見出し画像

HYBEオタクがNewJeans"OMG"を見て思ったこと①

先日、公開されるとあっという間に賛否が分かれてしまったNewJeans(以下NJ)の新曲"OMG"。

生粋のBigHitオタクなので、キラキラと輝く明るい部分にスポットライトが当たりがちな青春というテーマに対して、不穏な雰囲気を漂わせたり悪者ぶりたい10代にありがちな(私が思っているだけかもしれない)偽悪的な態度を見せたりするコンセプトのアイドルが大好きなのですが、今回のMVを初めて見た時には、ハッキリと疑問と危機感を持ちました(AttentionとHype Boyにはその点の問題は感じませんでした)。それでTwitterで他の人の感想や考察を読んでみたんですが、否定的な意見の中で特に指摘されていたのは、

・精神疾患をMVのモチーフとしていて、演者であるNJのメンバーは全員未成年であること
・MVの最後に登場するアンチコメントを書き込もうとする視聴者に対し、ミンジが「行こう」と声をかけるシーンの是非

でした。私が引っかかったのも、「MVで伝えたいことは何となくわかるけど、それを精神疾患をモチーフにして表現する必要あったの?これって精神疾患が過激さのための一要素になってない?」という点と、カムバ前のミン・ヒジン代表とNJの関係性を度々見たことも含めて、「あまりにもミン・ヒジン氏の箱庭の少女たち過ぎないか?」というぼんやりした恐怖感と違和感が生まれた点、「最後のシーンは明らかに先回りして予想される批判に一言言いたそうだけど、これでいいの?」という点でした。

さらに、これらの疑問について私なりに考えてみるために色々読んでいたのですが、ある方が制作側のMV制作意図についてのインタビューを紹介していました。この記事を読み、様々な人の意見を見た上で、私なりに思ったことを書いてみたいと思います。ただし、私も初見からこのMVに違和感を覚えたのは事実ですが、基本的にNJの方向性やコンセプトは好きなので、細かなモチーフへの考慮の必要性やコンセプトへの傾倒にも限度があるのでは?という話がしたいだけです。

MV公開前の記事などで、アイドルとファンの関係性について描くといった方向性は事前に知っていたので、"Ditto"と"OMG"どちらも最初からそのつもりでMVを見ていました。個人的には"Cookie"の歌詞からも同じことを感じていたのですが、ミン・ヒジン氏はアイドルとファンの間に明確に境界線を引こうとしている、もしくはファンに対してアイドルにどこまでも近づこうとするな(+アイドルについて何でも知ったつもりになったり、アイドルに対して自分を投影し過ぎたりするな…)といったニュアンスの、ある種警告のようなことをしたいのではないでしょうか。

そう考えると、冒頭のハニが自分のことをiPhoneだ、と言うくだりはかなりの皮肉だと思ったんです。他のメンバーがそれぞれ自分は何者かだと妄想している姿も、それを精神疾患として描けば彼女たちを異常だと思っている(MVでは演出上、そう思わされている)視聴者(ファン)側に対する皮肉になり得ると思いましたし、そういう意図があるのでしょう。

それでも、それを精神疾患を用いて描く必要あったのか?と言われると、個人的には無かったと思います。
まず、多くの方が指摘していた通り、精神疾患はとてもセンシティブな問題で、未だに偏見も残っているため、取り扱うなら慎重になるべきで、過激さのために簡単に扱って良いものでは無いはずです。映画やドラマでも精神疾患がストーリーや世界観に加えるスパイスのように登場することがありますが、それも本当は問題があったということですよね(精神疾患が登場すること自体はありがちなので、その発想自体が異常とか、常識的に考えが足りないとも言えないと思いますが)。私自身も何も考えずに見ていたので、マジョリティとしての無神経な態度だったな…と思って反省しました。MVの意図を反映するなら精神病院でのシーンを入れなくても、メンバーが妄想している設定だけで十分伝わるでしょうし(それでも、その設定から精神疾患を患っている設定ではないかと考察する人もいるかもしれませんが、それは解釈の問題と言ってしまえると思います。)彼女たちが何者かであるという主張をしているのは、全部第三者の夢の中での出来事だったみたいなオチを付けても伝わっていたんじゃないでしょうか。そうしなかったのは、あえて批判も想定されるようなセンシティブなモチーフを使ってMVをより過激に演出したかったからだ、と思われても仕方ないと思います。
また、MVと映画やドラマは違う性質のものだということへの認識も甘かったのではないかと思います。個人的にはこの点がとても重要だと思いました。映画やドラマでは、過激な演出があったとしてもそれが俳優自身へと投影されるのではなく、フィクションとして役柄へのイメージとして捉えることが自然ですが、MVではアイドルが、自身の名前を使って演じることになり、視聴者の認識において例えフィクションと分かっていても、役柄ではなくメンバー自身を眼差すことになります。それらの点だけでも、MVの性質上、本人とMV上の演出が完全に切り離されないことを考慮しなければならず、精神疾患というモチーフはMVに適切とは言えないと思います。
さらに、私が良くないと思ったのは、メンバーそれぞれの妄想の中には、実際のメンバーのイメージと重なる部分があることです。NJのメンバーに詳しくない私でも猫とヘリンは実際のイメージと重なっていることは分かりましたし、それぞれのメンバーとの共通点を考察している人もいました。これでは、MVの演出をメンバーに投影することを助長してしまっています。精神疾患をモチーフに取り入れたいなら、最低でもこれは避けるべきだったと思います。ミン・ヒジン氏とイルカ誘拐団は、リアリティがあるからこそ面白く価値があり、より伝わりやすいと思ったのかもしれませんが、そこは諦めるべきポイントだったのではないでしょうか。この点からは、制作陣が精神疾患を扱うことの難しさについて、本当に十分に検討したのだろうか、と不安になってしまいました。

先述したとおり私はHYBEオタクなので、花様年華を見てBTSのファンになった訳ですが、実は花様年華を通じてBTSのメンバーを消費することに抵抗を感じた経験があります。花様年華の中でのBTSメンバーの設定自体は完全なるフィクションだとしか思えないのですが、MVの役柄のキャラクターやWings、Love Yourselfシリーズに収録されているソロ曲の歌詞には、実際のメンバーのキャラクターやメッセージと花様年華のストーリーテリングのための要素が混在してしまっている部分がありました。エモーショナルに消費しやすい設定がメンバーに投影されてしまい、ファン(自分含め)が盛り上がっている姿を見た時に急に目が覚めたような気分になりました。本来はメンバーが作詞に関わりながらも、決まったテーマにある程度合わせているはずなのに、ファンが盛り上がってしまうと100%メンバーの姿のようにも捉えられてしまうのか…熱量があるからこそ恐ろしい…と思ったんです。それからは一歩引いて見るようになりました。

これはTMIなんですが、TXTに本格的に沼る前から、彼らに関しては明らかにフィクションであり、メンバーとストーリー上のキャラクターは無関係であることを強調している(魔法というモチーフを登場させたり、夢オチだったり、あらゆる場面から「これはフィクションだ、メンバーとは無関係なことを忘れるな」というアピールを感じます)と感じていました。だから、BTSを通じてBigHitに学んだ点があったんだろうと思っていたんです。メンバーのキャラクターまで知るようになると、コンセプトの設定からのイメージとは縁のない人たちだなと思い、より一層ストーリーとの乖離を感じて安心したのですが…(もちろんこの安心感も、見方を変えればそういったコンセプトを好むことへの免罪符的なものであることも分かっています)ADORに関してはミン・ヒジン氏の権限が特別強いのか(そうじゃないと、ここまでKPOPの常識に逆らうあれこれが実現不可能な気がしますが)、HYBE側に学びがあったと思ったのが勘違いだったのか…謎ですね。

指摘の多かった未成年の彼女たちが精神疾患を患っている設定を背負うことについては、個人的にはちょっと別の方向の考えがあります。

そもそも、KPOPアイドルたちは未成年であることを忘れさせるようなビジュアルを持ち、ある意味年齢不詳なコンセプトで活動することが多すぎではないか?それは、ファンや大衆がアイドルを人間扱いしないことを助長していないか?そうやって、人格を含めて未成年を消費していることへの罪悪感を隠してしまっていないか?という点に問題があるように思うんです。"OMG"については、問題のベクトルは違えど、問題の程度はこれと同じだと思っています。NJの表現を全体的に見ると、彼女たちが未成年であることを誤魔化していません(むしろそれを未成年の過剰な消費として問題だと捉える人も一定数いるようですね)。否定はしませんが、結局私たちは未成年を消費していることに変わりないので、未成年に10代らしい表現やコンセプトを持ってくること自体を悪いとは思いません。むしろ、ほぼ同世代の私としては年相応で安心するし、だからこそ魅力的に感じます。これは世代によって捉え方がかなり異なってきそうで、正解が無いようにも思えます。ただ、どの未成年のアイドルに対しても、私は未成年を消費しているんだという自覚を持って楽しむことが必要ではあると思います。

彼女たちが未成年だから、というよりは、KPOPアイドルたちは自分たちのコンセプトを自らの意思で選択してデビューすることもその後の方向性を決定することもほとんど不可能なのに、与えられるモチーフが精神疾患なのはどうなんだ?という点が引っかかってしまいます。実際にはどうなのか分かりませんが、仮にミン・ヒジン氏とNJの関係性の中で彼女たちの同意を得たモチーフであったとしても、反論の余地が無い同意を完全に機能する同意と見るのは卑怯だと思います。NJのメンバーがこのモチーフについて特に抵抗が無かったとしても、考えられる批判や本人のキャラクターへのイメージに影響を及ぼす可能性についての説明がきちんとされているべきでしょう(ミン・ヒジン氏があれほどNJを大切にしているなら、そうであれと願っています)。

以上が廃退的な青春コンセプトが好きなHYBEオタクが考えた、NewJeans"OMG"のMVに精神疾患がモチーフとして登場することへの問題点でした。こういったコンセプトが好きだからこそ、KPOPがあまりにも普遍的で誰に対しても引っかかりのないテーマを掲げがちなこと(一周回って何も言ってなさすぎませんか?)をあまり面白く思っていないからこそ、NewJeansとミン・ヒジン氏に期待している部分があるのですが、今回のMVはちょっと彼女たちとの付き合い方を考えさせられるな…と思いました。ただ、好き嫌いが分かれることは何の問題も無いと思いますし、NJの魅力の一つですらあると思います。
あまりにも長くなり過ぎたので、他の疑問点はまた今度書いてみようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?