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親の人生をトレースしなくてもいい

トレースしないといけないと思ってた

特に母親の人生をトレースしないといけないと思っていたんだよね。
それは母親の人生が正しいと思っていたから(笑)
祖母と父・・・母にとっては姑と夫
もう一方の祖父母・・・母にとっての実父母
この4人の愚痴を聞いて育った私にとって
正義は母で敵は後の4人なわけですよ。
恐ろしい話ね。
母ほどの正しい人間でも4人の悪人と出会ってしまって
人生を翻弄されるわけです。恐ろしい・・・。
母に言う事をきかないと恐ろしい事が起きると
本能で感じてしまいました(笑)
世の中はわからないことだらけだって。
正しい事をして生きてきても
恐ろしい目に合うんだと。
童話では報われるけど、実際の世界では報われることもなく
恐ろしい目にあってしまうのだ!キャー怖いって思っちゃったんです。
そしてあなたより人を見る目があるから
必ず夫になる人は私が見て判断してあげるからね・・・と言われ
頼もしい反面恐ろしくもあったんです。
私には見る目がないんだ・・・。じゃあ未来の私の娘はどうしたらいいの?
ちょっとしたパニックです。
多分小学生の頃だと思うんですけどね・・・。
母の口ぐせというか
時々いう言葉が「あなたにもわかるときがくる」という恐ろしい言葉。

今思うとね。
母は理解者が欲しかったんだと思います。
そんな状況の中、よく頑張ったね。よくやったね。って
誰かに言ってほしかった。その言葉を心から欲していたんだと思います。
今になって初めてよくわかるんですけどね。
幼い私にとっては恐怖でしかない。
恐ろしい目に合う日が必ず来る・・・
予告編なわけですよ。
母の人生をトレースすることで
母の人生より悪い人生は来ないって思ってしまったんですよね。
不幸でも知ってるほうがちょっとだけ安心・・・みたいな感じ。
決して望んではいないけど
母ほどの善人でもこうなってしまう
恐ろしい現実の中で私がどう生き残るか?って事なんです。

どういうことか?
母の価値観を世界の正義だと思ってしまっていました。
恐ろしいほどの幼さ。

トレースしなくても大丈夫です。
幸も不幸もなぞらなくていいんです。
あなたの価値観で
あなたの思い、願いを大切に
全く違う人生を歩んでいいんです。

結局のところ
愚痴って
家族の悪口って
よく考えてからの言葉ではないから・・・。

母から見た姑と
私から見た祖母が違って当たり前。
私と母が違う人間だから。
私の夫への思いと
母の夫への思いも全く違う。
それでいいんです。
幸福という概念へのアプローチも違うんです。
どういう状況を幸せと呼ぶのか?
それすら違うし、母の世界の中では母は正義だけど
父の世界ではどうだか?
祖母の世界ではどうだか?
分かったもんじゃない(笑)

それぞれに正しいと思って生きているんですから。
自分が全て間違っている!って思って生きている人なんていないと思っています。表面上間違っていると思っていたとしても
根っこの部分では自分が正しいと思って生きているはずです。
そうじゃないと生きていけない(ノд-。)クスン

ある程度成長するまでは
親の価値観の中で生きていくのは当たり前だと思うんですね。
だけど思春期あたりで、それに疑問を持つんじゃないかなぁ?
私の場合は少し遅かったけど。
正しさってたくさんある事を知る。
人それぞれに価値観がある事も知る。
誰かと全く同じって事がない事も知る。

親の人生をトレースしなくてもいい。
いう通りに生きなくてもいい。
そんな事を望んではいないはず。
それぞれの幸せを見つけてほしいと望んでいるはずだと思います。

ただただ
自分の人生を理解してほしいと願っている人はたくさんいるんだと思う。
肯定してほしい。間違ってはいなかったと。

違う人生を歩むことは裏切りではないってこと。
愚痴って
親の愚痴ってしんどいけど
受け取る側ほど深刻ではなくて
ただただ言いたいだけなんじゃないかなぁ?
そうでなければきっと一緒にいない。
夫に・・・姑に直接いう勇気がないだけで。
子どもにとったら迷惑な話だけど
本人に言えなくて心にたまった澱の一部をこぼしているような状況なのではないか?と思うのです。
口に出してちょっとすっきり。それで明日を迎えられる。
というくらいのね。
感情をうまく出せない人が何とかリセットするための
儀式的なものなのかも。

トレースしなくても大丈夫。
不幸を願う親はいないはず!


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