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異形者たちの天下第2話-4

第2話-4 葦の原から見える世界

 慶長一八年(1613)七月、松平上総介忠輝は幕府にも家中にもお忍びで八王子へと赴いた。服部半蔵はこれを知ると、さっそく変装をするなり後を追った。
 甲州街道はこのとき完全な整備がされていない。軍道でもあり畑道でもある。しかしそれは、出鱈目な道筋でもなかった。江戸近郊は五街道としての整備が為されている。
 半蔵は高井戸宿辺りで忠輝に追いついた。
「半蔵かい」
 忠輝はやはり、すぐに正体を見抜いた。
「御供をさせて欲しいのですが」
「断っても尾いてくるのだろう」
「御意」
 たぶん忠輝は、服部半蔵ほどの男が供を願うのだから、これから内密で伊達政宗と会うことも知っているのだろうと察しただろう。しかし忠輝の凄さはこのあとの言葉にある。
「じゃあ、仕方ないですね」
 なんと、あっさりと赦したのだ。これを何と例えればよいのだろう。この若者の明け透けというか、固執のない柔軟な対応に、服部半蔵はいつも驚かされる。現にこのとき許しが得られなくとも、困りはしなかった。その気になれば影から覗くことも易いのである。
 あっさりと同伴が赦されて、半蔵は何となく肩透かしさえ覚えていた。
「身近に半蔵がいれば、他の忍ノ者から守ってくれるものな」
 明るい口調で忠輝は笑った。
 敵わないな、本気で半蔵は思った。
 
 八王子は江戸城より西へ十余里、多摩地方の山地に囲まれた盆地である。
 それより更に西の山を越えれば甲斐郡内の天嶮、その彼方が、かつては武田信玄の統べた甲州となる。半蔵が守護する麹町御門と甲斐を結ぶ、文字通りの要がこの八王子だった。
 八王子は大久保長安の本拠であった。直轄地といってもよい。が、その死により臨時の統括者が任命されていた。
 関東郡代・伊奈半十郎忠治。
 長安が錬金術に精通した技術者としたら、伊奈忠治は治水治山の技術者である。しかも三河譜代の家柄なので徳川一辺倒、しかし無骨揃いの三河者のなかで、彼は実に心穏やかな人物であった。武田の旧臣同士という結束を誇る彼らにとって、伊奈忠治は余所者だ。しかし、その温厚かつ柔軟な技術者を、八王子千人同心たちはすぐに受け容れた。
 しかしこれはあくまでも臨時なのだ。
「然るべき頭目により支配されねば、我ら独自では立ち行きません」
 八王子陣屋に入った忠輝は、さっそく千人頭の石坂勘兵衛森通からそう陳情された。石坂森通はかつて信玄の横目付衆に所属していた人物で、年老いていたが、歴戦の勇者だけが持つ気迫を纏う男である。
「千人同心は不測の事態に際し将軍家のために働く半農半兵の親衛隊であると聞く。ならば所々で支配が変わるのは何かと不都合。半蔵門から甲府まで一元支配されることこそ望ましいと考える。私は服部半蔵殿の支配下に置かれるのが相応しいと思うよ。大御所にもそう進言したい」
 忠輝は涼しげにそう即答した。ここでいう服部半蔵は、半蔵の息子・正就を指す。
「服部殿は忍ノ者とか。我らのことを良くしてくれますかのん」
「心配ない、私利私欲のない男と聞いている」
「将軍家御舎弟さまにそう云うて頂けたら、我らも安堵して、あとの沙汰を待てます」
 そこへ音もなくふらりと入り込んだ男も
「大御所へは当方からも口添えしましょうぞ」
 それは伊達政宗であった。
 忠輝の傍らにいた服部半蔵は、歴戦の将だけが纏う気を発するその武人をじっと伺い見た。秀吉の小田原参陣以来、折ある度に面識のある隻眼は、紛れもなく伊達政宗である。
 石坂森通はそそくさと退席した。ここは忠輝と政宗のふたりきりにするのが自然である。だから半蔵も退席し、天井裏から拝見しようとした。
「ああ、あんたはいていいよ」
 忠輝はそれを制した。
 一瞬、政宗は怪訝そうに変装した半蔵を睨んだ。が、すぐに穏和な笑みを浮かべて
「婿殿がいいというなら、構わぬ」
と呟いた。
 伊達政宗は変装した服部半蔵の正体に気付いた様子がない。ただの従者程度にしか感じていない。しかし忠輝は平気で半蔵にも話題を振る。これには半蔵も困った。
「そちらは誰ぞ」
 ただの従者ではあるまいと、政宗は問いただした。
「舅殿もご存じだと」
 その正体が、既に死した筈の男と知り、さすがの政宗も隻眼を丸くした。
「まあ、戦国の世ならば、死人が実は生きていたということなど、稀なることであるからな」
 それ以上、驚く風も見せなかった政宗も、さすがは乱世を生き抜いた武人である。
 伊達政宗は内密な話を八王子くんだりでしなければならない理由を忠輝に明かした。忠輝と政宗の江戸屋敷は間者で溢れているのだ。
「まさか」
 服部半蔵には初耳だった。徳川の忍ノ者の動向はすべて掌握している筈なのだ。それが初耳とは、信じ難かった。しかし答えはすぐに出た。
「将軍が子飼いを用いて勝手に行っている。大御所は与り知らぬこと」
 秀忠が独自に雇い入れた忍ノ者が、そうしているというのだ。その者等は柳生の者たちと聞く。大久保長安事件の連座として、忠輝と政宗の関与を探り、あわよくば失脚ないし破滅させようと画策している。
「そんな……」
 自分の知らぬところで、別の闇が動いている。これは正直、半蔵には驚きであった。とまれ八王子なら柳生の目を眩ます事が出来る。それに事は性急を要しているのだと政宗はいった。
「婿殿を暫く外国へ逃したい。伊達領で南蛮へ行くための舟を造っていることは御存知であろう」
「知ってるけど、なんで私が?」
「この船は大御所の肝煎りにござる。南蛮への交易海路を開くために、なんとしても成功させたい。ノヴァ・イスパニア(メキシコ)へ向かうことになります。そのために正使として婿殿を、介添えにソテロ殿を乗せたい。ソテロ殿もこのまま江戸へ置いてはおけまい。そのうち弾圧されてしまう」
 伊達政宗はキリシタン禁制を示唆していた。確かに徳川直轄地の禁制は、その他武将の領地内にも波及効果をもたらした。キリシタンに寛容なのは忠輝の越後高田藩、大坂豊臣家とそれに従う者たちであった。政宗とて表向きは禁制をしているくらいである。
「だけど判りません。私は今日初めて聞きます。南蛮への正使に立てられても迷惑ですよ」
「でなくば、婿殿は早晩殺されるでしょう。これは舅である儂の一存でもあるのだ」
「なんで私が殺されます」
「キリシタンを庇護する者を大御所は許しますまい。婿殿とてまた然り。父と子の情は信ずるに足らず。現に長ずるまで、婿殿は大御所に捨て置かれたであろう」
 それは事実だ。
 家康は忠輝が七つになるまで板東の名もない豪族に預けて顧みなかった。まさしく捨て子だ。忠輝が江戸城に入ったのも、偏にその豪族が滅んだから引き取ったようなものなのだ。実の子であっても気に入らねば容赦しない、そんな冷徹さが家康にはあった。
「しかし大御所は貪欲な御方じゃ、南蛮貿易を強く望まれている。南蛮と対等に交易し外貨を得ることでこれからの倭を立ち行かせる所存であろう」
「南蛮人は対等に倭人を扱いませんよ」
「そうだ、その通りだ。しかしソテロ殿のいうノヴァ・イスパニアは違う。何よりも南蛮交易をする海上路を我らに教えようしている。他の南蛮人は利権を失うのを恐れる余り、このことを漏洩しない。だからこの海路が開かれ国交が結ばれれば、日ノ本はノヴァ・イスパニアとだけ通商するだろう」
 ノヴァ・イスパニアの話は何度か聞いたことがある。その本国イスパニア(スペイン)のことも。忠輝もソテロから聞かされるその異国の物語に、胸を躍らせないでもなかった。
 伊達政宗は更に言葉を続けた。
「大御所はキリシタンを赦さないが、この舟に貢献する理由でソテロ殿とブルギーリョスを不問にした。この国交親善の使者にはそれなりの人物が必要なことも承知している。よいか、婿殿もこれに正使として参加すれば、国交の功労者となる。大御所は全てを不問にしてくれる筈じゃ」
 政宗の言い分は凡そ的確だった。
 家康は西洋の植民地化政策に基づくアジア進出を知っていた。そしてこの国も黄金の島として西洋列強が舌なめずりし、虎視眈々と機会を窺っていることも見越している。さりとて百年の戦乱を経て倭国民は屈強の兵士だ。そんな日ノ本に正面切って喧嘩を売る愚行を南蛮の者は考えない。時間を費やして、人心を奪うことこそ得策であった。
 キリスト教を広めてから兵隊を送り込むというのがイエズス会の常套手段だ。アジア諸国はこれにより植民地となった。そのイエズス会を信奉している国々は、ルソンやマニラを経由して、日ノ本と交易をすることを望んでいる。逆に日ノ本から外洋へ出て来ることを望んではいない。
 家康が欲しいのは宣教師ではない。公開技術とその航路だ。
 しかしそれに応えようとせぬ西洋諸国に対し家康は怒りを覚えていた。岡本大八事件などはほんのきっかけで、キリシタン禁制とその弾圧は、むしろそれへの怒りを形にしただけに過ぎない。
 しかしようやく応じる者が現れた。それがルイス・ソテロだった。家康はソテロと取引をした。ソテロには夢があった。正使を本国スペインまで連れて行き、正式国交してイギリス・オランダという国々と対抗する。そのうえで倭国の東北地区の司教にして貰うよう、国王フェリーペ三世に直訴するつもりだった。
 なによりも松平忠輝のような快活な庇護者がいれば、国と国の交わりも上手く行くと信じていたし、家康にも直訴している。家康も、内心はこれが最善策と思っていた。しかし邪険にしてきた鬼子に、自らこのような大任を命じることに憚りがあった。
(しかし本人が望むならやむを得ない)
 だからこそ政宗は、忠輝の口から正使の申し入れをするようにと、誘っているのだ。
「このままではこの国のキリシタンはすべて殺されてしまいます。儂は別段キリシタンではないゆえ、危惧はしていない。しかし婿殿には庇護者としての責任が問われる。それに、五郎八のこともある」
 政宗の口調が歯切れ悪くなった。
 服部半蔵はふと胸騒ぎを覚え、まさかと口走った。忠輝もその事に表情を変えた。
「まさか、五郎八が」
「……入信しておった。まさかとは思ったがのう。いや、懸念致すな、ソテロではない。別の何処かで、こっそりとな」
「そんな」
「無理はなかろう。夫の擁護する者たちを理解しようと、あれはあれで必死だったのだよ。その結果だ。だから儂は五郎八を死なせたくないのだ」
 松平忠輝は愕然となった。
 それきり鬱ぎ込んでしまった。暫く一人きりになりたいとも云った。
「御随意に」
 政宗はそれだけいうと陣屋を出た。半蔵も出た。忍ノ者の遙かに高く及ばぬ処で、なんと途方もない世界が動いていた。服部半蔵には直接関わりのない世界である。
 松平忠輝は死ぬほど悩むだろう。見知らぬ外国へ行くべきか、それとも拒絶するか……。行けばキリシタンが生きる道が残されるかも知れない。しかし拒絶をすれば、必ず哀れな末路が待っている。その只中に、五郎八姫がいるのだ。
(無惨よな)
 服部半蔵は悲しげに陣屋を振り返った。その哀れみに満ちた瞳には、およそ忍びには計り知れない世の中の流れが
(余りにも早すぎる)
勢いで駆け抜けていくのが映っていた。
 
 松平忠輝は結局正使の道を選ばなかった。
 九月十五日、建造された西洋式帆船は伊達領月ノ浦を出航した。俄に推挙された伊達家臣・支倉常長はキリシタンにも外国にも疎い。交渉はすべてルイス・ソテロとペドロ・デ・ブルギーリョスに頼り切りとなろう。
 当時の南蛮人がこの太平洋横断航路を何と呼んでいたかは伺い知れない。仮に北太平洋航路とでも名付けようか。この月ノ浦沖から黒潮が外洋へ流れることをソテロは断言していたし、彼らより先にノヴァ・イスパニアへ日本人初の太平洋横断をした者もいる。京の商人・田中勝介。彼もまたこの航路を辿った。
 しかしこの交易航路が活気に満ちることはなかった。
 以後、徳川幕府は外洋への航路を目指すことはなかった。
 松平忠輝の運命も、この航海を拒絶したことで決定的なものとされた。彼の不遇は、まだまだ極みに達してはいない。その過酷な運命はすぐ間近に訪れようとしていた。 
 
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