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南米の怪人 カルロス・バルデラマ

 フットボールの起源は1863年。イングランドのフットボール協会が、現代のフットボールにも通ずるルールを制定したこととされる。イングランドが“フットボールの母国”と呼ばれる所以である。そこから現在まで、古今東西、星の数ほどのフットボーラーが出現したが、見た目のインパクトでこの男に勝る者はいない。

 カルロス・バルデラマ。金髪。カーリー。アフロのようなボリュームヘアー。日本では“ライオン丸”という異名も持つ。風貌はソウルフルなバンドのミュージシャンのようでもあり、怪しいブツを扱う闇組織のボスのようでもある(失礼)。“バルデラマ”という名前も強烈だ。語感的かつ字面的に怪獣のような雰囲気があり、「ゴジラ対ビオランテ」のように「ゴジラ対バルデラマ」というタイトルも成立する気がする(笑)。

 こんなふうに茶化すとコロンビアのファンに怒られるかもしれない。バルデラマは同国のフットボールの歴史を変革した英雄である。1961年、サンタ・マルタに生まれ、ストリートフットボールで技術と感性を磨き、10歳で地元の少年クラブに入団。17歳でプロ契約を結んだ後、名門デポルティーボ・カリをはじめ、国内クラブを渡り歩きながら活躍し、フランスのモンペリエやスペインのバリャドリードでもプレーした。欧州のクラブに移籍した初めてのコロンビア人であり、同国フットボール界のパイオニアである。
 
 コロンビア代表での背番号は10番。絶対的な司令塔であり、チームの顔でもあった。プレースタイルの特徴は、インサイドキックを多用したショートパス。常にこれを繰り返しながらゲームを組み立て、ゴール前にスペースが生まれた瞬間、一撃必殺のスルーパスを供給する。その美しいパスはシルクの糸のようとも形容された。
 
 バルデラマの活躍により、南米フットボールの後進国といわれていたコロンビアは1990年、1994年、1998年のW杯に連続出場を果たす。個人としては南米年間再優秀選手の栄冠に2度輝いている。
 
 余談だが、バルデラマと同世代のコロンビア代表にはイギータというGKがいた。黒髪。カーリー。ペナルティエリアを飛び出して敵のスルーパスを足でカットし、そのままドリブルで攻め上がるような規格外の男であった。

 カーリーヘアのコロンビア選手は侮れない。


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