一首感想『瓶の中でかかってて胸しめつけるシロップ漬けのカセットテープ』


瓶の中でかかってて胸しめつけるシロップ漬けのカセットテープ

我妻俊樹(2023)カメラは光ることをやめて触った 書肆侃侃房

この歌を初めて読んだ時のきゅっと胸をしめつけられる感じがとても好きだと思った。

カセットテープなのでもちろん何かしらの音源を録音していて、シロップ漬けにされているということはきっとそれほど保存したいものだということだと思う。瓶の中でずっとかかっているその音源がシロップ漬けにされたことで、シロップにはその味が染み込んでいっているし、音源も甘く素敵な思い出に変化している。胸をしめつけるような思い出が溶け出したシロップを少しずつソーダで割って飲む日々も、甘く変化した音源自体を深く味わう夜もあるのだろう。

漬けたシロップの色の変化も、色がセピアに褪せていくの写真のようで、グッとくる。瓶に保管する様子もスノードームのようで大事にしていることが伝わってくる。

ここからは私の妄想になるけれど、自分がこの歌に共感した際に思い浮かんだのは短歌を作る気持ちだった。シロップに漬けて保存するというのは文章なり短歌なりなんらかの表現でこのカセットテープに残る思い出を創作として残したのではないかと思う。私の思う短歌の良いところは感情を保存できるところなので。
創作の元となった思い出はそれ自体を思い出すときに自分の創作物も合わせて思い起こされて、元の新鮮な記憶の形には戻らないけれどより深みのあるものとして自分の中にとどまり続ける。シロップとカセットがお互いに侵食しあい、境界が曖昧になる。

一体どんな思い出なんだろうか。その思い出がシロップを飲み切るまでの自分を支えてくれているのかもしれないし、シロップを飲み切っていつかは味を忘れてしまうかもしれない。でもそのシロップ漬けした体験がその音源が存在した事実を忘れずにいさせてくれるだろうと思う。

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