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「箕輪の剣」第13話

第13話 箕輪落城

 若田ヶ原はもともと鷹留城との連携上、重要な場所だ。箕輪勢はここで武田勢に野戦を仕掛けた。野戦ともなれば、長野十六槍の腕が存分に揮える。
 が。
 多勢に無勢、戦果は芳しくない。この戦いを最後に、箕輪の兵は籠城に徹した。援軍なき籠城の最後に待つものは死でしかない。ここにいるのは、その覚悟を決めた者だけだった。
 九月二八日。武田信玄は保渡田砦に在城し、総攻撃を命じた。善龍寺を焼き払うと、炎が箕輪城内からもよく見えた。新曲輪方面から攻めこむ武田の先陣は、信玄四男・諏訪四郎神勝頼。このとき勝頼は初陣であるが、物怖じせず、我先にと箕輪城へ迫った。信玄の御曹司が先陣となれば、遅れてなるものかと、武田の猛将どもが更に殺到した。飢えた獣のように、武田勢は血を求めて肉迫した。
「鉄砲、放て」
 箕輪城内から雷鳴のように撃たれた鉄砲玉に、武田勢が倒れた。その屍を踏み越えて、更に猛る兵が迫った。固い城門や、幾度かの丸太攻めにより、閂が軋む音を立てた。もう、長くは持つまい。
門を死守するため、外へ回り込んだ猛者がいた。新曲輪方面を攻め込む勝頼に
「いざ初陣首をもらい受ける」
と、長野家猛将・藤井豊後守友忠が襲い掛かった。勝頼はこれと組み討ちになるが、戦さ慣れしている藤井友忠に足を払われ倒された。
「手柄首なり!」
 藤井友忠が勝頼の首を掻こうとした、その瞬間、原隼人佑昌胤が割って入り、勝頼を救い出した。藤井友忠はこの場を逃れたが、椿山砦付近で遂に討たれた。
 門が、破られた。箕輪城内に、武田の兵がどっと押し寄せた。城兵の数が少ない。防ぎようがなかった。随所で、容赦なき殺戮が始まった。これはもう、戦さと呼べる物ではなかった。
「しばし刻を稼げ」
 長野業盛は観念した。
「命を惜しみ、不慮の横死などしたら先代の遺訓に背くものなり。どうか、逃れ出たり」
 重臣たちは再起を促すが、業盛は意思を曲げようとはしなかった。御前曲輪の持仏堂に入り、逍遥と、腹を切って果てたのである。この死を以て、箕輪城に残る長野の兵は、ただ死と隣り合わせの飽くなき抵抗を繰り返すのみとなった。
 力尽きれば、死あるのみ。
「陰流とともに死す者は、ともに参れ」
 上泉秀綱が叫ぶと、門下たちが集まってきた。
「陰流上泉武蔵守、兵法納めである」
 そう叫びながら、ひとつひとつ、技を繰り出した。門下もその技に倣った。幾つも、幾つも、技を繰り出した。この異様な強き衆に、何事かと、甘利昌忠が確認した。
「陰流だと?」
 聞いたことがある。川中島で討たれた山本勘助が生前、武芸者が箕輪にいると口にしていた。たしか、陰流だ。このことは信玄に伝えられた。
「その者ら、殺すな。惜しい奴らだ、召し抱えたい」
 信玄も、山本勘助からそのことを聞いていた。武芸に秀でる者を無駄に殺してはならぬと、厳命した。これにより、上泉秀綱の周辺にいた者たちは、格別の計らいで生き残ることができたのである。
 
 武田信玄は上泉秀綱と直々に対面した。降将としては破格の扱いである。
「そなたの名は、亡き山本勘助より聞いていた。勘助は塚原卜伝とも知己であった。卜伝より、その名を聞いたという」
 塚原卜伝には新当流を学んだ。卜伝が上泉秀綱に教えたことは、今なお自らの修行の柱である。
「兵法は平法なり」
 戦わずして勝つ。卜伝の教えが、いまの上泉秀綱にある。
「武蔵守、わがもとへ参れ」
 信玄は、真剣に誘った。武田家に仕えて、その技を生かせと述べた。
 上泉秀綱はややおいて
「ご容赦ください」
「なんと」
「主家に仕えることの虚しさ。これは武芸でどうしようもないことなれば、お見逃し下さりたし」
 信玄は黙り込んだ。信玄を見守る重臣たちも、どう話しかけたらよいものか、困惑した。城が落された直後に、降将が仕官を拒むことなど、あったこともない。誰もが命乞いする場面に、仕えることを拒むとは、どういう神経なのだ。理解ができなかった。
「ひとつ聞く」
 信玄は、じっと上泉秀綱をみた。
「こののち、どこの大名家にも仕えぬということか」
「仕えたくござらぬ」
「証はあるか」
「そのようなものは、ござらぬ」
 信玄は、また黙り込んだ。重臣たちは、困った表情で、ひたすら目で上泉秀綱を詰った。頼むから仕官に応じてくれと、誰もが云いたかった。上泉秀綱は涼しい顔で、決意を曲げようとはしなかった。
 信玄は、深く息を吐いた。
「どこの家にも仕えぬならば、先ず、武田家に仕えるべし」
「お断り申す」
「先ずは聞け」
 信玄がいうのは、こうだ。誰にも仕官しないためには、建前でもいいから、既に誰かの禄を食んでいる体裁が必要だ。建前でも、である。
「儂はお前を一切縛らぬ。好きなところへ行き、好きなところで暮らし、武芸を精進することだけに一切を費やすことを許す。命じることはしない、それに従わずともよい、ただし、形だけでもいいから、武田に仕官したという体裁を持て。ならば、誰もそなたを召し抱えることは出来なくなる」
「面倒臭い」
「世の中は、面倒臭いものだ」
「しかし」
「問う。卜伝は浪人だったか?」
「それは」
 塚原家は、大掾氏の家老鹿島家の者だ。浪人ではない。
「だからこそ、誰も卜伝を召し抱えられない。不自由を担保に、自由を得ている」
「されば」
「儂がそなたを仕官させるのは、そのためでもある。いや、違うな。誰にもそなたを取られたくないだけだ。それでもいい、結果的には、そなたの望む生き方となろう」
 道理だ。筋の通った、口説き方だ。
 上泉秀綱は、目を閉じて、熟考した。
「駄目か?」
 信玄は、低く呟いた。
「武田様」
「ん?」
「武田様は信濃を奪い、西上野を奪い、どこまでも国を奪うのですか」
 無礼者と、傍らの内藤正豊が叫んだ。箕輪攻めの功績で、こののちこの城を任される男だ。信玄は内藤正豊を制した。
「そうだ、奪う。いつかは、天下を奪うだろう。それが、戦国だ。戦わなければ生きていけない哀れな奴と、笑え」
 信玄は飾ることなく明言した。
「笑えませぬ」
 上泉秀綱は、じっと信玄をみた。
「天下を欲する武田様と、武芸精進に縛られる我が身と、何の違いやありましょうか」
 上泉秀綱は姿勢を正し、手をついた。
「武田に仕えた体裁、有難く頂戴仕る」
「そうか、そうするか」
「はい」
 信玄は笑った。この男は、こんな風に笑うのか。昨日までは箕輪の誰もが想像すらしない魔物の笑みは、魅力的なものだった。
「そなたは自由だ。しかし、他国に仕えぬよう、ひとつだけ縛りたい」
「は?」
「武田の一族は代々〈信〉の一字を送電する。武蔵守にこの一字を下賜しよう。武田の者という、形のない縛りだ。それくらいは許せ」
「はい」
 上泉伊勢守信綱。
 以後はそう名乗れと、信玄は断じた。
「あとは自由だ。誰にも媚びることはない。儂にも頭は下げることもなく、自由にふるまえ。そして、剣を極めろ。その前に、儂は天下をとる。天下を取ってしまえば、そなたは儂に逆らえまい。どうだ」
 そういって、信玄は笑った。
 大声で笑った。そこまで己を高く買ってくれた信玄に、ついさっきまで抱いていた憎しみが消えていたことに、上泉秀綱は気がついた。
(信玄入道に惚れてしまったようだ)
 戦国で名を挙げる者は、大悪党である。上杉輝虎とて乱取りで関東を荒らす大悪党だし、そんな大悪党にこそ人は惹かれ従う。信玄は北条すら倒し、ひょっとしたら関東を根こそぎ奪い取るかも知れない。そういう大悪党に見込まれたからには、武芸を極めることこそ己の道である。
 上泉秀綱はそう割り切った。
 長野家の生き残りは、信玄の英断で
「従うなら仕えよ」
という温情が与えられた。多くの長野家旧臣が内藤正豊直属として、箕輪で務めることが許された。旧主の菩提を弔うことも許された。このあたり、信玄の器は大きかった。
 仕官を固辞する者もいた。上泉秀綱の門下たちだ。師とともに武芸の修行をするという。このことも、信玄は許した。
「いつか天下をとった我が元へ、顔をみせてくれ」
 信玄はそういって、上泉秀綱一行を送り出した。

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