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鬱病、嘘はダサいと思う

鬱病になってから、転職活動をし、家探しをした日々。

その中で転職エージェントや、転職経験のある先輩達に当たり前のように嘘をつくように促された。例えば「何社も同時に受けてても、2社しか受けてないフリをするんですよ」とか「既に本命から内定貰っているので、面接に行きたくない場合は体調不良と伝えればいいですよ」とか「家探しをする時は不動産屋に転職してるって言うと信用されないから、職場の近くに引っ越したいと言うんだよ」とか。

ふむふむと頷きつつも、妙に引っ掛かっていた。経験を積んで、歳を重ねて、大人になって、その結果息を吐くように嘘をつくのがどうしても良いことだとは思えなかった。そしてそれ以上に、それを自慢げに大人のスキルとして語る周りの大人が気持ち悪かった。仮に嘘をつくとしても、罪悪感を滲ませるのが普通の感覚であるはずなのに、嘘をつける自分が賢いと思い込んでいる様がうすら寒かった。ダサいなと思ってしまった。

自分は結局全部本音で話した。案外本音の方が話が早かったし、知りたい情報を手っ取り早く知れた。何よりも自分自身に後ろめたさが残らなくてストレスがかからなかった。

嘘をつかなくてよかったと思うと同時に、それは自分の学歴やそれに至るまでの努力、努力できる才能を発掘してくれた人達との出会い、努力が正当に認められる環境、身につけたものに比例して上がる年収。そういった背景に起因するのではないかとも思った。嘘をつかなくてもすむ自分の現状が既に財産なのかもしれないし、それを可能にした今までに感謝すべきなのかもしれないと、ふと思った。

バレバレの嘘をついて「お主、やりよるな」とか「お主、慣れてるな」とわかったところで、自分だったらその暗黙の了解は恥ずかしい。少なくとも、嘘をついている姿を家族に見られたくない。きっと何歳の自分であっても、そんな大人をかっこいいと思わないだろうから。正直者は馬鹿を見るかもしれないが、私はこれ以上自分の顔に泥を塗りたくないし、嘘まみれの大人が町を平然と善人面して歩き回るこの世で、正直に生きようとする人間に足を止めてくれる人も案外多かったように感じる。

そりゃ借金数千万とか、家族が死にかけてるとか、そんな風に追い込まれたらなんぼでも嘘つくだろうけどさ。人間だもの(みつをにsorry)。でもやっぱり嘘はださいんだから、不自由なく生きれてる限り、なるべく嘘をつかない人生を送りたいものである。

明日も自分に優しくできますように。

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