祖父を想う|坂の上の雲
『まことに小さな国が開化期を迎えようとしている』
明治維新を敢行し近代国家となった日本が、世界の大国であるロシアを相手に戦争をくり広げた日露戦争を題材に描かれた小説。
全8巻、2,000ページを超える長大な小説を2カ月ほどかけて読了した。読み終えた後にはふつふつと湧き上がる熱い感情と、なんとも言えないさびしさに包まれた。
私がこの作品に出会ったのは10年ほど前になる。
当時、この小説はNHKによってテレビドラマ化され、数年かけて放送されていた。私も祖父に勧められ、テレビで録画したドラマを観ていた。背伸びをして、原作である小説にも手を取ったが、たしか2巻の途中ほどで挫折をしてしまったのを覚えている。日露戦争にすら突入する前に本を置いた。正直、昔の戦争ドラマ程度にしか思っていなかったが、坂の上の雲のことを話すとなんだか嬉しそうな祖父の顔が印象的であった。
祖父は酒が入るといつも戦争の話ばかりで、家族はそのモードに入った祖父を敬遠していたが、私は嫌いではなかった。普段寡黙な祖父が熱を持って語る姿に惹きつけられた。
それから10年経ち、既に祖父は他界している。
たまたま『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅 香帆)を読んでいると、1970年代にサラリーマンの中で坂の上の雲が大ヒットしたというページが出てきた。祖父は私が生まれてからずっと「おじいちゃん」であったから若い時があったなんて考えたこともなかったが、1970年代というとまさに祖父がバリバリに働いていた(はずの)時期と整合する。さらにいうと、今の私の年齢ともそう離れていないことに気づく。
そう思うと当時の祖父の言葉や表情が違って見えてくるように思えた。
小説の中で描かれているのは立身出世の時代。勉強することで、誰もが身を立て、日本を変えていくことのできる時代。決まりやルールもなく、自分の手で道を切り開いていく青年たち。どの道でも選べる中で、自らを観察し、志す道を選んでいく。
そんな物語に、山口の片田舎で暮らす青年は何を思ったんだろうか。
『のぼっていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう』そんなふうに、生きていきたいと、彼も想ったのだろうか。
私にとっての「なすべき一大事」とはなんなのか。どんな青い天を目指していくのか。のぼっていく坂の上から見下ろす景色は、明治の英傑たちのそれとどう異なっているのか。それとも重なるものはあるのか。
ひとつ確かなことは、この小説に心を強く動かされ、そのことについて、どうしようもなく祖父と語り合いたくなったということ。