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話を聞いてもらい救われた話

今朝、とあるコミュニティーに参加した。

はじめ行くのには億劫な気持ちがあった。人と会うということが正直面倒くさいと感じてしまう。厳密にいうと緊張するのが嫌だった。

結局、家にいてぼーっとしている方が辛いからというネガティブな動機で出かけることにした。

出かけた先では、そつなく人と接して帰ってくることができたが、心の内は緊張ばかりしていた。正直に、心の中ですべてをシャットアウトしたくてたまらなかった。

『どう思われるのだろうか?』『どうしたらいいのだろうか?』『どういう顔をしたらいいのか?』

常に私の頭の中は、軽い強迫観念のようなものがグルグルと回っていた。そしてそれが拡大していって、未来のことをも心配して膨らんでいった。

私は、それが恐怖だとか不安だとかそういった感情を抱くよりもむしろ、腹が立ってきたのだった。

『こんな日々は嫌だ』と

ここまでの文章を読んでいて、私のことを普段から不幸な気持ちで過ごしている人なのだろうか?と思ってしまう方もいるだろうと思う。

でもそれは違っていて、今日がおかしかったと言っていいと思う。

コミュニティーからの帰りに思い返してみると、最近のカロリー制限が今の体調に響いているのではないか?という考えに至った。

身体がふらふらする、気分はネガティブでいて、緊張をすごく感じた。

すぐさま昼は肉をたくさん食べるという予定に変更した。しかし、私はそのカロリー制限に対しては対策したけれども、どうしても心がモヤモヤするのをどうにかしたいと思っていた。

こういう時は、母親に連絡する。

ただし、今までのようにただ話してしまうと、倍以上に『アドバイス』が返ってきてしまう。毎回そうして相談したのに頭がパンパンになって、気分が悪いまま電話を切ってしまうことが多かった。

ということで今回は『お願いがある』という形からはじめて、『とにかく聞いてほしいだけ』ということを伝えることにした。

母は、私のお願いを『わかった』と聞いてくれた。私はその時点で、80%は言い過ぎかもしれないけれどそれぐらい『安心した』という意味で救われた気持ちになった。

それから、これもそれもあれもと、とにかく今私を悩ませていることをすべて話した。

結果。私の中の騒々しくてうるさくて息苦しい声は全く消えて、風もなく波の全くない澄みきった水面のように静まり返った。

そして『救われた』というあたたかい思いがそこにあった。

私は、話を聞いてもらうということに対してすごく大きな癒しの力を感じた。正直に言うと、話を聞いてもらっただけで、話した内容が何か解決したというわけではなかった。

ただ、話を聞いてもらっただけで『もう大丈夫』と思えたことが救いだった。

人との関わりとは本当に大切なものなのだということが今回のことで改めて分かった気がする。今の私の学ぶべきことの一つに『人とうまくやっていく』ということがあると感じた。

1人で生きていくということはやっぱり難しい。言い換えると、周りと支えあって生きていくというのが『生きやすい』方法なのかもしれない。

正直に言うと、『人』は苦手だという面が私にはある。

ただ、そこの部分を考慮したうえでの『私の大切な人たち』とぼちぼち楽しくやっていくことが私にとっての幸せにもつながってくるのだろうと感じている。

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