『25ans 2023年9月号』を読んで院落ち25歳が考えたこと

ずっと家にこもってる。モチベーション高く、がんばってみたけどダメだった。お世話になった人に報告の一つもできない。そういえば最近美容室行ってないな。運動もしてないな。おしゃれってどうやってするんだったっけ。
もしあなたが、度重なる失敗らしきものに心を折られ、お洋服も、髪のアレンジも、お化粧すらもうまくできなくて引きこもってるなら、この雑誌をあなたのスタイリストにしてください。

とりあえず、昔買ったファッション雑誌を開いてみようかなと思えるはずです。

「オシャレって鶏が先か卵が先か理論だよね」
昨日友人が言った一言が思い出される。これは事実なのか、それとも他に答えがあるのか。

ちなみに、私も友人もオシャレには疎い方だと自覚してる側だ。東京の一大ビジネス街で働く彼女と、フランスの大学院に進学予定の浪人生は、どうしたってオシャレな人と自分とを比べていろいろ考えてしまうのだ。

オシャレな人は仕事ができる。オシャレな人は人格者だ。これは私が持ってる偏見だが、あなたはどう思われる?

オシャレな人は、もともと自分に自信があるからオシャレだし、それだから仕事にも積極的に向かえるのか、
もしくは、オシャレな人は謙虚で、人の愚痴より自分磨きを頑張るような人格者だから、努力でき、オシャレになったのか。
それが知りたい。

そう思っていたら、25ansが下のように言っていた。
芳野まいさんによる「エレガンスの奇跡と未来」というコラムからの引用だ。アフリカ系アメリカ人の歌姫ジョセフィン・ベイカーについて言及されている。

1925年パリで大成功を収め国民的スターとなったあとも、ベイカーは差別に苦しみます。ですが祖国の公民権運動に参加する際の、ディオールのスーツをまとった最高にエレガントな姿は、エレガンスが、リスペクトを求める闘いの強力な伴走者となることを教えてくれます

25ans 2023年9月号 P.51

「エレガンスがリスペクトを求める闘いの強力な伴走者となる」
こ、こ、答えきた、、、!

つまり、オシャレは、仕事ができるようになったり、よりよい人間になりたいと望む時、頼もしいパートナーになるということだ。

言葉を変えると、オシャレと、諸々のできる人要素の間には、因果関係があるというよりも、対等、かつ互いに影響を与え合う関係性があったということだ。つまり、オシャレに関して言えば「鶏が先か卵が先か理論」は正しかったのだ!

もちろん例外はある。オシャレにかける時間を仕事に全力投球することで成果を出す人もいる。オシャレよりも、本を読み考え、哲学的な世界に沈むことに夢中になることもある。

ただ、そのどちらもできないけど、どちらの要素もそれなりに欲しいと思う私には、これらをいいとこ取りするために試行錯誤する方がいい。

そういえば、最近「いいとこ取り」について考えることが多くなった。
なぜかというと、目の前の目標のために、まさに今私が鍛えなければいけない力で、意識して練習しているからだ。

私はフランス語の資格試験に向けて勉強しているのだが、その中で«synthèse»という手法を使うことが求められる。
ラルース辞書によると次のように定義される。

Opération intellectuelle par laquelle on réunit en un tout cohérent, structuré et homogène divers éléments de connaissance concernant un domaine particulier

LAROUSSE

ざっくり訳すと、«synthèse»とは、ある特定の分野に関する様々な類の知識に対して、一貫しており、構造化されており、かつ不均衡なく、それらをまとめる知的作業のことだ。

「いいとこ取り」と比較すると客観性を求められる点では確かに違うのだが、同時に、「複数の情報の中から、一定の基準に沿って選び抜く」点については似ているといいたい。

そろそろまとめよう。

私はここに宣言する。

来年からフランスに行きたいので、この秋も冬も一生懸命に勉強し、本を読んで頭と心をクリアにし、院試験をパスする。
これは最優先事項。

フランス語の勉強で鍛えられる«synthèse»の力が、フランス語だけでなく、私のオシャレセンスと、仕事の能力と、人格を高めてくれるはずだと高望みしていることを言い添えておこう。






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