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オンラインレッスンの自由会話で、訂正をするべきか、しないべきか。

僕はちょくちょくフランス語を教えている。

僕は日本人だから、自由会話と名の付く僕の授業に需要はないと思っていたが、案外そうでもない。
まずは日本人と話したいという生徒はいるものだ。

自由会話の授業は前提を丁寧に確認する必要がある。
例えば、訂正に対する考え方だ。

僕の経験上、
会話の流れを遮ってでも不自然な言い回しは訂正して欲しいという訂正派と
訂正ばかりされると話す気が失せるという反訂正派がいる。

学習者としての僕は訂正派で、語学講師としての僕も訂正派だ。

対価を得ている以上、ただお話を聞いているだけという訳にもいかない。
外国語での発話を聞いて欲しいということだけであれば、必ずしも講師は必要ないからだ。

例えば、ChatGPTを相手に話をすればいい。彼/彼女はAIだが、予想以上に人間らしく返答してくれる。

もしくは例えば、独り言でもいいのではないだろうか。発話の相手はいないが、口を動かして外国語を発するという目的を達するには十分だ。

さらに言えば、言語交換アプリなどでネイティブと知り合いになり、ボイスメッセージや通話機能を活用して彼/彼女らと話す機会ができればなおいい。
訂正もしてもらえるかもしれないし、リアルな言い回しから文化的な背景をつかみ取れるかもしれない。


上記の方法での自由会話と比較する時、講師との自由会話の意義というのは僕が考える上では2点しかない。
・講師は人間であり、生徒の前には講師という他者がいるということ。
・講師は生徒の発言の不自然さに気づき、訂正を促すことができるということ。

つまり、講師との自由会話は、現実感があり、訂正をすぐに受けられるという点で優れていると思う。

だから、僕はなるべく訂正してほしいし、訂正したいと思うのだ。

でもこれは僕個人の考え方だから、他の講師の先生や生徒さんが自由会話の授業をどのように受け止めているのか知りたいところだ。

自由会話に対する講師と生徒のスタンスの違いを埋めるためにも、僕が思い起こすのは次郎系ラーメンだ。

にんにくなしで
野菜マシマシ
麺多め…

授業の最初に次郎系ラーメン風のコールをしてみようか。

訂正なしで
発言マシマシ
質問少なめ
ことわざ多め…

この案は突飛だとしても、訂正の有無についてはちゃんと確認しておきたい。



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