季節のない世界①プロローグ
主な登場人物
プロローグ
人はなぜひとりでは生きていけないのだろうか。
自分でさえも曖昧なのに、それを他人にも理解して欲しいと願い、だれかを理解したいと望む。
夏のアスファルトをゆらす陽炎のように、だれの心にもあやふやな部分がある。
そのゆらぎを、言葉にして欲しいと願う、身勝手さよ。
30歳の春から、私にはリアルとネットの境界がほとんどない。9割の仕事がオンラインで完結する環境のフリーランスゆえ、独り身の私はネットの中こそがリアルだとさえ思う。
目覚めると陽の光を浴びるよりも先にスマホをチェック。これが私の日課だ。
各種連絡ツールの通知マークを見て、ひとりではないことを確認し安堵する。ひととおり内容を確認して、急ぎのものにだけ返信をした。
ようやく身体を起こして、カーテンを開ける。8月の日差しにめまいを覚えた。
北海道に似つかわしくない、肌にまとわりつくような空気を振り払うようにシャワーを浴び、最低限のスキンケアをする。
始業前にコーヒーを淹れ、苦味で目を覚ましながらプライベートのチャットに返信。ネットで知り合った、友人と呼ぶには希薄すぎる関係の人たちと今日もくだらない世間話を繰り広げる。
何にも責任を持たなくて良い、この距離感がとても心地よい。相手の表情や声色が分からない、テキストがちょうどいい。
さまざまな人と出会い、別れ、笑い、泣いた人生の30余年を経て、私は人と関わることが極端に苦手になった。
現実の世界で人と会うと、多くの情報が目や耳から脳内に入ってくる。膨大な情報を受け取り処理して、最適解と思われる「相手が望むこと」を正しく行動するまでがワンセットとなりとてもつらい。
誰に求められているわけでもない。単に、他人の感情にあてられて自分の感情が動くことを苦手に感じているだけ。わかっていても、やめられない私の行動様式。
人は私のことをコミュ強だとか、人なつっこいだとか、人見知りしないなんて言葉で形容するけれど、本当は大の恥ずかしがりやだし引っ込み思案だ。ただ、社会に適合するために、多くの人が求める人物像をなぞり続けた結果、今のアンバランスな自分ができあがっている。
このような人間だから、表面的な付き合いにとどまれば多くの人に好かれる。けれど、私自身はそれにまったく納得していない。にもかかわらず、心の中に棲むネガティブな自分から逃避するように、ネットの世界でも明るい私を貫きとおしている。
ここにいる私はだれなのだろう。画面の向こうにいるあの人は私の何を見ているのだろう。時折よぎる不安を振り払うように、私はキーボードを叩き続けた。
2023/8/6のDMログ(まいとaki)
akiとは、異業種が集う交流コミュニティ「Вы」で知り合った。「Вы」はDiscordサーバー上に形成された、1,000人規模のコミュニティだ。
何にも守られていない存在のフリーランスは、ひまさえあれば営業活動をしてしまう。空いている時間は仕事がないか、常にブラウザを開き仕事を探す。
このコミュニティへの参加もその一環だった。さまざまな業種、業界、立場の人たちが集まるネットのコミュニティでは、私のように仕事を探す人もいれば、アイデアの種を探している人もいて、チャットアプリ上にあるコミュニティスペースには常に会話が流れていた。
このコミュニティで、エンジニアのakiは異彩を放っていた。「自分が自分が」と主張する人たちの中で、akiは自分について多くは語らず、しかし「ここぞ」というときに全員がうなずくような核心をついた話をする。
根っからの文系の私はエンジニアという職業の人に一種の憧れと畏怖を抱いていたのだが、周りを見渡して自分がとるべき行動を把握しコミュニティに貢献しているakiに、個人的に話しかけてみたいと思ったのが6月のこと。
思い切ってDMを送って以来、毎日何気ないやり取りを続けていた。
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