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連続小説「88の謎」 

第十一話 Klar

エリは配信で気になることがあった。ここしばらく少し変わったリスナーが立て続けに来ている気がしたのだ。念のために後で事務所のマネージャーにでも相談しようかと思っていたが、ついつい後回しにしていた。

変わったリスナーの共通点としては、

①初めて配信枠に来た「初見さん」である
②配信枠に入室と共に高額の課金をする
③ほぼノーコメントで過ごす
④お礼を言う間も無く無言で去っていく

そして...

「えー、この人ももうアカウントないじゃーん!?」

エリはワケが分からず頭を抱えていた。そう、最大の共通点は漏れなくアカウントを消しているのであった。

「なんで消しちゃうんかなぁ...意味ないしー。」

アカウントを消せばそのリスナーの足跡はなくなる。課金によって得られる優遇措置もなくなるため、基本的にリスナーにはメリットがない行為であった。
エリとしては固定ファンを増やしたいと思ったし、大切なお金を使ってくれたお礼もしたい。
インスタのアカウント解放くらい余裕でするのに...と考え込んでると、マカがやってきた。

「\( ˙꒳˙)/ヤッピー りんりん元気ー?」

「りんりん」はエリのライバー名である。このマカというリスナーさんは少し前から配信を見に来るようになり、あっという間にエリを高ランクライバーまで引き上げてくれた、言わば「運命の人」だ。
課金額も去ることながら、配信アシスタントとして他のリスナーとの交流や、応援ポイントと呼ばれるランク維持に必要な評価指数の確認と管理、そしてエリのメンタルケアまで行ってくれていた。

「マカちゃん聞いてー?今日も来てくれたご新規の爆投げさん退会してるー。なんこれー??」
「えー、またかぁ...」

ここしばらく起きていた不思議な現象、『消えた爆投げさん』は4人目だった。

「りんりんスクショした?」
「うん、もちろん。多分レベル一桁だった気がする。E帯だったー。」
「OK、念のために後でDM送ってー。」
「でも3万も投げておいて消えるとか、なくなーい??」
「そうだねぇ...みんな別々の人なのかなぁ...?」

マカも首を傾げていた。

マカがライブ配信を視聴し始めてから、約3か月経っていた。概ねの仕組みは理解したし、人気ライバーの傾向も掴めていた。思いつきでマーケティングをかねて参加し始めたライブ配信であったが、気がつくとりんりんを応援することがライフワークのようになっていた。
彼女の魅力は明るさと清らかさだ。どんなコメントも笑顔で読み上げ、常にケラケラと笑いながらネガティヴさのカケラも感じさせない姿は、天使そのものだと感じた。乾いた暮らしに注がれた笑顔の雫は、一滴ずつマカの心を潤し、自然と心を寄せる存在になった。

「あ、りんりん、そーいやそろそろアレ締切になっちゃうよ?」
「え?いつまでだっけー?どーしよ??」

「アレ」とはPrincess U "Chouten"のことであった。"優勝で芸能界デビューのチャンス"という響きはシンプルにエリの脳内を駆け巡った。

「りんりんの歌、最高だもんね。」

マカは歌唱部門のライバル達をリサーチしていた。りんりんのストレートで伸びのある歌声は、ビブラートをこねて歌う「なんちゃって歌姫」が溢れる歌枠のカテゴリーキラーになると信じていた。

「あ、リスナーのみなさーん!言い忘れてたけど決めたの...私りんりんはPrincess U "Chouten"に演奏部門で出まーすっ!」

マカは慌てて飲んでいたグラスワインを倒しかけた。

「えっっ!?今なんて!??」
「えへへへー、実はりんりんピアノが弾けるんだよーっ♪」
「ちょっ!?え?待って!?それマ?」

コメントから伺えるマカの慌てっぷりを見てエリは笑いが止まらなくなった。一段階ギアを上げてケラケラと笑い転げ、勢いでマイクに頭をぶつけた。

「いたっ!もー、なんでこんなところにマイクがあるのっっ!!」
「いや、それりんりんの商売道具...」

その様子を見てリスナー達が沸く。まるで夫婦漫才だ。てへへ、とエリは舌を出して笑っている。少し間が空いて、いつになく真剣な顔でエリが話し始めた。

「えーっと...実は私りんりんはピアノが大好きでした。小さい頃からピアノが楽しくて毎日のようにいろんな曲を弾いてきました。ネイルを始めて少しピアノから遠ざかってしまったけど、歌以外にりんりんはこんなことが出来るんだぞー、ってところをみんなに見てもらいたくて...みなさん、応援してくれますか!?」

エリの言葉に呼応して、画面上にコメントやアイテムのエフェクトが飛んだ。まるでアメリカの政治家の演説のようだ。リスナー達がエリの言葉に酔っているようにも見えた。

(りんりん、大丈夫か...?)

マカは不安になった。りんりんのプロフィールにはピアノの「ピ」の字もなかった。演奏部門は歌唱部門以上に狭き門のだと感じていたのだ。音大卒のピアニストをはじめ、プロの一戦級で活躍してるバイオリニスト、コアなファンを抱えてるビジュアル系バンドのギタリストなど、ライバル達は強烈なラインナップだ。

興奮冷めやらぬままに配信が終わると、マカのところにインスタ通話の着信が届いた。

「りんりん?」
「おっつー♪ねぇ?びっくりしたー?」

軽い笑い声が響く。

「もー、聞いてないよー。りんりんピアノなんか弾けたのー??」
「弾けるっちゃー弾けるよねー。ま、聞いてくださいな。」

似てないタモリのモノマネをしながら、エリはガタガタ音を立て始めた。椅子か何かを引きずる音だ。

「久しぶりに昨日弾いてみたんだけどさー、やっぱり少しブロックがあるよねー。でもだいぶ勘は取り戻したから。」

どうやらピアノを弾こうとしてるらしい。

(ブロックじゃなくてブランクな)

心の中でマカはツッコミを入れつつ耳を澄ませた。エリは息を吸い込んだ。その音はマカの耳まで届いた。歌う前にする呼吸とは、全く異なるそれだと、マカは瞬時に気づいた。

聴き覚えのあるメロディが鳴り響いた。オクターブ違いのD#(ディーシャープ)がマカのワイヤレスイヤホンの左右から、互い違いに溢れ出し始めてきた。

(なっ!?これは...ラ・カンパネラ!?)

クラシックは門外漢だが、フランツ・リストくらいなら知っている。晩年のベートーヴェンと出逢い、多くの女性を愛したリスト。やがて生まれた彼の子供の一人は楽劇王ワーグナーと結婚した。ピアノを愛し、ピアノに愛された19世紀を締めくくるロマン派きっての超技巧派、そんな認識だ。
そして今マカの耳に届いている曲は、音大生でも避けることが多いと言われる、難曲であるラ・カンパネラだ。

(なぜりんりんがこんな曲を弾ける...)

マカは思考をフル回転させ、彼女の生い立ちの知る限りを記憶の中から探った。そういえば彼女の伯父は芸能人だったっけ?母親も音楽好きだと聴いた記憶はあるが...それでも腑に落ちない。サブ端末で調べてみたいことが思い浮かんだ時、不意に演奏が止まった。

「ごめーん、マカちゃん。ここまでしか練習してなくて。続き、ちゃんとやっとくからー。」

悪びれた様子もなくエリは話しかける。

「いや...すげぇ...」

マカの二の腕には鳥肌が立っていた。こんなことがあるのか?そう思った矢先、聴きなれないフレーズが聴こえた。

「お詫びに別の曲弾くね。」

もう既にピアノを弾きながら、エリはマカを諭す。

『私の演奏、ちゃんと聴いてね。』

マカはそう彼女に言われた気がした。マカのサブ端末では調べたリストの難曲が再生され始めた。奇しくもエリが奏でていた「パガニーニによる超絶技巧練習曲」の第3番と同じであった。まるでマジックを見せられた観客のように呆然としながら、マカは思い出していた。

(フランツ・リスト...またの名を「ピアノの魔術師」…か。)

いつしかマカの手には大量の汗が浮かび、それと同時に頂点に登るプロセスが頭上に描かれ、勝利の鐘が鳴り響くのを感じていた。

第十二話に続く


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