。
なので歩道は歩けないところも多く、車が通る車道の端っこを歩くことが多い。
子供を歩かせることなど怖すぎて絶対にできない。

◆空気が汚い
こちらで乗られている車の多くは、おそらく先進国から渡ってきた(何年使われてきたんだと思うような)中古車。
そこら中にへこみと傷があり、窓ガラスにひびが入っている車多数。
そんな車から出てくる排気ガスはしっかり灰色に色づいて目に見えるので、子供がその空気を吸っていると思うと悲しくなる。

また、1~3月頃、主にモーリタニアの砂漠から砂が舞ってくるので空気が悪い。


◆蚊が多すぎ
これはただの文句。子供の蚊に刺されを年中気にする必要があるのが嫌!


◆離乳食がまずくて高い
離乳食は、フランス輸入品しか存在しない。1歳以降のものは一食500円程度と高価なうえ、どうやってこんなまずそうなごはんをそんな高い値段で売ることができるんだろう、と思うクオリティー。娘もあまり好きそうじゃない。


◆紙おむつも高価、というかベビー用品全てが高価
安心できるブランドのパンパースが売っているのはとても嬉しいが、輸入品のため日本の1.7倍ほどの価格。
それでも日本製おむつのようなふわふわな触り心地でなく、ガサガサ。

我が家は外出時と就寝時以外布おむつを使っているが、毎日うんちを手洗いで落とす等手間がかかる。

他ベビー用品すべて手に入るが、やっぱり輸入品なので高価。

◆子供が何か病気にかかったら本当にすぐ適切な対応をしてもらえるのだろうか、という不安がある
こればかりはしょうがない・・・一番信頼できると言われている病院に一度かかってみて、文句はないが、こうした不安はつねに心のどこかにある。

それでもセネガルで子育できることは幸せ

日本を離れて気づいたことは、子育てのしやすさは設備や環境よりも、一緒に子育てをしてくれる人がどれくらいいるかどうかだ。

一緒に悩み、一緒に考え、一緒に解決しようとしてくれる。

そんな人が周りにこんなにたくさんいるセネガルで小さい子供を育てられるのは、本当に贅沢な経験だと思う。


考えてみたら日本でよく耳にする「ワンオペ」はいかに日本人が孤独な状態で子育てをしているかを表す言葉だ。

大体ママさんがこの言葉を使うときは、夫が家にいないため家事育児を全て1人で担当するという、物理的に大人1人の状況を指しているだろう。
ただ根底には、小さなことでも他に頼れる人がいないため一人ですべてを担わざるを得ない、人に助けられないのが当たり前な状況が凝縮されているように感じる。


日本に本帰国したらそんな言葉が浸透している社会に飲まれ「子育て大変!!!」と文句を言う自分がいるかもしれないけど、
そんな時はセネガルの子育てを思い出して、自分の子育ての在り方を考え直すきっかけになればいいな・・・と思いながら記事を書いた。




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