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連続小説「88の謎」 

第六話 Feroce

フクロウの鳴き声を背にして、ゆずは完全に夜の帳が下りたことを確かめた。

「こちらコードY...完全にしくじった...聞こえてるか?これが最後の連絡だ。」

スパイごっこなんてしてる場合じゃない。ましてや夏の軽井沢なんて避暑地で追いかけっこなどバカバカしい。そもそも走るのは苦手だ。二の腕から滴る血の雫が判断を鈍らせるように感じた。

「人様の未来なんぞろくなもんじゃねぇなぁ...」

そう呟いて目を閉じた。5分だけなら休めそうだ。脳内で移動距離を計算する。盗んだアンプルは近くに埋めた。匂いで探し当てられぬよう特殊な容器に入れておいたから問題はないだろう。あとは逃げ切るだけだ。思考の整理をつけながらゆずは体内時計であと3分を数えることとした。

背後で、コト...と小さな音がした。

しまった。気付かれたか?集中力が途切れてきたせいか、気配に全く気付かなかった。もしTの追手ならもう間に合わない。自分の鼓動が荒々しく鳴り続けているのが分かる。

(3人までならなんとかなる...)

胸元の銃のサイレンサーを確認し、ゆずは耳を澄ませた。相手は近づいて来てる。かなり小さな足音だ。

「大丈夫ですか?怪我...してませんか?」

拍子抜けするようなか細い小さな女の子の声が聞こえた。ゆずは驚いた。こんな真夜中に女児が一人で出歩いてるとは思えない。聞き違いか??
古い民家の崩れかけた壁に背中を預けながら、一旦は握り締めた銃から手を離し、可能な限りゆっくりと慎重に声の方に体を向けた。そしてそこには5歳くらいの女の子が立っていた。

「腕から血が出てます...大丈夫ですか?」

やはり女の子だ。近くに大人がいる様子はない。

「やぁ、お嬢ちゃん。おじさんは大丈夫だよ。少し転んで怪我しちゃっただけだから。」
「でも痛そう...これ...使ってください。」

そう言って女の子は包帯を差し出してきた。なぜこんなものを持ってるのだろう?しかもどうして俺の存在に気がついたのか?気配は完全に消してたはずだ。

「おじさんの声、すごく分かりやすかった。困ってる時の声してたから...これクマさんのだけど、痛いの治ると思うから...」

女の子は自分が抱えてるクマのぬいぐるみから包帯を外したらしい。ぬいぐるみとお医者さんごっこでもしてたのだろうか?しかし、いつ声を聞いたのか...さっきの無線の声だとしても、かなり小さな音を聞いていたことになる。聴覚が優れているとしても聞き取れるレベルではなかったはずだ。ゆずはアレコレ考えを巡らせたが、結局女の子から包帯を受け取り、二の腕を縛ることにした。がだが、出血しているのが利き腕で、少し痺れていたため、上手く包帯が巻けなかった。

「私が巻いてあげる。」

そう言って女の子は器用に包帯を巻き始めた。さすがに止血出来る強さではないが女の子が包帯の端を支えてくれたおかげでなんとかカタチにはなった。

「ありがとう...助かったよ。お嬢ちゃん、お名前は?」

女の子は首を小さく横に振った。

「知らない人には名前を言っちゃいけないってお母さんが...」

そうか、その躾は正しい。安易に名前を名乗って身元を特定される可能性もある。そもそも自分が名乗ってもいないのに、レディに対して失礼だと思った。

「お嬢ちゃんごめんね。本当にありがとう。お礼にコレをあげるよ。」

ゆずは胸のポケットから小さな腕輪を取り出した。

「クマさんの首につけるとピッタリだと思うんだよね...どう??」

今すぐに彼女に渡せるものといえばこれくらいしかない。もしかしたら知らない人に物をもらうなと教わってるかもしれないが。

「ありがとう!嬉しい!」

女の子は目をキラキラさせてぬいぐるみに腕輪をはめた。犬でもないのに首輪はおかしいかと思ったが、意外とピッタリはまったようだ。月の光で女の子の姿がよりハッキリと見えてきた。綺麗で特徴的な澄んだ目と、同じくらい目を見張る鮮やかな髪色だった。

「お嬢ちゃんはこの辺に住んでるのかな?お家の人が心配しないかな?」
「うーん...多分大丈夫!おじさんは迷子になってない?」
「はは...大丈夫、大丈夫。おじさんもこれからお家に帰るよ。」

そう言ってゆっくり立ち上がり、周囲を見渡した。相変わらずフクロウの鳴き声以外はそれといって気配を感じない。合流予定の時間が迫っていた。

「おじさんの声は...うーん、『ラ』の音かなぁ。」

ふと女の子が自問自答するように呟いた。女の子の言葉を理解するのに少し時間がかかったが、

「そうだね。そうかもしれないね。」

とだけ答えてゆずはゆっくり距離を置いた。

「おじさん、またねー!」
「ああ...気をつけてお家に帰るんだよ。」

最後まで礼儀正しい子だ。ペコリと頭を下げて女の子は来た方向へ戻って行った。こんな夜中に小さな子が...という気もしたが、今は人の心配をしている場合ではない。合流地点まで戻ることにした。無事、目的地まで歩き通し、ホッとひと息ついた瞬間、ゆずの脳裏にフラッシュバックが浮かんだ。

「くっ!?なんだってこんな時に...」

それは5秒ほど続き、やがてゆっくり静まった。そうか、そういうことか...
神様はやたらお遊びが好きらしい。これからの俺の運命も、あの子の未来も決まりきってるってことらしい。

「くだらねぇ…」

ゆずはそう吐き捨てて寝転んだ。俺もまた輝ける日が来るのだろうか?今宵の月のように...
ゆずは物陰に身を隠し、仲間の車が到着するまで眠りに落ちた。黒塗りのベンツがゆずを迎えに来た頃には、白み始めた空が月の存在を薄く消し始めていった。

第七話に続く


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