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鬱病、モーニングを食べる

先日ネパール人の親友とモーニングに行った。会うのは4ヶ月ぶりである。早起きをして彼女が住む葛西に出没し、地元民に愛されてそうな老舗の喫茶店へ。

外国人の友人とご飯に行くときは、なるべく日本語メニューしかない場所を選ぶようにする。そして、個人経営でお店の方々が優しそうな店を選ぶ。日本にも暖かい人がいて、チェーン店とは異なる手作りの美味しいご飯が食べられることを知ってほしいのだ。メニューの写真さえ撮れば、私がいなくても次回来店するハードルはグッと下がる。そんな期待も込めつつ店を選ぶ。彼女は「なんだかドラマのシーンに出てきそう!素敵!」と居心地の良さを気に入り、メニューの写真を撮っていた。きっと明日以降も機会があれば来れるだろう。

彼女は好奇心旺盛なので質問が止まらない。「モーニングは甘いもの派?それともおかず派?」とか「最近どこへ旅行に行った?」とか「東京で結婚したカップルは神奈川に住みがちって本当?」とか「高校からの友人と大学で出会った友人を比べたら、今でも会うのはどっちが多い?」とか「日本の高校では女子が集団でトイレに行くって聞いたけど本当?」とか「○○さん(共通の知人)の名前の漢字の意味は何?」とか。たくさん考えて生きてるのだなと驚く。私も好奇心旺盛な方なので、楽しい。

そういえば、毎回肌の色に関連した話もしている。前々回は一緒に撮った写真を見ながら私を白いと言ってはそんなことなんて言われたことがない私を驚かせ、前回は使っているスキンケアの種類を聞かれ(気休め程度の無印良品だよと答える)、今回は何歳から日焼け止めを使い始めたか聞かれた。

ヒンドゥー教にはカーストがあるのだが、元々は肌の色で人を階級に分けたらしい。すなわち白ければ上で黒ければ下という訳だ。カーストの是非の議論は一旦置いておいて、彼女が肌の色にこだわるのは私からすれば興味深い。

彼女は私がどんな回答をしてもフフフと笑ってくれ、話し方もおっとりしていて、しかし意思は強く、自分の疲れやストレスをコントロールするのがうまい人だ。「あなたは本当に人をリラックスさせるのがうまいよね」と言うといつも通りフフフと笑いながら「嬉しいわ」と言っていた。私の周りの日本在住の外国人達は、adjustmentsという単語を頻繁に使う。日本という環境に慣れること、親族の冠婚葬祭から日常に切り替えること、部署異動によるストレスを分散させること。友人らの"adjustmentsする"という柔軟な発想が好きだ。

近いうちに彼女と、彼女の夫と、彼女の弟と、私でピクニックに行く事になった。このメンバーに入れてもらえる理由は私自身もよくわからないが、これもadjustmentsと考えるとまぁ、小難しいことは考えなくていいかという気持ちになる。adjustments思考は凄い。どこかの自己啓発本にも取り上げられているのではなかろうか?もちろん一番仲が良いのは同僚の彼女だが、他の二人も彼女の結婚式に出た時に挨拶はしている。皆良い人なので、人見知り故の緊張こそすれ、楽しい場になると思われる。

何を持っていくか、今から計画してワクワクする。食べたことがなさそうな日本のお菓子などを持参したいものである。

明日も自分に優しくできますように。

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