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文章を味わう【ペスト②/カミュ】

現在、カミュのペストを読んでいるところです。

読書歴は浅く、文系が苦手だった私にとって、この本は難解な文章が多く手こずっていますが、この味わい深い文章をかみしめて喜びを感じています。

この感覚こそ私が求めていたもの。文章を味わう。いわゆる芸術性のある文章の楽しさ、美しさを理解できる自分になりたい、と恋願っていたことが叶っている。のだろうか。

ここまで4分の1ほど読み進めている。読みにくいというのが一番初めに感じた私の感想である。訳仕方が変?なのか、ちょっと芸術的な表現-というのは、ちょっと格好つけたような比喩表現だったり-なのか、繰り返し戻って読まないと意味が理解できない部分が多くあった。

もちろん私自身が、文字苦手w人間というのもあると思うが、やはり古典文学が苦手という人が一定数いるというのがうなずける。

ストーリーは(ネタバレ含む)、アルジェリアのオランという町での出来事。初めに、医者であるリウーが門番とのやりとりで、ネズミの死骸の話をする。

気づくといろいろな場所でネズミの死骸が転がっている。それがだんだん増えてくる。その後、人が体調を崩していく、門番もその一人だった。

『ペスト』とは判定できないけれども、人が体調を崩し死んでいく現実が出てくる。

リウーを含め、官公庁の知識人たちがこれらのことについて話し合うが一度うやむやになる。結局、死人が増えることで官公庁も”措置をする”ということを発表することに。

私が、この『ペスト』が素晴らしいと感じる理由の一つに、物事や状況を捉える力がかなりたくさんあるということ。

例を挙げると、

外部からやって来、全市を襲ったこの不幸は、われわれとして憤慨すればしえたような、不当な苦しみばかりをもたらしたのではなかった。それはまたわれわれをそそのかして、みずから我々自身を苦しめさせ、かくしてみずから苦悩をうべなわせたのである。これも、病疫特有の、注意をそらし、事態を紛糾させるやり口の一つであった。

『ペスト』ーカミュ

前後を読まないと分かるのは難しいが、

このペスト(病疫)は、我々に目に見えるような苦しみ、例えば人と会えなくなるとか、移動できなくなる、人が死ぬなどのそんな苦しみを与えただけではない。

そのあとに、『みずから我々を自身を苦しめさせ』とあるが、これは自分自らの苦しみを浮き彫りにするということである。

特に、ペストによって市が封鎖され大切な人と会うことが難しくなる。さらに連絡はできない。この時代にはインターネットなどもなく、ただ大切な人達のことを案ずることしかできなかった。

そうなると考えるのは、その人たちとの過去の記憶になる。そこにあるのは、不完全な愛。つまり、「あの時ああすればよかった、こうすればよかった」というような過去の不完全な部分に対して後悔が湧いてくるのである。

こうして、『みずから我々を自身を苦しめさせ』という部分が説明できる。

カミュは洞察力が素晴らしく、かつそれを文章に落とし込むことがすごく得意だと感じた。

今回紹介したのは、ほんのわずか一文だけれども、このような濃厚な文章がずっと書かれてあるのである。私たちも、コロナを経験しているが、こうして一つ一つ自分の身に何が起こって、どう感じてどう行動したかということを事細かに言葉にはしてきていなかった。

ただ、コロナを経験したからこそわかる”感覚”が面白い。

まだまだ先があるが、楽しみながら読み進めていこうと思う。


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