僕の名前は仏勉人好(ふつべんひとよし)
ボンジュー。アンシャンテー。
ジェーム ル カフェ。
ぼくの名前は仏勉人好。日本人です。
大学の初級外国語の授業でフランス語に出会ってからというもの、フランス語を勉強し続けています。あれからもう6年が経ちました。
フランスってなんか自由でいいよね。自己主張が激しいところも気に入ってる。仕事に意欲持ってないってところも好きだなあ。
いや、言い方が悪かった。仕事以外の生き方も同等に大切にしてるところが好きだなあ。
フランス語は英語の義務教育のおかけで導入がスムーズにできた。けど、動詞の活用は覚える気力がでないし、冠詞がややこしくて放棄してた。
その結果、フランス語試験は落ちて受かってを繰り返すローペースで進みつづけた。
そんなこんなでつい最近、ようやく上から2番目のフランス語の資格がとれた。
さて、昔の話をしよう。
僕の人生は普通じゃないと思う。結構悪い意味で。
大学生活は楽しく過ごした。
運動部とサークルと地元のボランティアを掛け持ちしていたから、結構忙しかったけど、フランス文学の研究室で自分なりに頑張って授業にでたし、今振り返ってみれば、担当教員には積極的な姿勢を見せていたと思う。卒論も自分なりに頑張った。
でも、就職活動はうまくいかなかった。
大手ばかりを志望したし、ホワイトだと言われるところばかりを狙った。自分に自信がもてなくて、安易な自虐と的を得ないアピールをしたと思う。
そんな僕だけど、唯一小さい頃から好きだったのは、外国人の友人と過ごすことだった。
留学にはずっと行きたいと思ってた。
それで意を決して、自信持ったり失ったりしながらも、ついにフランスに留学した。
なんとか得た内定は蹴った。企業のみなさんごめんなさい。
あれからもう3年が経った。僕はまだ実家にいる。バイトを細々としながら、今度はフランスの大学院に行くんだと決めて、準備をしている。
夏目漱石のなんかの小説で読んだこのフレーズが頭を離れない。
「一種の勉強家であると共に、一種の不精者に生まれついた彼は、ついに活字で飯を食わなければならない運命の所有者にすぎなかった」
活字で飯食うってめちゃくちゃ狭き門だよね。ああ、僕はもっと楽な生き方がしたかったなあ。そう思う反面、思想や言葉について考えながら生きるなんて高尚じゃないか。こうも思っている。
でもさ、勉強が好きって子供の頃は褒められるけどさ、
これって、どっちかと言うと怠け者の隠れ蓑になってたりして。いや、違うかも。みなさんすみません。
やれやれ、僕の人生はどうなることやら。
あ、ちなみに僕にはバリキャリの彼女がいます。要領が良くて知恵がある。優しくてかわいい。
なんで僕なんだろうなってよく思うよ。おそらく僕は、彼女が与えてくれる愛情に値する人間じゃない。それに、これからもそうであることなんてないかもしれない。
彼女の存在は、僕を安心させ、フランスでの挑戦を後押ししてくれている。僕は彼女を利用しているのかな。もしそうだったらやだな。
いや、すみません。きっとあなたはわかっている。僕が弱虫だってこと。僕のよくないところだ。
しかも僕はわかりにくい弱虫なんだ。行動的だし、よくゲラゲラ笑う。初対面の人と話すのはむしろ得意だし、初めてのことに難なく挑戦できる。
から、わかりにくい弱虫なんだ。
反対に、僕がもってるアドバンテージは、まず人に好かれること。
すごい嫌な言い方に聞こえるだろう。それは僕も同感だ。こんなこと言いたくない。でもコミュ力あるよねってよく言われるし、新しい組織に入ったら、何かと特別な好意をいただけることは多い。客観的に見た強みという意味で言わせてくれ。
ただ、一つ言っておきたいんだけど、これはいいことばかりじゃないよ。セクハラ・性被害ってやつを受けてしまうようなタイプなんだ、僕は。そういう人の良さをもってしまっているんだ、僕は。
だから実は言うとね、もう嫌になった。誰かと知り合って、変に深入りされるのが怖くなった。
やれやれ、
そしてもうひとつのアドバンテージは、外国慣れしていることだ。
生きる環境をちゃんと選べば、人と違った生き方ができるかもしれない。
だって、僕の外国好きは、そうほぼ生まれた時から運命付けられてたんだから。そういう環境のもとに生まれたんだから…本物であって欲しい。
この国際化・多様性の時代にいまだにそんなことでマウントとってるのかって?
確かに。その通りだ。
それでも、僕にとっては、特別なことなんだ。
以上、自己紹介でした。このブログでは僕がフランスの大学院入学に向けて根っこを伸ばしている日々をつづるよ。よかったら、読んでください。
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