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「悪代官様、御成りあそばせ」第5話

第5話 悪代官様、ばいおれんす

 その日、悪代官様のところ北町奉行様がやってきました。
「これは、これは。御奉行様自ら御出とは、どのようなお話でしょう?」
 叩けば埃の出る悪代官様。なにかバレたかと、笑顔の奥では、ひやひやしていた御様子です。何せ、相当な悪ですからねぇ。
「のう、そなた」
「はい」
「いつだったか、儂がやったもの」
「短筒にござりますか」
「そなたはまだ持っておるか?」
「いぃえ。あのとき定町周りの殺し屋を撃ったとき、その場で処分してしまいましたが」
「そぅか」
「なにか、ございましたか」
「うむ……実はな」
 北町奉行様、こないだ火消しの寄り合いに招待されたようで、そこで、サブと呼ばれる年配の親分が自慢の喉を披露してくれたそうでして。それがもう、上手のなんのって。
「ついつい瞼の裏にな、見たこともない大漁旗や祭りの風景が浮かんでくるのよ。おまけにな、木こりが叫ぶ木魂まで返ってくるんだ。へいへいほぅぅぅってな」
「なんです?あやかしの術でも使っているんですか?」
「それだけ歌が上手いんだな。それでいて、つい国のお袋のことまで、ホント、ついつい思い出してしまうんだよ」
「ますます面妖ですね」
 で、ついつい感動して袂からぽろりと短筒落としちゃったようで、周りは気づかなかったようですが、火消しの親分には、どうやらしっかり見られてしまったようです。
「あの親分、妙に正義漢が強くてな。いつ儂のことを御上に訴えられないかと、そりゃあもう、生きた心地がしないのだよ」
 あれだけ酔っ払って、吉原で短筒ひけらかしていた割には、案外素面になると肝が小さいんですね、御奉行様。で、ついつい悪代官さまも
「正義」
という言葉には弱いもんで
「けしからん火消しですね。御奉行様がお困りならば、ひとつ、わたしにお任せを」
なんて口走っちゃいました。まあ、北町奉行様に何かあったら、一蓮托生になりかねませんから。
 で、その晩。
 さっそく玉虫屋さんを呼んで悪い相談です。
「ああ、聞いたことありますよ。め組の頭のことですね。歌を聴いていると、ついつい北国の風景が浮かんでくるって、もっぱらの評判でございます」
「伴天連の妖術ではあるまいな」
「いえいえ、それだけ歌が胸に染み入るんでございますよ」
「妙に正義漢が高いとか?」
「ええ、よく屋敷に出入りしている旗本の三男坊とやらが、そこを根城に悪をこらしめている噂を聞いたことがございます」
「すると、そやつが御奉行のもとへやってくる可能性があるな」
「正義漢があるというだけでもけしからん。と、わたくしも思いますよ」
「おお、そうであろう。けしからんよな、やはり」
「我々としても商いに障りが出ては困ります。ここはひとつ、ぎゃふんと云わせましょう」
「何かよい知恵はないか」
 玉虫屋さん、にやりと笑いました。
 いやいや、悪そうな事を考えている顔ですよ、これは。
「こないだ、上方へ仕入れに行ったときなんですが、接待に変わった遊びをしましてな。鶏の卵みたいな玉を、耳かき大きくしたような棒で打ち飛ばして、目標の穴に入れるのを競う遊びをしたんです。なんでも阿蘭陀のカピタンが始めた遊びで、誰にも知られないために離れ小島に行ってやってきたんでございます」
「ほう、それで?」
「ただ穴に入れるのでは面白くない。途中には罠のように、池や、砂場がありまして。ここに入ると、もう蟻地獄に捕まえられたようになって、大変なのでございます」
「それで?」
「恐れながら、お代官様の屋敷では御普請の折に拵えたからくりが撤去されたと聞き及んでおります」
「どこから聞いたのだ?」
 悪代官様が奥方に折檻されたという話は、公然の秘密です。
「そこで、新しいからくりを考えました。その遊びでいう砂場のようなものを、庭のなかに仕掛けるのです。そして御奉行さまを狙う旗本の三男坊が入り込んだら……こいつを始末してしまえば、ふっふふふ」
「玉虫屋、お主も相当悪よのう」
「おほめに預かり、恐れ入ります」
 こうして玉虫屋さんが肝いりで、悪代官様の屋敷の庭にからくりが拵えられました。勿論、普請商家に玉虫屋がなるように忖度はバッチリ。袖の下も当然バッチリ。やはり世のなかは、持ちつ持たれつというやつですね。メリケンの言葉でいうならば、ギブアンドテイクというらしいですよ。

サブと呼ばれる火消しが、北町奉行所へ駆け込んだのは、それから間もなくのこと。
「新さんが、帰って来ないんでさぁ」
「……誰かな、それ?」
 御奉行には分からない話だ。
「どっかの旗本の三男坊風情だろ、この広い江戸で、人ひとり行方不明になることなど、いつものことだ。そんなことは、どうでもいい」
 むしろ、それどころじゃない。
 いま、千代田のお城では、上様が神隠しにあって行方知れずだと大騒ぎなのだ。上様が城内のだれ彼にも内緒で下々の衣装に扮し、抜け穴から城を出て市中を闊歩することは老中も知らぬこと。
「旗本なんか、後回しだ」
 すると半狂乱のサブが叫ぶ。
「あれこそ上様だ」
と。そう騒いだところで、誰が信用するというのだ。むしろ、どうでもいいことだった。
 それよりも、悪代官様の庭の砂のこと。底なし沼だという評判を北町奉行は耳にしていた。
「時期が時期じゃ、あまり変な評判で騒がせるなよ」
「はは」
 悪代官様、せっかく拵えた庭でしたが、結局、撤去させられました。
「例の旗本三男坊、とっくに砂の底だったりしてなぁ」
 笑いながら撤去する玉虫屋さん。よくよく調べもせずに砂を埋め立てて元のお庭に復元完了。この世に悪の栄えアリと、悪代官様は青い空を見上げてニンマリです。
 ああ、平和だなあ。 


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