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連続小説「88の謎」 

第十四話 Narrante

待ち合わせに後から来た方がイニシアティブを取れる。そんなことは佐々木小次郎と宮本武蔵が過去に証明しているもんな。だから俺は10分前にここに来たのだ。大体30分以上前から近くのカフェで時間潰して待ち合わせに万全を期す、なんてどこぞの啓発本の受け売りでしかない。
その日のシンゴは敢えて深めの色のスーツを選び、出来るだけ会話を控えて仕事を終えた。緊張はしてるといえばしていたが、どちらかといえば少しワクワクする気分を抑えるのに精一杯だった。だからこそ身なりや態度だけでも落ち着いておこうと思ったのだ。

「知らん人と飯食うのも久々な気がするし、たまには悪くねぇだろ。」

口笛を吹きそうになって、思い返して止めた。誰が見ているか分からない。慎重に慎重を重ねなければ、と思った。シンゴの営業先のパチンコ店「ホールニューオーイタ」の東店長には既にウラを取ってあった。まず東の勤めているパチンコ店グループと共実興業は付き合いがあること、次に共実興業には佐藤俊夫なる人物が実在すること、そして...

(佐藤が業界の管理職をあちこちでヘッドハンティングしてる...か)

最初は自分の勤め先からの内偵調査だと思っていたが、本当に引き抜きを画策してるようにも感じる。パチンコ業界は客もホールも減少傾向歯止めがかからない斜陽産業である。イメージも明るくないし、稼ぎも決して良いとは言い切れない。特にパチンコやパチスロ台を販売してる販売店は特に厳しい。元々パチンコ好きが高じてこの業界に飛び込んだが、好きなだけでは何ともならないくらい先が見えている状況でもあった。

(まだオレの定年まで20年ちょいか...それでこの業界持つのかね?)

そんなことを思いながらシンゴは自嘲した。果たして、そんな中でヘッドハンティングなどが日常的に行われているものであろうか?シンゴの興味の本質はそこにあった。

(まあこれで上手くキャリアアップするなんてまるで物語風な未来だけどな)

そんな思惑を抱えながら、シンゴは店の中で待つであろう佐藤に声を掛けるべく、待ち合わせの5分前になっておでん屋ハチマルの暖簾をくぐった。
店内の照明は明るく、内装も落ち着いた木目調のカウンター中心で、サラリーマンが既に何組か飲んでいた。ビール派と日本酒派が半々というところで、店に来る客の質をシンゴは肌で感じた。良い店だなと素直に思った。厨房から駆け抜けるおでんの出汁の香りはシンゴの鼻をくすぐり、危うく本来の目的を忘れてしまいそうになるのであった。

(やべやべ…さてと、やっこさんはどこに座ってらっしゃるんかねぇ)

ゆっくりとシンゴは飲んでるサラリーマン達を見渡す。が、ひとりで飲んでる人が居ない。シンゴがアレ?と思ったその時、背後から少し太い声が聞こえた。

「田野さんですね?」

その声と言葉に『明らかな違和感』を感じてシンゴは身構えた。だがその反射を抑えつつ、シンゴはワザとゆっくり振り返った。ややがっしりした体格の男が立っていた。

「あ、もしかして佐藤さんですかー?いやー、はじめまして、田野です。」

上擦りかけた声を押し戻して、更にトーンを抑えてシンゴは続けた。

「すみません。もしかして外で待ってらっしゃいましたか?先に店内に入ってしまったもんですから...」

恐らくは単に佐藤の方が遅れてやって来たに違いない。だが、敢えて自分を悪者にして相手を立てるシンゴの立ち回りは、ここぞと言う場面で役に立つと思っていた。そしてシンゴは今がその「ここぞ」だと思った。知らない間にシンゴの二の腕に浅く鳥肌が立ち始めていた。
店主が二人のやりとりに気付いて声を掛けた。

「あ!いらっしゃいませ!お待ちしておりました。」

店主はカウンターの端の席に置いた「RESEVED」の小さなプレートをどけて、メニューとお通しを出した。

「佐藤さん、いつもご贔屓に。お席空けときましたんで。」

笑顔で店主が佐藤に挨拶する。なるほどこの男の行きつけか。シンゴはあらためて状況を整理しつつ、メニューに目を通す…が、既にメニューの中身は把握していた。会社上での立ち位置は管理職だが、曲がりになりにもシンゴは販売店の支社長である。ひとテーブルにメニューがひとつしかない店でも、食事の注文ぐらいスムーズにこなせなければ、気分よく話も出来まい。
佐藤が勧める日本酒を選び、先にツマミをと言われたシンゴは卒なく人気どころのおでんと1品料理を頼んでいく。

(オッサンとのデートの予行演習なんてあんまり良いもんじゃねえけどな)

どんな時でもスマートに振る舞うのべきさ、英国紳士ならね。と、どこかのゲームで出てくるようなセリフを思い浮かべながら、シンゴから敢えて切り出した。

「お誘いいただいて、ありがとうございます。あまり話が上手な方ではないので、端的にご用件を伺っても良いですか?」

佐藤は少し表情を崩しながらカウンターの上を見つめながら話し始めた。

「さすがは東店長が推薦する方ですね。お互い時間は貴重です。楽しくのんびり飲み交わしたい気持ちもありますが...田野支社長はこの業界何年目ですか?」
「かれこれ15年目ですね。洞爺湖サミットで入れ替え自粛があった年です。元々パチンコ好きでこの業界に来ましたが、台を売っちゃいけない時期に入社するとは思いませんでしたよ。」
「ほほー、田野支社長もですか?私も同じ時期です。私はパチスロ専門でした。スロットが4号機から5号機になって優良ホールに行っても勝てなくなった頃です。どうせなら儲からない打ち手よりも、胴元になった方がいいと思いまして今の会社に勤めました。」

さすがこの業界は似たような人間が集まるとシンゴは感じながら、佐藤の目を見て先に核心を突いた。

「佐藤さん、ホールが減ってきてるのに、コンサル会社さんがヘッドハンティングする余裕は無いんじゃないですか?」

佐藤は少し体を寄せながら声のトーンを下げて言った。

「ご明察です。公営ギャンブルがコロナ禍でも軒並み過去最高の収益を叩き出してるのに、我々の業界はジリ貧です。長らくコンサルティングをやってる当社としてはこうなることも予測済みではありましたが。」

大きな体を少し丸めて更に佐藤は声を落とす。

「なので10年ほど前から各所管庁にヒトとカネを送り込んで、ずっとパイプを作ってきました。新しい『賭場』に我々の根を張るために...」

そこまで聞いて、シンゴはすぐにピンと来た。

「国内の合法カジノ...ですか?」

佐藤は嬉しそうにしっかりシンゴの目を見つめ返してきた。

「こんなに早く理解していただける方がいるとは...田野支社長、興味がおありですか?」
「興味が無い訳ではないですが、私はカジノは門外漢なので。」
「いえいえ。もうご存知のはずです。政府がIR法案を通したものの中々実現に進まない。そしてその原因はカジノ運営にあると。」

シンゴは静かに目配せして、佐藤のグラスに冷酒を注いだ。酒はぬるめの燗がいいと言ってたやつがいるが、ここの日本酒は冷やでしか飲みたくない引き締まった味だった。
2016年にIR(統合型リゾート)法案が国会を通過し、当時のインバウンド景気を更に加速させ、観光大国としての日本を確立する...予定だった。
しかし、コロナウイルス蔓延のみならず、統合型リゾートの目玉の一つであるカジノ施設の建設に、多くの自治体が二の足を踏んだ。地域住民や反対勢力の取り込みが足枷となった上に、設備投資や建設費用の目算、治安悪化や経済効果への説明が中途半端だったため、候補とされた横浜市が早々と事業計画を取り下げたのが全体の印象を悪化させた。

「カジノが潰れない保証はないです...今のラスベガスが良い例で、カジノ以外は各ホテルでのイベントとストリップ、NFLのホームチームが1つ...コロナ禍以降は惨憺たる状況です。それを引き合いに出されると自治体の観光課クラスの役人じゃ何ともならない。だから...」

「共実産業さんのようなコンサルティングが必要...と。」

相槌を打つシンゴに、今度は佐藤が日本酒を一献傾けた。

「ええ、そうなんです...ここだけの話なんですが、政府の狙いは四国です。半年後を目安にIR誘致が公式にリリースされます。その前に我々は優秀な人材を囲い込みたい...田野支社長は広島のお生まれと聞きました。IR施設は松山市に出来る予定ですが、広島空港では弱い。隣接する国際空港に竹原市と呉市が名乗りを上げてます。」

「え?愛媛県内ではなくて?」

シンゴは思わず声をあげて、少し申し訳なさそうに首をすくめた。

「すみません。つい...」

「いや、田野支社長が驚くのも無理はないです。瀬戸内西部を丸ごとリゾート化するイメージと捉えてください。竹原市からエアバスなら松山までは目と鼻の距離です。土地も余ってるし太平洋沿岸よりも地震の際の津波の影響が小さい。気候は温暖だし、観光地は後からでも作れる。そう思ってるようです。」

そこまで話を聞いて、シンゴは体を回り始めた日本酒に負けぬように脳を思考で満たした。シンゴの長い夜はここから始まった。

第十五話に続く


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