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凡人・オリバーの強運たる災難

 物心ついた頃に父の影はなく、女手一つで僕を育ててくれた母も、数年前に病に倒れた。
 日々の生活で精一杯だった僕達親子に、母の治療費や薬代が払えるわけもなく、幼い僕は何を為すこともできないまま、ただ冷たくなっていく母の手を握ることしかできなかった。
 結局、僕ひとりでは母を満足に葬ることもできず、教会の助けを借りてお別れをした後、僕は正真正銘の天涯孤独の身になった。
 雨風、夜露を凌ぎ、飢えを満たせればやっとの生活。それでも、非力なこどもひとりであの日まで生き抜けたのは、母が僕に残してくれた祝福か、幸運の星のもとに生まれたからだったのかもしれない。
 風向きが変わったのは、あの日からだ。
 いつものように食べられるものを探して彷徨っていたところに奴らは来た。
 目の前にさした影に顔を上げれば、ふたり組の身なりのいい男女と目が合った。

「ああ、よかった。ここにいたのか」
「ええ、本当。もっとよく顔を見せてちょうだい」

 まるで僕を探していたような口ぶりで、女の方が僕の顔へと手を伸ばしてくる。

「触るな!」

 咄嗟にその手を振り払って、逃げ出そうとする。しかし、駆け出そうとした途端に男の杖に引っ掛けられ、彼の方へ倒れ込むように転んでしまう。

「まぁ、乱暴したりなんてしないわ。私たち、貴方を迎えに来たのよ」
「な、にを……。離せ! あんたたち、誰だ!」

 いくらもがいても僕を抑える男の力には敵わない。
 女の手が僕の頬に触れ、顎を上げさせ、目に掛かる髪を払った。

「嗚呼、美しい。本当にこんなところにいたとは」
「ああ、そうだな。こんなゴミ溜めにはもったいない。彼こそ正に次期当主様の器に相応しい」

 感嘆のため息を吐きながら交わされるふたりの会話は僕にはよくわからないものだった。
 それから男女は僕に様々なことを聞いてきた。名前、家族、住処、年齢、母親の名前、他にもいろいろと。そうして、僕が身寄りのない孤児で、友人も関わり合いのある大人もいないと知るや、女は顔を輝かせ、男も満足げな様子で頷き、僕が彼らの主人の家の跡取りだなどとのたまった挙句、本家に連れて帰ると言う。
 そんな話、俄には信じがたかった。けれど、結局僕は、その手を取ってしまったのだった。
 だって、仕方がないだろう。母とふたり暮らしの苦しい生活の中で、顔も名前も知らぬ父親が金持ちだったらいいのに、そして、いつか迎えにきてくれればいいのに、と空想したのは一度や二度のことではないのだから。もし、その空想がこの男女の言葉の通りに現実になったとしたら、僕はなんて運がいいんだ。そうまで思いもしたのだから。

 木々生い茂る深い森の奥へ、馬車で揺られていく。
 初めて乗る馬車におっかなびっくりな僕を、女は少し笑って優しく手を差し伸べてくれた。がたがた、ごとごと。上に左右に揺られ、少し気分が悪くなると、男は真っ白なハンカチを僕に差し出した。僕はそんな上品に育っていないと断れば、これからそうなるんだ、と彼らは鷹揚に笑う。
 馬車の中は、和やかなようでいて、どこか落ち着かない空気が常に漂っていた。
 屋敷について馬車を降りる頃には、もうここに来たことを後悔し始めていた。
 屋敷の廊下にはふかふかの絨毯が敷かれていた。それは雲の上を歩くように柔らかく、冷たくでこぼこした地面しか知らない僕の足の裏はそわそわと落ち着かない感じがする。
 まずは身だしなみからだと言われ、お風呂で全身を洗われた後に爪を切られ、髪を整えられ、ショーウィンドウ越しにしか見たことがないような服を着せられる。
 鏡に映る僕は、まるで僕じゃないみたいだった。

「見違えるようね。ええ、本当に美しいわ。絹のような御髪、滑らかな肌、初々しい薔薇のような頬。瞳はどこまでも澄んだ青空の色。嗚呼、私の見る目はたしかだったようだわ。次期当主の器にこれほど相応しい少年なんていないでしょう」

 うっとりと陶酔した声色で女は言った。

「さあ、オリバー様。貴方のお父様がお待ちですよ」

 重厚な扉の前でそう言われると、あまりの現実味のなさに浮遊感すら覚えていた身体からすぅっと血の気が引いていく。
 僕は父の顔を知らない。どんな人なのかも知らない。これから会う人物が、本当に父なのかどうかすらわからない。
 ーーでも、
 幾度となく夢に描いた「父」なる人物に、これから対面する。
 緊張して手も足も震える。動けなくなる僕を見て、隣の女が戸を叩いた。

「入りたまえ」

 扉の向こうからでもよく届く、低く、深い声だった。

「さぁ、オリバー様」

 扉を開け、女が僕の背中を押す。

「来たな。……オリバー、だったか。私はアレクセイ。今日から君の父親になる。ふむ、そうだな。気軽にお父様と呼ぶがいいだろう」

 彼を見上げる。僕と似ているところがあるのかどうかすら、よくわからない。
 どことなく威圧感がある。これが名家の一族の風格というものなのだろうか、と馬車の中で上の空になりながら聞かされた男女の話を思い出す。

「……お、とう、さま……」

 気圧されてしまって、それしか口にできなかったが、彼は頷いて話を始める。
 耳は聞こえているのに、彼の話はよくわからなくて、次期当主やら、教育やら、そういった単語程度しか頭には残らなかった。

「そんなわけだから、明日から勉強を始めるように。それから、言葉遣いも直した方がいいらしいな。うん、まぁ、そのあたりは家庭教師の言うことをよく聞くことだな。さて、なにか質問はあるかな?」
「……え、あ、えっと……」

 正直、わからないことしかない。しかし、何から聞いていいかもわからない。

「僕が、その、ジキトウシュとかいうのは、本当のこと、……ですか?」
「うぅん、まぁ、彼らが言うならそうなんだろうよ」
「……え?」

 なんだ、その、投げやりな答えは。
 呆気にとられる僕をよそに、彼はこの話はもう終わりか、と言いたげな顔でそれ以上のことは何も言わない。

「他にないなら下がってよい」

 彼は僕になどまるで興味がないようだった。それこそ、本当の息子かどうかにすら。
 やはり父親なんて、それも、金持ちの父親なんて幻想だったのか。
 肩を落とし、唇を噛みながら、部屋を後にする。

 僕にあてがわれた部屋はおそろしく広かった。下手をすれば、僕と母が住んでいた家と呼ぶにも粗末なあそこより広いかもしれない。
 ふかふかの枕に頭を預け、生まれて初めて横たわるベッドの上で毛布に包まった頃、不意に嫌な考えが頭に浮かぶ。
 何故、僕はここにいるのだろう。そもそも次期当主とはなんだろう。
 ただの孤児にこんな贅沢な扱いをするなんて、彼らの目的は一体何なんだ。
 そう思うと、これが金持ちの人を人とも思わない遊びなんじゃないかとすら思えてくる。もし、明日から始まる教育とやらについていけなかったら、僕が「お父様」の息子と認められなければ、あるいは、そもそも僕がここに連れてこられたのは……身寄りのない孤児に一時の夢を見せた後に嬲り殺すためなのかもしれない!
 温かい毛布に包まっているはずなのに、身体の震えが止まらない。
 どうしよう、僕はこれまで教育なんて受けたことがない。文字だって読めないのに!
 持て囃されて浮かれて彼らの手を取った今朝の自分を恨んでも、もう遅い。ここまで来たら、やるしかない。僕は次期当主に本当に相応しいと、誰もに認めさせなくては……。

 その夜、僕はよく眠れなかった。
 それでも、日は昇り朝は来る。お父様に言われた通り、僕を家に相応しい次期当主にするための「教育」が始まった。
 勉強は文字を読むところから。姿勢、歩き方、話し方、ありとあらゆる作法は全て逐一指摘され矯正されていく。起きている間に気の休まる時など一秒たりともない。そのうえ、出される食事はどれも辛い味付けばかり。これではゴミを漁って得た食べ物とどっちがマシかわからない。少なくとも、確実に三食十分な量を食べることができて、腐っていないという点ではこちらの方がマシなのかもしれないが。
 食べるものが何もないよりはと自分に言い聞かせながら舌も喉も灼くような料理を水で飲み下し、また勉強漬けにもどる日々に、僕はもう疲れ始めていた。
 一度逃げ出すことも試みたが、館から出るより先に連れ戻され、酷い罰を与えられた。さらに、監視のつもりか使用人を増やされてしまい、逃げ出す隙も見つからない。
 なにか家中の目を欺くようなきっかけがあれば逃げ出せるのかもしれないが、そんな機会などあるだろうか。
 ーーしかし、天は僕を見捨てなかった。
 魔女と魔女殺しが館にいる。ある日、お父様はそう言った。どうやらお父様は魔女とやらを匿っているらしい。そんな馬鹿な、と思いこそすれ、不思議と飲み込めてしまったのは、道端からこんな名家の跡取りとして拾われたからかもしれない。
 どう動くのか、楽しみにしているよ。
 そんなことを言ったお父様は本当に楽しげで、この館や一族の薄気味悪さを増長させた。しかし、そんな混乱の中でなら、あるいは。そんな考えが頭に過ぎる。
 館を出て、自由を手にするのだ。お父様と相対する度に心の中で固く誓う。

「朱き満月の夜」まであと一ヶ月。
 斯くして、賽は投げられた。


このSSは『ストリテラ オモテとウラのRPG』の公式シナリオ『魔女は朱き月の夜に』のプレイ後、キャラクターの裏話として制作したものです。

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