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鉄道が世界を変えた② 人と物資の移動


(1)人類最古の乗り物とは?

この設問に、動物は含めないこととする。
恐らく人類史のかなり早い段階で、人は馬やロバやラクダにまたがることで、楽々と移動することを覚えた。
お父さんの肩に乗ったり、お母さんの背中におぶさって移動することも、まあ乗り物と言えば乗り物だ。
しかし、そのような動物に乗ること以外で、人類が初めて覚えた乗り物とは何だろうか?

海や湖、川の水面に漂う流木や大きな枝にある人が思い切って身をゆだねた時、人類は「船」という乗り物を発見した。
そして木を並べていかだにしたり、丸太をくりぬいたりすることで、丈夫で安定し、かつたくさんの荷物を載せて運べることを学んだ。
木の棒で水底を突いたり、オールで水面をこぐことで、船を操縦できることも分かった。

大きな川であれば船は乗るだけで、勝手に進み、遠くの目的地まで移動できる。
日本の古代においても、乗り物の主役は船だった。
飛鳥や奈良の都から、当時の国際交易港である難波まで、長距離をわざわざ歩かなくても、大和川に船を浮かべれば楽々と移動することができた。

その後の時代でも、町の発展に水運は欠かせなかった。
京都も大坂も江戸も運河の町である。
縦横に張り巡らされた川や運河では、人や物資が忙しく往来し、社会はそれによって成り立っていた。

(2)革命的な大発明・車輪

2つの同じ大きさの円形の物体の真ん中に穴をあけ、棒を軸にしてつなぎ合わせる。
それを箱の下に、前方と後方に2セット取り付け、後ろからそっと押してみる。
4つの円は回転を始め、箱はほんの小さな力で動き始める。
偉大なる車輪の仕組みだ。

車輪の登場は、乗り物の歴史における最も際立った出来事であった。
今に至るまで、それはあらゆる乗り物の基本である。
車輪は間違いなく、人類の最も偉大な発明だ。
 
(3)鉄道が世界を変えた

船、車輪と来て、次に乗り物の世界に革命をもたらしたものは鉄道だった。

16世紀、ドイツの鉱山において石炭運搬用の車両が初めてレール上を走ったという。
たったそれだけのことだが、レールを設置することで車両は素早く安全に、大量に物を運べることが分かった。

19世紀後半にイギリスにおいて蒸気機関が発達を遂げ、人や馬に代わって車両を牽引する動力源となった。

こうして諸条件が整い、1825年イギリスのダラム州において、世界初の鉄道会社であるストックトン・ダーリントン鉄道が開業した。

人や物をごく短時間に、たくさん運べる優れた手段ということで、鉄道はすぐに国中に広がった。
この時代には他にもさまざまな分野で技術の革新があり、人々の生活や価値観、社会構造が根本から変わっていった。
短時間で大量に物を運べばその分だけもうかり富を得たので、人々はさらにもうけることに血眼となり、どれだけ豊かになることができるのか、極限まで挑戦するようになった。

結果として、大量生産、大量消費、莫大な富が集中した資本家と長時間働く労働者という、なんともいびつな、忙しない世の中へと変貌を遂げたのである。
この一連の社会構造の変化を産業革命と言い、鉄道はその主役であった。

イギリスは長い時間をかけて産業革命を推し進め、鉄道はその最終段階で登場したが、他の国はイギリスの産業革命をパッケージとして取り入れ、鉄道敷設はその前提条件であった。

アメリカでは狂ったように鉄道網が張り巡らされていき、鉄道狂時代と呼ばれるようになり、広大な国土と豊かな資源を背景に、より大規模な工業化へと邁進していった。

農民主体の世の中であった江戸時代から、明治以降の工業化社会へと変貌を遂げた日本もこの例に漏れない。鉄道がなければ、この劇的な変化は生じなかった。

いずれにしろ、産業革命による工業化の波は世界中へ広がっていき、農業を主体とした比較的のんびりとした時代は、永遠に過去のものとなった。

人間の歴史を振り返ると、技術が発達し、社会が発展する要因となるものが2つあることが分かる。
ひとつは「お金がもうかること」、もう一つは「戦争に勝つこと」である。
それは多くの場合「戦争に負けないこと」を意味するが、とにかく敗者になると悲惨なので、そうならないために国家も人々も必死となり、使えるものは何でも使おうとする。
その結果、鉄道が登場して以来、戦争の形態も大きく変わった。
武器や弾薬、人員が大量に輸送されるようになり、戦争の規模はけた違いに大きくなった。

日清・日露戦争では軍港である広島までの鉄道網が整ったことで、日本各地から多くの兵隊が短期間に動員されることになった。
ロシア側も人員と物資の大量輸送のため、シベリア鉄道の建設を急いだ。
大国間の戦争は、鉄道の敷設競争でもあった。
第一次、第二次世界大戦があれほど悲惨なものになったのは、ひとつには鉄道の存在があった。
 
(4)鉄道はさらに進化する

鉄道車両の動力源は、蒸気機関からディーゼル機関、電力へと変化していき、技術もスピードも向上した。
より安全に、より効率的に運行できるように信号システム、配線やダイヤグラムもさらに巧緻なものになっていった。

後に自動車、飛行機が登場し、社会の中で存在感を増したが、鉄道は今でも他の交通機関にない強みがいくつかある。
一つ目に、エネルギー効率が大変良いことである。
鉄道車両は体積の割に前面投影面積が小さいため、空気抵抗が少ない。
そして車両をどんどん連結できるので、車列が長くなればその分だけ体積当たりの空気抵抗は少なくなる。

加えて、車輪とレールはどちらも鉄であるため、走行抵抗が極めて小さい。
対照的に、自動車はゴムタイヤを使用するため、摩擦が大きくエネルギー効率は悪い。しかしその摩擦により勾配がきつくても進むことができる。一方、鉄道は勾配には極端に弱い。

二つ目に、専用軌道上を走ることだ。
鉄道は障害物を考慮に入れることなく、スケジュールを自由に組むことができる。
このため定時性と安全性に優れている。

これらの強みを生かして、特に貨物においては、現在でも鉄道は主要な役割を担っている。
グローバル化された世界にあって、長距離かつ大量の貨物輸送で最も大きな割合を占めるのは船舶による海上輸送であるが、陸上においては鉄道が主役となる。

ただし近距離輸送では、弾力的な運用においてトラックに優位性がある。
現代社会では、船舶・鉄道・トラックの効率的な連携が必須となっている。
ちなみに飛行機は速達性はあるものの運行コストが非常に高く、全体における運輸の割合は小さい。

青函トンネルは北海道新幹線の開通により在来線の運用は廃止されたが、それでも貨物の需要は大きいため、2万5000ボルト対応の電気機関車をわざわざ開発し、3線軌条にして貨物列車の運用は残した。
これも、陸上運輸において鉄道が欠かせないことの証左である。

ちなみに明治の初め、まだトラックがなかったころ、物資の輸送は鉄道と船の組み合わせだった。
東京駅には貨物ターミナルに船着き場があったし、大阪駅には運河が整備され、貨物のホームに直結していた。
時代を反映した興味深いエピソードである。

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