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連続小説「88の謎」 

第十六話 Più mosso

結局リナはリスナー達からの強い後押しを受け、Princess U "Chouten"への参加を決めた。その時リスナー達にはリナがそう決めたように見えていただろう。リナが応援をしてくれる人達の期待を裏切りたくないと思ったのも確かだったが、実際には既にリナは参加することを決めていた。リナが参加を決めたのは、古民家カフェでぴろからイベントの概要を聞いた時だった。

リナという人間を表す唯一無二の存在、それはピアノだ。リナはピアニストであり、ピアノと生きることを選んだ人間だ。何よりピアノを愛し、ピアノを尊重し、ピアノに寄り添ってきた。そして得られた音が今のリナの色である。それを多くの人に聴いてもらえる場面があるなら...そんな風に思っていた。
今を生きていく上で、リナにはいくつかの目標があった。そのひとつがピアノで生計を立てて自立することである。それは女手ひとつでここまで育ててくれた母親への恩返しでもあり、イベントに参加することで「リナ」というピアニストを世間に認知してもらえると考えるに至ったのだ。

そしてそれとは別にピアニストとしての自分の立ち位置を確認したいという思惑もあった。「自分がどう評価されるのか?」ということに興味があったし、高校の音楽科の教師を辞めてから、常々新しいことに挑戦したいと思っていた。そんなことがリナに配信をスタートさせたきっかけでもあった。

(そういえばぴろさん、配信に来てないなぁ...どうしたんだろ?)

せっかくイベント参加を決めたとはいえ、相談できる相手がいないのは心細い。リナに時々押し寄せる細波のような不安は、夜が更けるにつれ心を支配する領域を展開しつつあった。

そして、Princess U "Chouten"の公式リリースから3日ほど経って事態は急展開した。参加要項に大きな変更が加えられたのだった。

【イベント参加方法の変更について】
先日リリースいたしましたPrincess U "Chouten"の参加方法について、諸事情を鑑みてファーストラウンドは事前の書類審査と、個別の面談による選抜に変更させていただきます。
なお、審査書類のフォームと送付先は下記のURLよりご確認ください。なお、面談は書類審査を通過した方に後日ご連絡いたします。

(書類選考と面接!?)

リナは驚いた。てっきりファーストラウンドの配信の中で、アイテムの多さなどを競うものだと思っていたからだ。

(どうしよう...こんな時に...)

リナは一人の部屋で携帯を見つめた。不安がよぎる。ここしばらく気に掛かっていたこともあり、気分が晴れなかった。

あるところに連絡をしようと画面をタップしたと同時に携帯の着信音が鳴り、見慣れた文字がそこ浮かんだ。

「あ、ぴろさんっ!」

思わずリナは声を出した。慌てて人差し指で画面をスワイプする。

「もしもし...」
「あ、ごめんリナ。久しぶり。」

いつもの声だ。リナはホッとした。

「なかなか配信顔出せなくてごめん。携帯が壊れてて修理してもらってたんだけど、代替え機も調子悪くてさ...」
「大丈夫です…ちょうど私も連絡しようと思ってたところでした。相談したいことが山ほどありました。おかげで二箱目のポッキーが無くなりそうです。」

リナはワザとおどけた。ぴろは笑って返した。

「ごめんごめん、今度ケース買いして送るわー。」

そして少し間を置いてから本題に入った。

「ポッキーのやけ食いで忙しいところ申し訳ないけど、少し俺も話しておきたいことがあった。リナはPrincess U "Chouten"には出る?」

「はい!リスナーさんにも出た方が良いと言われました。」

「オッケー!…んで、今日公式見たと思うけどレギュレーションがこの前話したのとかなり変わってる。だけど、この変更はリナにかなり有利だ。」

「え?そうなんですか?」

「参加者が相当な数になりそうだからファーストラウンドの突破は正直厳しいと思ってた。ところが話題が先行していって、運営の中で『技術レベルの低いライバーがセカンドラウンドに登場するとシラけるんじゃないか』ってことが問題になったらしい。アイテムの投げ合いで稼ぎたいと思った運営と、協賛する企業や団体の思惑がズレてたんだと思うけどね。」

「なるほど...そうすると、私は面接ではどんなことを聞かれるのでしょうか?」

「最近流行りのオーディション番組とかみたいに、参加する理由や目指す姿をどれだけ審査員に訴えられるかじゃないかな?その中で...」

ぴろは言葉を選んでから言った。

「リナのプロフィールは圧倒的に魅力だ。有名音大を出て、高校教師を経てピアノ教室を開き、更に演奏家としてプロのピアニストを目指している。しかも、家業である85年続いている天ぷら屋を手伝いながら。」

リナは携帯に耳を当てながら心の中で頷いた。確かに一般的ではないプロフィールではある。演奏系ライバーの中にどれだけ強い個性を持っている人がいるか?という点では負けてはないかもしれない。

「一度フォーマットに沿って審査書類を書いてみてよ。後で見て、修正が必要かチェックするから。」

リナにとってぴろの申し出はありがたかった。というのもリナが相談しようとしたことが、これで全て解決したからだ。しかし、今までより急速にすることは増える。加速し出したメリーゴーランドのように景色が動き出し、リナを巡るスピードが上がっていく気がした。
その後も電話で志望動機や経歴をどのように書くかを簡単に打ち合わせて、電話を切り、布団にくるまった。

(良かった...これで少し前に進めるかも)

リナはいったん枕に顔をうずめ、

「神様、ありがと。」

そう呟いて枕にそっとキスをした。少し寝返りをうってからほどなく、リナは深い睡魔の底に落ちていった。夜を静かに眠りたい...ここしばらくそう思っていたことすら忘れて。

第十七話に続く


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