一首感想『ライナスの毛布になって包む夜のしんしん積もる二月のひかり』

ライナスの毛布になって包む夜のしんしん積もる二月のひかり

高田ほのか(2017)ライナスの毛布(株)書肆侃侃房 

この歌は、冬にしか味わえない暖かさを感じることのできる素敵な歌だと思う。

まず、ライナスの毛布というと、スヌーピーに出てくるライナスから名付けられた心理学用語で、幼児期におこる特定の物に執着を見せる行動、いわゆる安心毛布のことかと思われる。ライナスの毛布になる、ということは主体は毛布になったのであり、主体がないと不安になってしまう誰かが存在する。思わずライナスの言葉に引っ張られて幼児で想像してしまったが、その行動は成人も起こし得るし、ライナスの毛布が愛情の比喩であれば恋の歌として解釈も可能かと思う。

しんしんと積もるというと雪を思い浮かべてなんだか寒い冬の夜を想像させられる。しんしん積もる、二月、毛布、ひかりが呼応しあって冬の夜にあかりの灯る家のほっとする優しい暖かさを感じる。ただ、しんしんと積もるのは二月のひかりで、二月というと春を待つ季節、芽生えるための準備期間、と受け取れるので、二月のひかりは芽吹くための養分を与えているのかもしれない。今は毛布(主体)を必要とするライナスが、毛布(主体)から卒業する春が来るのを見守る優しい主体の目線が好きだ。卒業されちゃうのは喜ばしくもちょっと寂しい。

恋で取るのであれば、自分に執着してしまう恋愛依存気質の恋人にできるだけ寄り添う主体。そして二人の間にしんしんと積もるのは二月の真っ白く照り輝く雪のような愛情かもしれない。愛情を受けた恋人が依存心を抱かなくても安心させてくれる主体のおかげで不安から解放され、自立するのかも。そんな春がきたら結婚してほしい。

寒い日が苦手でもこの歌を読むと少し冬を好きになれそうだな、と思う。

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