見出し画像

皇居大嘗宮のこと

ちょっと古いおはなし。
2019年12月12日に、皇居大嘗宮に赴いた。もともと行きたいとは思っていました。でも、人混みは苦手で、ちょっと迷っていたのです。
たまたま、少し前。
歴史研究(現在の戎光祥出版じゃない時代だよ)の歴史講座で、峰岸純男先生のお話を賜りました。アフターお茶会で、そのとき少しお話ししたのが、群馬県で活躍の吉田知絵美さん。このあと、皇居大嘗宮に行ってきますという、アクティブな行動力に驚かされました。
たぶん、それに火を付けられて、後日伺おうという気になったのだと思う。
たぶん、ね。

でも、ごちゃまんとした人混みは想像の斜め上を行くもの。
なんだ、日本人って、やはり天皇とか皇室とか、好きなんだなと感じた。

大嘗宮は、大嘗宮の儀が執り行われる古式ゆかしい施設であり、大小約40棟の建屋から構成されます。うち、大嘗祭の祭場となる「悠ゆ紀き殿でん」、「主す基き殿でん」をはじめとする約30棟の殿舎は木造建築となります。工事概要(約40棟その他計)は、いずれも平屋で、最高高さ約9m、総延床面積約2,600m2となります。悠紀殿と主基殿及び廻立殿は、黒木造り(木造)と呼ばれる皮付丸太をそのまま使用する古代の工法そのままの簡素な造りで、柱は唐松の黒木、悠紀殿と主基殿の2棟は屋根上に千ち木ぎと勝かつ男お木ぎを備えます。

こんなにも人がいたのだから、この散文を一瞥される方の中には
「わたしも行った」
という人がいてもおかしくない。ひょっとしたら、すれ違っているかもね。
夢酔は和服でお伺いさせていただきました。

大嘗宮では大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」が行われ、その後、綺麗にこの建築物は取り壊された。いまは、ない。
勿体ないという声もある。
が、こうも考えられる。引き合いにされるのは「伊勢神宮・式年遷宮」だが、古きを壊し新たに造ることは、建築技術の継承の機会ともいわれる。造り方を忘れる、いや、技を忘れるということがないよう、常にその現場が存在するのだ。
造り放しで残すことだけに全力をそそいだら、どうか。
耐震技術まで備えた五重塔をいま造れるかといわれても、難しいだろ。材料云々とかではなく、匠の技なのだ。
そういうことの一欠片でも気付く機会があることこそ有意。

皇居大嘗宮のことは、決して無駄遣いとは思いたくない。


吉田知絵美さんのご活躍に敬意を評します!